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ゼロ距離で
ガラス越しの挨拶が二文字になったのはいつからだったろう。
あいつは、俺にとって――
この屋上からは、空しか見えない。昇降口を抜けたら、給水タンクがあるだけの真四角の場所。二メートルもある高すぎる縁から覗くほど下が見たいわけでもないから、必然的に上を見ることになる。
薄汚れたグレーの壁の上にぽっかりと開いた穴は、どんより濁ったねずみ色。
俺も千賀も揃ってスラックスに手を擦りつけて、少しでも暖をとろうという仕草をしてしまう。気付いて、目を合わせて苦笑した。
「んで?」
なるべく早く中へ戻ろうという意思を込めて促すと、千賀はくっと顎を引いた。
それから、眉根を寄せて、左耳からゴムを外す。ぷらんと垂れた使い捨てマスクが、風に煽られて飛んでしまいそうだ。
「なあ、同性間の性行為ってさ、どういうのが該当すると思う」
道理でこんな場所に呼ぶ筈だ。納得の内容で問われ、肩に力が入る。
千賀が言っているのは、きっとネットの噂に起因している。
曰く、【H2Mrウィルスは、同性と性的接触が多い人ほど抗体がある】――誰がどんな根拠で呟いたのか、冗談だったのか悪意が在ったのか。今となっては元は判らないし、割り出したとして、真偽は判らない。少なくとも、一介の高校生でしかない俺たちには。
ただ、まがりなりにも進学校であるここでは、それは大っぴらに流布されたりはしなかった。だからこそ、千賀は俺をここに連れてきたんだろう。
「性的って言うくらいだからな。粘膜とか、分泌物とか触れたり取り込んだりしないといけないんだろうな」
真っ直ぐに見つめて応えると、千賀の瞳が揺らめいたように感じる。
「あの、さ」
千賀の喉仏が動く。間違いなく同性であるというしるしなのに、下半身から何かが上ってくる。得体の知れない熱が。
それは、ここに来た時に感じた胸の苦しさと相まって、俺を落ち着かなくさせた。
そ、と。千賀の手が伸びて、俺の髪に触れた。数センチだけ高い俺の縦長の頭をゆっくりと辿り、耳の後ろを指先が掻く。ぴくんと肩が跳ねた。合わせて千賀の指も跳ねた。それでも逸らさない視線にまた喉仏が動いて、俺の指先も熱くなってくる。
指先が耳朶を挟み、また耳の後ろを辿ってマスクのゴムを外す。
突風が吹き抜けた。
あ、と声だけがマスクを追った瞬間、千賀との距離がゼロになっていた。
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