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その2
だだっ広い大石田駅を出ると、外は雪だった。予想通りだ。
ここには雪しかない。パンクもロックもない、自由もない。
少なくともアイヴィーはそう思っていた。だから、自由を求めてここから飛び出したんだ。
今が自由なのかどうなのか、それは彼女にも分からない。
久しぶりの本格的な雪道。Dr.マーチンが若干滑るのを注意しながら、アイヴィーは駅から歩いてすぐの宿に向かった。
尾花沢市の中心部へ出るには、同じ市内ではないのだが大石田駅の方が近い。アイヴィーも学生時代はこの辺りをよく歩いていた。
「M旅館」という名前の宿。旅館と名乗っているがビジネスホテルだ。今回の帰省には合っている気がする。
幸いにも職員に顔見知りは誰もいなかったが、フロントでは「テレビ拝見してます」「こちらへはお仕事ですか」などと盛んに声をかけられた。
こんな赤い髪のパンク女が地元の人間だと知ったら、どんな反応をするのだろう。それを確かめる勇気はなかった。
チェックインまでにはまだ時間がある。荷物を預かってもらい、アイヴィーはタクシーに乗って市役所へ向かった。
メジャー・デビューが決まり、住まいを手配してもらう段階になって、アイヴィー自身が家出状態で住民票が宙に浮いているというのが少し問題になった。
保険証は未だに父親の扶養を維持してもらえているようで、今後はそれなりの収入が見込まれる(という打算も嫌だが)のに、いつまでもそんな状態では良くないとも思う。
そんな理由で年も押し迫ったクリスマス明けに、休みを利用して3年ぶりの地元へ戻ってきたのだが。
本当は、そんな手続きは電話連絡で十分対応できた。アイヴィーはもう二十歳で、転出に親の承諾は必要ない。あとは東京で転入手続きをすれば保険証も新しく作れる。
アイヴィーが帰ってきた本当の理由。
シンが行方不明になった時、シンの家族と連絡を取ろうとしたが、部屋を探しても家族の写真一枚、手紙一通出てこなかった。シンもまた、自らの過去を捨ててきた。
「シンちゃんの実家の連絡先でも分かるといいんだけど。」
「音信不通ってのも、こういう時に困るね。アタシも反省しなきゃ。」
松下のおばちゃんとそんな話をした。そのことがやけに引っかかっていた。
もう自分の所在を隠す意味はなくなっていた。アイヴィーの姿は全国区で放送され、彼女の歌声も尾花沢まで届いているだろう。父親が事務所に連絡してこないのが不思議なくらいだった。
“それとも、もう娘ではないと思われているのか。”
自分から捨てて出てきたはずの故郷。最近、やけに気にかかるようになっていた。だから事務手続きを大義名分にして、ここへ来た。
それでも。
実家へ電話する勇気はない。いまだに家族と、父や妹とどんな顔をして会えばいいか分からない。
そもそも、会うべきか会わざるべきかも。
こっちに着いてから考える前に、絵里子に会ってしまった。これも運命なんだろうか。
手続きはすぐに終わった。役所の職員はアイヴィーの顔をジロジロ見たが何も言わなかった。
タクシーで宿に引き返し、併設されたカフェに入ってコーヒーを注文した。
まだ昼の3時にもなっていない。他にお客は誰もいなかった。
何となくスマホを見ると、絵里子からLINEが届いていた。
『今夜、駅前のお店でどう?優夏と沙耶も絶対会いたいって!』
「やれやれ。」
アイヴィーはため息をついた。
絵里子が優夏と沙耶に連絡するのは分かりきっていた。当時、アイヴィーがよく遊んでいたグループなのだから。
絵里子とも腹を割ってじっくり話をすれば、それなりに何かが見つかるとも思ったのだけど。サシ飲みするのと4人でワイワイ飲むのではだいぶ違う。
気心知れた仲ならともかく…他の二人に関しても、正直言って何の感情も感慨も持っていないのだ。
おそらく、薄っぺらい話に終始して終わるのだろう。
それでも、まだ実家に帰る気にはならない。といって、他に何か予定があるわけでもなく。
一人で夕食を取る気にもならないし。
しょうがない、薄っぺらい話に付き合うとするかな。
アイヴィーはコーヒーをすすりながら『時間と場所を教えて』とLINEを返した。
チェックインを済ませ、簡素な部屋に荷物を置くとアイヴィーはシャワーを浴びた。風呂上がりに化粧をするのは面倒だが、ごく簡単にメイクを施す。
わずか2~3年前、絵里子たちとは「ほぼ」すっぴんで出歩いていた。まあ当然だ、ただのマジメな学生だったから。
今は違う。アイヴィーは外の世界で揉まれ、闘い続けてきた。まして絵里子たちに心を許す理由もない。
今夜の化粧はつまり、アイヴィーのガードされた気持ちそのまま。
いま、自分のすっぴんを見せてもいいのはシンだけ。
「シン、どうしてるかな。」
そんなどうしようもない思いをいっとき振り払い、アイヴィーは着替えを始めた。
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