ブラジャー狩り

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「ブラジャー狩り」  私は昔から工夫して遊ぶのが得意な子供だった。  積み木がなければ、親が飲んだ後のビール缶を積んで永遠に遊べた。空のビール缶を高く積んで倒す。すると、床に落ちたビール缶は凹んで戻ろうとするそのとき、それはそれは気持ちのいい音がしたものだった。  小学生の頃も私は工夫を強いられることになった。毎週宿題として出ていた、週末の出来事を書く日記、それを書くことにいつも困ったためである。このような悩みを抱える子供はクラスの中でも私だけでなくて、同じ悩みを抱える者は皆、嘘の日記を書いた。自分の理想の週末を思うがままに書いた。家族とテーマパークに行った、映画を見た(ちなみに日記に出てくる映画はまだ公開していないこともしばしば)、富士山の上でおにぎりを食べた等々。私は嘘と理想で溢れた彼らの物語を偶然目にしたとき、私はそうはなりたくないと思った。理由は二つある。一つはいつも真摯に接してくれる先生に嘘を付きたくなかったから。もう一つは、自分の理想の週末を描く行為があまりにもみじめで、私にはできなかったから。  かくして、私はなんとか工夫して日記のネタを探すことにした。  とりあえず近所の公園に行ってみた。子供の足で行ける距離なんてごくわずかだったためだ。そこでは上級生の私よりも一回りも二回りも大きい男の子たちがサッカーをして遊んでいた。私はその輪に入ることができなかった。 「一緒に遊んで」  このたった一言が言えず、じっと、秩序のない彼らのプレーを眺めていた。  ふと、彼らがゴール代わりにしている大きな木が目に入った。  気が付くと、利き足を木の窪みにかけていた。  今の孤独は陸にいて誰か遊んでくれる人を探していることにより生じたものだ。  木登りをすることを、公園に来た目的とすれば、私はもう孤独ではない。  今、私は遊んでいる。  ちゃんと遊べている感覚を得られた。  私は幸福だった。  その週末、私は日記に木登りをしたことを書いた。加えて木の上から見た景色を嘘偽りなく書いた。月曜日は相変わらず、「えっふぇるとおにいきました。」とか書いてある日記を見たが、私は自分の日記を堂々と先生に手渡した。
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