第9話

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第9話

 夕暮れの広場に軽快な音楽が響いている。初めて聴くリズムなのに、どこか懐かしく思えるのは、使われている楽器がリノンの故郷のものと似ているからだろうか。 「トラット。これ美味しいよ」 「どれどれ――あちっ! なんだよ、まだ冷めてないじゃない!」  配られた料理をつまみながら、リノンとトラットは祭りの様子を眺めていた。昨日修理されたばかりの櫓からは、真新しい木の匂いが漂ってくる。櫓の前では二つの村の全住人が、境界線の左右に分かれて楽器を奏でたり、舞を披露したりしている。エルゼも嘘つき村の陣地で、優雅に舞を踊っていた。青紫を基調とした裾の長い衣装が、白い肌によく映えている。  そんな中、一人だけ両足で境界線を挟むように立っている人物がいた。ガイドの男性だ。彼は頭に包帯を巻いた姿で、小型の横笛を演奏していた。その堂々とした様子とは対照的に、周囲の人々は演奏や舞の手を休めては、ガイドをちらちらと横目でうかがっている。  ガイドが一人二役だったことは、村長を通じて二つの村の村人全員に伝えられていた。ただし、問題の負傷については、本人の不注意と不運な偶然のせいということにされている。意識が戻るなり、ガイド自身がそう言い張ったからだ。  やがて演奏と舞が終わると、人々は櫓を囲んで宴会を始めた。正直者は正直者、嘘つきは嘘つきで集まり、境界線の左右に二つの円ができる。いつもなら隣の円など見向きもしないのだろうが、今年はみんな、落ち着きなくそちらに視線をやっていた。正確には、その手前の境界線の辺りに。  境界線の真上に座っていたガイドは、突き刺さる視線を感じてか、ゆっくりと腰を上げた。人々の顔を見渡すと、両手を胸の前でぱっと広げる。それはリノンの故郷での会釈に当たる動作だった。 「今回は、俺の不注意で迷惑をおかけしました」  ガイドはきびきびとした口調で言う。声質はカイにもキバにも近いものがあるが、喋り方はどちらにも似ていなかった。おそらくこれが素の彼なのだろう。 「二人の人物を演じて、結果的にみんなを騙していたことも謝ります。たぶんもう気づいてるでしょうけど……俺は、二つの村のあいだに生まれた混血児です」  その一言をきっかけに、人々はにわかにざわつきだした。〈忌み子〉だ、ありえない、いったい親は誰なんだ――そんなあからさまな言葉が宴席を飛び交う。 「〈忌み子〉……確かにそう呼ばれることもあります。でも、俺は自分の血筋を恥だとは思っていません。遠い昔から続くこの仲違いが絶対的なものではないということを、俺の両親は示してくれたからです。だから、今からでも遅くない。祭りだけじゃなくて、ほかにも少しずつ交流を……続けていけば……」  ガイドは懸命に訴えようとしていたが、その声は消え入りそうにしぼんでいく。人々の非難がましい文句に圧されたのかもしれない。ガイドに向けられる視線は、純粋な興味から軽蔑へと種類を変えつつあった。 「ねえ、いくらなんでもひどくない?」 「……そうだね」  リノンが立ち上がろうとしたときだった。 「もっと騒ぎなさい」  凛とした声音がざわめきを裂く。宴の輪を離れてガイドの隣に立ったのは、エルゼだった。 「私は彼の意見に反対よ」  エルゼは背筋を伸ばし、嘘つき語でガイドを援護した。二つの村が交流を続けて混血児が多く生まれるようになれば、やがて突然変異そのものが消滅するかもしれない。そうすれば正直者も嘘つきもいなくなり、村同士がいがみ合うこともなくなるだろう、と。エルゼは毅然として見えたが、その指先がかすかに震えているのをリノンは見逃さなかった。 「そう、昔に戻るだけです。協力してこの遺跡を作り上げた、俺たちの先祖の時代に」  エルゼの手をさりげなく取り、ガイドは言葉を継ぐ。その瞳はもう揺らいではいなかった。  ざわめきは潮が引くようにやむ。それまでガイドを非難していた男性の一人が、振り向いて櫓の向こうの石柱群に目を移した。つられたように、ほかの人々もそちらを向く。ガイドとエルゼの言葉をどう受け取ったかはわからないが、まだ村が二つに分かれる前の繁栄の時代に、それぞれ想いを馳せているのかもしれない。  そう簡単には変わらないだろう、とリノンは思う。何世代にもわたって続いてきた仲違いは、これからも当分のあいだは続くはずだ。それでも、いつかは二つの村が手を取り合う日が来るのかもしれない。人々を縛る突然変異も、境界線もなくなる日が。 「おい、うちのエルゼにもっと触れ。まさかつき合わないつもりじゃないだろうな」  大声に我に返ると、サルダリが薄い唇を吊り上げてガイドを小突いていた。娘についた虫を追い払うにしては、どこか楽しげな表情だ。エルゼから本当の父親のことを聞かされていないサルダリは、自分こそが父親だと信じて疑わないのだろう。リノンは複雑な思いで彼を見つめる。  そんなとき、当のサルダリがこっちを見た。一瞬にやりと笑ったその顔に、はっと気づかされる。まるでこっそりなにかを伝えようとするような、意味深な表情だった。もしかしたら彼は、あの日キッチンで、リノンたちの会話に耳を澄ませていたのかもしれない。娘と血がつながっていないと知った上で、それでも父として生きることを選んだ。今の笑みをそう解釈するのは、深読みしすぎだろうか。 「村長、もっと言ったほうがいいですよ」  緊張が解けたのか、嘘つき村の一人が苦笑混じりに言う。正直村の人々もつられて笑った。 「いい夜だね」  リノンはトラットを膝の上に抱き上げる。遺跡の中央で燃えるたき火の炎が、広場一帯を赤く照らしていた。紺碧の空を仰げば、無数の星の瞬きが見える。あのケルダ人の男性は、今のどこかを旅しているのだろうか。澄んだ紫の瞳は、今思うとエルゼに似ていた。  談笑の中、ぱちんと音をたてて炎がはじける。舞い上がった火の粉が、つかの間の赤い星となって夜空を彩った。 (了)
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