祖母の記憶

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祖母の記憶

祖母は厳しかった。 挨拶や掃除や、言葉遣いや目上の人に対する態度や、常識について。 その時は、鬱陶しくてたまらなかったのに、社会に出て祖母が言ってたことが正しいと思うことがたくさんあった。 「ご飯を食べる時は、下品にならない程度に楽しい会話をする」 「下着はいつも清潔なものを身につける」 「夫になる人は真面目な人ではなく、面白い人を。そうすれば一生楽しく暮らせる」 「箸の持ち方使い方が悪いと、一緒に食べる人に不愉快な思いをさせる」 「つらくても、とにかく笑うんだ、笑っていればそのうちつらさが消える」 「節約は大事だが、ケチはだめだ。特に人のために使うなら気持ちよく使え」 母はそんなことを、私たち子どもに言ったことはなかった。 仕事や家事でヘトヘトで、そんな余裕はなかったんだろうなと今は思う。 だから、私を教育してくれたのは祖母だ。 母が出て行ったあとも、障がいを持つ父と精神的に病んだ弟を、一人で面倒を見ていた。 ヘルパーなどを頼めるような環境でもなく、私も妹も実家から遠く離れていたので、できることはたまに仕送りをするくらいだった。 それでも、祖母は誰にも頼らず文句も言わず、自分でできるギリギリまで、3人で生活していた。 介護施設にいたのは、2年ほど。 祖母の容態が悪いと連絡を受けたとき、私は下の子どもだけ連れて、祖母のもとへむかった。 ずっと意識がなかったのに、私と娘、妹とその娘が駆けつけたら、目を開いた。 真っ白に濁っていた目、その左目だけがハッキリと開いて私たちを見た。 「手をつないであげて…」 私は私の娘と妹の娘に言った。 ばあちゃんが常々言ってたことを思い出したのだ。 「死ぬそん時は、手ばしっかり握ってやらんばんとよ。一人で死ぬっとは怖かと。じゃっで、一人じゃなかよ、ここにおっとよち、手ば握らんばんと」 (死ぬ時は手をしっかり握ってやって、一人で死ぬのは怖い。だから一人じゃないよ、ここにいるよと手を握ること) 娘たちの手に私と妹も手を重ねた。 何か言いたげに祖母の口が動く。 「もうよかよ、ゆっくりせんね、父ちゃんと康(弟)のことは、私らがちゃんと見るから」 意識がなくなって、1か月。 死にそうで死ななかったのは、私たちが来るのを待ってたからだと叔母たちに言われた。 もう十分頑張ったから、安心して逝っていいよと言ってあげてと。 「おー!!」 ひとしきり大きな声で祖母が返事をした。 それが最期だった。 臨終の瞬間に、まだ小学生だった娘たちは立ち会った。 「死ぬ瞬間は怖いから手を握って欲しい」 祖母がそう言っていたことを叔母たちに話したが、 叔母たちには、そんな話はしたことがなかったそうだ。 母の一周忌を終え、その後祖母のお通夜と葬儀を執り行った。 火葬を終え、お骨を実家に持ち帰って祭壇に載せた。 昔、チビを抱いてそうしていたように、庭に出て空を見上げた。 きっと、祖母の星はとても大きい。 そんな気がした。
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