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一組の親子がそのイラストの前を通った。
小さな少女は、その藍色のシンプルな額縁に入れられたイラストを見上げて立ち止まる。
「この子、可愛そう」
少女の声と感想を受け、母親もそのイラストを見た。
「あら、素敵な絵ね。お上手だわ」
そして、その親子は教室を出て行った。
その様子を見ながら僕はどこか悶々とした気持ちを抱いていた。
「やい、佐久間。もう、客出て行ったんだから、そんな顔するな」
「あぁ、すまん。いや、なぜかちょっと緊張したよ」
「何がだよ。お前の絵は展示してないし、そもそもお前は部員じゃないだろう」
「そのはずなんだが」
九州総合大学、通称『九総大』は県一のマンモス校で知られる歴史あるキャンパスであり、毎年秋に学芸祭を行うことで有名だ。
学芸祭では様々なゼミや部活が展示や屋台を出しており、今私はデジタルアート部という現代的な部活の展示室にいた。目的は、友人の曽根崎がデジタルアート部であり、他の部員と受付を行うはずだったのだが、寝坊でその部員がこれず急遽私が呼ばれたのだ。
曽根崎が言った通り私は部員ではないが、私はよく曽根崎と共にデジタルアート部の部室にお邪魔する関係であり、高校時代は曽根崎と共に美術部の経験もあることから、部活に参加することもあった。
しかし、理解ないものに絵を見せることに私は抵抗を持つ。
「さてと」
客もいなくなり、がらんどうとなった展示室の中、壁に掛けられたイラストたちを一巡する。デジタルアートとは言うが、その中身は幅広い。アニメチックなキャラクターのイラストもあれば、写真と見間違うような風景画もある。アートとしか表現できないような抽象的なものもある。
そんな様々なデジタルアートの世界を巡っていくと、必ず足を止めてしまう一枚がある。それは先ほどの親子も足を止めた一枚。
「気になっているみたいだな」
「あぁ。なんでだろうか、この絵を他人事のように思えないのだ」
「わかる。俺ほどになれば、モナ・リザだって他人事じゃない」
「……茶化すのか?」
「その方が、気が楽になるだろ?」
「まぁ、な」
そのイラストに向き合う。
パッと見、夜の街を描いているように見える。雨降る都会の夜。カラフルな街灯は雨によってぼんやりと光り、車のライトが水たまりを濡らす。どこか寂しく、悲しい風景。
そして、その景色のど真ん中に違和感が存在する。まったく別のコンセプトの絵を切り取りこの風景の中に張り付けたような。それだけ、その人物は異彩を放っていた。
題名【雨ノ街のアりす】
そう、そこに写っているのは紛れもない童話『不思議の国のアリス』い登場するアリス。白と水色のドレスに、金色の髪。大きなリボン。
アリスは雨に打たれながら雨空を見上げている。髪が張り付き表情は見えず、頬に伝う雫は涙なのか雨粒なのかは解釈次第だろう。そして、アリスの足元に転がるビニール傘、寄り添う汚い猫。
現代的な風景に紛れる童話のキャラクター。純情な表情に似合わない悲惨な情景。
あの少女が可愛そうと感想を抱いたことに頷く。
あの母親が素敵な、上手な絵といったことに悶々と頷く。
心を刺す芸術は不可視だ。でも、この作品。水準は高いがやはり一大学生が描く趣味程度の作品。今時ならネットの中で一日一枚は目に通るレベル。見えてきそうに思える。されど、分からない。
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