母の記憶

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死亡日時不明。 死亡推定時刻は、発見される24時間ほど前。 理由『縊死』 その漢字が読めなかった、『いし』 洗剤の箱を踏み台に、コタツのコードで。 荒らされた様子もなく、広告の裏に書かれた遺書があった。 宛名は叔父。 母の実弟。 偶然にも変わり果てた母を発見したのも叔父だった。 遺書に書かれていた名前は、姉弟三人のうち、私だけだった。 母にとって、妹と弟は何だったのだろう。 悲しみにくれる暇もなく、警察、裁判所、市役所、葬儀の段取りと走り回った。 母が住んでいたアパートは一軒家で、家主から不吉だから取り壊して返して欲しいと言われた。 葬儀は密葬で、ほんの身内だけにした。 病院にいる父を、車椅子で連れてきた。 弟には、母が死んだことは伝えてはいけないと担当医師に言われ、弟はその後何年も母が死んだことは知らなかった。 車椅子の父は、棺の母に向かい声をかけていた。 「なんで、先に逝くとや…、自殺ち、バカなことばして!」 記憶が混濁することがあると聞いていたのに、父はとてもしっかりしていた。 お通夜に参列したあと、父は外に出たいと言った。 ゆっくりと車椅子を押す。 こんなに軽かったっけと、思う。 葬儀場のまえは、コンビニやスーパーの灯りで明るかった。 空を見上げた父が、小さく言った。 「こげん明るかれば、ミツエ(母)の星は、見えんばいな、死んだばっかじゃっで、こまんか星やろで」(こんなに明るいとミツエの星は見えないな、死んだばかりだから小さい星だろうから) 私も空を見上げた。 「ここの空は、家で見るより星が少なかもんね」 祖母にも母が死んだことは伏せられた。 それは叔母たちからの願いだった。 「ばあちゃんは、もうすぐ田植えばせんといかんからミツエが迎えにくる、だから早くこっから出んばんとって、お母さんを待っとらすとよ」 母と祖母は仲が悪かった。 それでも、何故か母が迎えにくると信じていて、それが励みになるならと叔母たちが母の死を伏せるようにと言ってきたのだ。 その一年後。 母の一周忌の日、祖母は息を引き取った。 本当に母が迎えに来たのかと思った。
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