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唐突に
間抜けに瞠目したままの俺と、それを見つめているはずの、開いたままの目。近すぎて何も判らない。ただ、敏感な器官が粘膜に接触し、あまつさえ俺の器官を絡めとリ搾るように力を込めてきた。
濡れた音と、それを嚥下する音。送り込まれるさらりとしたものに、俺も喉を鳴らす。
触れたり、取り込んだり。
自分で言った言葉が、体現される。何故か、千賀によって。
抗う気にはならず、怒りも湧かず、ただ瞬間の驚きの後に、当たり前のように受け止めていた。
言葉もなく、ただ、ふたりだけの空間で、無心に啜りあっていた。
電車内で「はじけられ」ると逃げ場がない。銘々が考えたに違いなく、あの事象を目にした後、自然と自転車通学の生徒が増えた。
例に洩れず俺も自転車で通っていたんだけど、ある日寝惚けていたのか、気付くと駅に着いていた。引き返して自転車に乗る時間もなくて恐る恐る改札をくぐると、構内は閑散としていた。
くたびれた吊るしのスーツを身に着けたおっさんが数人。そして駅員が視線を彷徨わせているホームに立ち、息を吐く。
多数が同じ考えに至った結果、車内は空いているんだろう。すぐにやってきた上り電車に乗り込むと、自分の考えが間違ってはいないことを知る。
数メートルおきにしか腰掛ける人のいない座席。立っている人もドア付近に固まることなく、距離をとって吊り革やバーに掴まったり、バランスを取って通路の中央に立っている。
俺も慎重に距離を測って、ドアと付近の通路の中央に立った。
じきにアナウンスがあり、電車が減速する。ブレーキに備えて下半身に意識をもっていきながらもなんとなく外を眺めていると、ホームに見知った顔があった。
通り過ぎる瞬間に、相手も口と目を開き、停車して開いたドアに慌てて駆け込んでくる。ひとつ向こうの車両の乗車口に立っていたのに、わざわざこっちに来たようだ。
「おはよ、旬」
僅かに息を弾ませ、千賀が俺の傍に立つ。ポケットから出したマスクをしている間にドアが閉まり発車した。
口が隠れてしまうのが、惜しい気がするのはなんでだろう。顎がほっそりしていることに、さっき初めて気付いたし。
真横ではなく、向かい合うでもなく、互いの顔が全部見えながらもそれが視界の全てではない。そんな絶妙な位置取りのまま、俺たちは立っていた。
昨日の接触の際も、その後も、俺の身体には変化がないように思う。
あんなの都市伝説だし、仮に効果があるとしてもそんな一朝一夕に出るもんでもないだろうし、出ているとしても自分で判るようなもんじゃない。
それなのに、クラスメイトの一人でしかなかったはずの千賀に対して、怒りだとか嫌悪だとかそういった負の感情が湧かないのが不思議だった。
昨日気付いたばかりの奥二重の瞼を見つめていると、はたはたと落ち着きなく上下していた睫毛が上がり、つまり俯いていた千賀が顔を上げて、横目で俺を見た。
「な、なんだよ」
「んー。なんだか感慨深くて」
そのままじっと主に目の辺りを見つめていると、千賀は居心地悪そうに身じろいだ。
鞄を持っていない方の手でやたらと耳の上の髪を掻く仕草を繰り返し、その耳が赤くなっていることに気付く。
「照れてんの」
少しだけ顔を寄せて囁くと、千賀は息を呑んで片足を引いた。見開かれた目を覗き込んで微笑みかけたけど、そういえばマスクで見えないんだった。
早くマスクなしでいられる場所に行きたい。
車内アナウンスが終わってから、俺はもう一度顔を寄せた。ぴくんと千賀の肩が跳ねたけれど、今度は引かれなかった。
「また、昼休みに」
性的接触の、次の段階に進んでみようと、唐突に思い立った。
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