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第1話
宇宙船から降り立って見たのは、一面の青だった。宇宙港を取り巻く草原はその向こうにある林へとつながり、さらに奥に見える小山へとなだらかに続いている。目の覚めるような青色の植物に覆われた大地は、凪いだ海のようにも見えた。
「地球に似てるって聞いてたけど、本当にそんな感じ」
胸いっぱいに息を吸い込み、リノンは言った。湿り気を帯びた冷風が肩までの黒髪をなびかせる。この星の大気は地球よりも酸素が多いそうだが、短期間の滞在で影響が出るほどではないという。なにより、あの窮屈な宇宙服を着なくていいというのがありがたかった。
「ねえトラット。聞いてる? っていうか、生きてる?」
防寒ジャケットのファスナーを胸元まで下げ、中に潜り込んでいる相棒に呼びかける。茶虎模様の猫型人類は身体を丸めたままぴくりともしなかったが、さらにファスナーを下げるとリノンのシャツにしがみついて叫んだ。
「聞こえてるよ! ボクが寒いの苦手なの、知ってるでしょ!? こんなとこに放り出されたら、ほんとに死んじゃうじゃない!」
「死なないよ。日本の冬もこれくらい寒かったけど、猫は平気で外歩いてたし」
「あのねえ、キミの星の下等生物と一緒にしないでくれる? ボクは高貴かつ繊細な、惑星――の王子なんだからさ」
トラットは得意げに笑ったが、惑星の名前は雑音に置き換えられて聞き取れなかった。彼の星の言語には特殊な発音が多く、固有名詞はリノンが耳と襟に装着している通訳機では訳せない。だからトラットという呼び名も、リノンが勝手につけたものだった。茶虎模様と猫をかけ合わせた言葉だと知ったら、本人は怒るかもしれないが。
「それで、これからどうするの? ボクは今すぐにでも船に戻りたい気分だけど」
「駄目。今回は人と待ち合わせてるんだから」
溜め息をつき、ジャケットのファスナーをトラットの首元まで上げてやる。カイロ代わりにされている自覚はあるが、こうしているとリノン自身も暖かいので文句は言えない。
船内で合わせておいた宇宙旅行用の腕時計に目をやったとき、背後から「あのぉ」と声をかけられた。振り向くと、そこにはレインスーツに似た紺色の上下に身を包んだ人物が立っている。一六七センチのリノンより低い背丈に、透けるような白い肌。氷を思わせる薄青の髪。すべて、この惑星の支配的生物であるケルダ人の特徴だ。ただしその顔立ちは、鼻先まで覆う長い前髪で隠されていた。
「もしかして、リノン・サクラギさんですか」
ケルダ人は手に持った小型端末の画面とリノンの顔を見比べながら訊ねる。リノンがうなずくと、安心したように口元をゆるめた。
「やっぱりそうでしたか。ようこそ、惑星ケルダへ。僕は案内人のカイです。短いあいだですが、よろしくお願いします」
そう言って、胸の前でぱっと両手を広げる。ケルダ人流の歓迎のポーズだろうか。
「こちらこそよろしく」
リノンは微笑み、会釈で返した。襟につけた通訳機の出力部はリノンの台詞を拾うと、自動で現地の言葉に直して発声してくれる。トラットも同様の機器を身に着けているが、イヤーカフ型の入力部はともかく、チョーカーを模した出力部がリノンには首輪に見えて仕方がない。
「ところで、お連れの方は……?」
カイはなにかを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。
「ここだよ」
リノンの胸元でトラットが答えると、「うわっ」と声を上げてのけぞった。
「失礼、てっきりペットかかち……いえ、なんでもありません」
ごまかすようにふるふると頭を揺らす。無造作に一つにくくった長髪が、頭の動きに合わせてしなるように揺れた。
「サクラギさんは、北山の遺跡が見たいということでしたね。若い女性には退屈なんじゃないかと思いますが」
「そんなことないです。古いものに興味があるので」
ついでに童顔なだけでそれほど若くはないのだと話すと、やたらとびっくりされた。
「二十七歳!? うちの村の村長より年上じゃないですか! ああでも、僕たちとは寿命とかが違うのかな」
「そうですね。このトラットなんか、こう見えて三十九歳ですから」
「ちょっと、人をおじさんみたいに言わないでくれる? ボクの星じゃ、三十代はまだ子供だよ」
「三十九ですか……ケルダ人だったら、そろそろお迎えが来るころですが」
カイが言うと、トラットは機嫌を損ねたように黙り込んだ。聞けば、ケルダ人は十歳で成体となり、寿命は四十年前後だという。ちなみにカイは二十歳。ちょうど中年に足を踏み入れたところだそうだ。言われてみれば、前髪で半ば覆われた頬にはうっすら皺が刻まれていた。
「できれば遺跡だけじゃなくて、山裾にある二つの村も見てみたいんですが」
北山の遺跡はこの地方の観光地だ。ガイドブックによれば、その下方にある二つの村には、遺跡を作った人々の子孫が暮らしているという。
「ご案内するのは構いませんが、村には見て面白いところなんてありませんよ。そもそも観光地にもなっていませんし」
困ったように言って首を斜め上に向けたカイに、リノンは首を振る。
「村で見たいのは、景色じゃなくて人のほうですから」
口にしたとたん、カイの顔から笑みが消えた。
「……なるほど。じゃあ、村の事情はご存じなんですね」
「だいたいのところは」
惑星ケルダ出身だという人の情報だから、間違いはないだろう。
「わかりました。そういうことでしたら」
カイは表情を立て直すと、おもむろに空を仰いだ。船が着いたときはまだ晴れていたはずだが、今は分厚い雲に覆われはじめている。
「一雨来そうですね……。天気が崩れないうちに、まずは遺跡に向かいましょう。細かいことはおいおい話すということで」
カイは早口で言い、車を取りに駐車場へと走っていった。
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