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まだウトウトした様子で大きくあくびをする。その寝ぼけ眼が可愛くって、敬は思わず頭を撫でた。
「ふふ、おねむだねー忠」
「······にいさま? おかえりなさい!」
忠はバッと起き上がると花が咲いたような笑みを浮かべた。嗚呼、可愛い。可愛いを通り越して愛おしい。兄弟とはよく喧嘩するもの、なんて世間は言うがそれはおそらく歳が近い場合に限った話だ。正直、9つも歳が離れているため敬は庇護欲の方が勝ってしまう。
「すごい! にいさまが帰ってくる時間まで起きていられた!!」
いや寝てたし。とは敬は大人なので言わない。今にも小躍りしそうな雰囲気の忠に、敬は苦笑してしまった。
「はいはい忠、ただいま。もう夜も更けているからきちんと寝床に入らないとダメだよ」
「今日も異形を退治したんですか?どんなのですか? お話してください!」
「忠会話のキャッチボールしようね」
敬は周囲に散らばった和紙を集めながら、反対の手で布団を指し示した。話をして、なんて言うがそもそも忠は異形がどんなものかまだよく分かってないだろう。家の者が話している言葉を聞き齧っただけだ。
忠は頬を膨らませるが眠気もあるのか大人しく布団に入った。
(あれはそんなに良いモノではない)
敬はウトウトと眠りに落ちる忠を眺めながら考える。敬が人に紛れ込む異形に気付くようになったのは4歳の時だった。浅草で定期的に開かれる出店に父と来ていた時のこと。
いつもの人混み、賑やかな笑い声の中で敬は異質なものを見つけた。姿形は人間なのに、その回りに黒い霧のようなものがかかっている。
「······?」
最初はただただ不思議に思って見つめた。凝視すれば凝視するほど、気持ち悪くなった。陰鬱で地獄の入り口のようにどす黒く感じたのを憶えている。
黒い霧はまるで毒のように敬の体を不安と恐怖で蝕んだ。不安で不安で仕方なくって敬は火が付いたように人ごみの真ん中で泣き出した。今となっては顔色一つ変えず封殺する敬も、最初に見たときはそんな状況だった。全身から汗が噴き出し、心臓が煩いほど響いて硬直した体。
逃げたいのになぜ体が動かないのか、動かないのかと自分自身を罵った。あれから10年たった今もなお、鮮明に覚えている。
彼らは、ずっとずっと日常に潜んでいたのだ。
父に抱き抱えられると、敬はようやく恐怖が溶けて体が動いた。敬は温かな身体に包まれて一層大きな声で泣きだす。その普段よりも数段激しい泣きじゃくりように、父は困惑したらしい。
敬は落ち着くと真っ赤になった顔で鼻をすする。言葉をつっかえながら、必死に黒い霧の人物を事を喋る。敬の支離滅裂な言葉に父は、ゆっくり頷いてくれた。
黒い霧という言葉にちょっと驚いた顔をしてから顔を綻ばせて敬の頭を撫でる。
「それは才能がある」
敬にとってそれは思ってもなかった言葉だった。人生で一番恐怖を感じた日、敬は人生で一番喜ぶ父の顔を見た。
父に抱っこされたままの帰り道、ゆっくりと教えてもらった沢山のこと。敬が見たそれは第六感と呼ばれるものらしい。素質のある者なら児童期に入る6歳の頃に開花するとのことだ。まさかこんなに早く目覚めるとは思っていなかった。父はそう語った。
跡取りが優秀だと手放しで喜ぶ父を見ている内に、恐ろしいと思う気持ちは段々薄れていった。両親が喜んでくれること。それが、幼い敬にはただただ嬉しかった。
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