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フェデと忠
▷Side忠
慌ただしい宿を抜け出して数時間。集中力が切れたので一息ついて水を飲む。日陰に置いた椅子は太陽が動き、いつの間にか陽なたへと変わっていた。
「きれいな絵だね」
「っえ」
吐息がかかりそうなほど耳元で声が聞こえた。
(そのセリフはデジャブ······)
慌てて振り向く。昨日のメイド服の女性がいると思ったのだ。予想に反してそこには例のお騒がせな茶髪の青年が立っていた。
「えっと、いつからそこに?」
「さっきから声かけてたよー。でも君が集中してるから途中から後ろで見てたー」
青年は軽い調子で喋る。間延びした口調といい軽薄が服を着て歩いてるような男だ。それにしてもまたやってしまった。集中すると何も見えなくなるのは中々直らない私の悪い癖である。
「それはお気付き出来ずすみません」
「宿の旦那が君のこと探してたよ。遅れたけど、食事を用意してくれたみたい」
まあ、もっとも俺の分はなかったけどね。そう続けて肩をすくめる青年。修羅場は解決はしてないようだ。
「わざわざありがとうございます」
お辞儀をして顔を上げると、青年は描きかけの作品をじっと見つめていた。なんだろうと訝しげに見つめていると目が合う。
「俺さ、この水彩画すごい好きだよ。暖かくて、でも少し寂しそう。ただの風景なのに心が宿ってるようで繊細な感性が伝わって来る」
「······っえ! あ、ありがとうございます」
純粋な賛辞というものに私は本当に慣れてない。慣れてないというよりは拒絶してると言っても良い位だ。純粋な賛辞よりお世辞の方が好きなくらい。だって透けて見える意志に安心する。しかし彼の目線はとても愛おしげで、今の言葉がお世辞じゃないことを語っていた。私はますます苦しくなる。
誇るべき。誉められたのだから。でも、誉められたことを一切合切拒否するかのように私の心は冷えきっていた。
『低すぎるプライドは謙遜ではなく、卑屈と受け取られることもある。だから注意しろよ』
そう言ってくれた画家仲間からの声が蘇る。次に蘇るのはもっともっと昔の声。
『もし、あいつの変わりに忠が死んでくれたら』
自分を否定した言葉はいつまでも鎖のように纏わり付いて、変わりたいと足掻く私を離さない。自分なんか誉められていい人間じゃない。そんな内なる声に唇を噛んだ。
「そんな素晴らしいものじゃないです」
私の否定の言葉に青年は不思議そうに首を傾げた。
「優しさも美しい感性も、誰もが持てるものじゃない。君は誇るべきだよ」
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