君に溶けて

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 この時、僕の中に決して人には言えないような、黒く、それでも光るものが生まれた。  僕は聞きたい。気丈にふるまう彼女の軋む音を。  僕は見たい。強くあろうとする彼女の根を。  そうしたら、僕の地獄の平凡も、何か劇的になる気がするんだ。その時のために生きてたんだって思えるかもしれない。 「自由になりたいんだろ」  彼女から零れた本音が、雫となって紅茶に波紋をつくる。 「……なりたいわよ、でもそんなこと出来ないっ。リセットボタンを押して全部綺麗に最初からやり直すなんて。やりたいことを見つけて、必死に生きるなんて人生。もう、無理なのよっ」  彼女の目が赤くなっている。まるで帰り道の夕日みたいに綺麗だ。  夕日から溢れる雨。  ほら、ここからだ。今から僕の人生は平凡から抜け出して劇的になる。 「大丈夫、任せてよ」 「……え」  きょとんとした彼女に出来るだけ優しく話す。 「今日は僕の部屋で寝ていいよ。僕はリビングで寝るから」 「そんな、悪いわよ。何から何まで」 「全然、今日くらいはゆっくり休んでよ。清水さんを襲おうとするやつも、手を上げる奴もいないんだからさ」  清水さんは何も言わずにゆっくり頷いた。 「そうだ。清水さんの住所教えてよ、何かあったらすぐ行くから」  ちょっとキザすぎたかな。  案の定清水さんは少し警戒した様子だったが、すぐに微笑んで教えてくれた。  蜂蜜紅茶でここまで好感度が上がるものなのか。  少し話した後で清水さんを部屋に案内した。 「ねえ、本当にベッド使っていいの?」 「いいよ全然。清水さんが嫌じゃなかったらだけど」 「ありがとう」  お礼を言った清水さんがベッドに入る速度は尋常じゃなかった。音速くらい。  部屋を出る時に清水さんに確認したいことを聞いた。 「ねえ清水さん、もし、もしだよ。今の両親がいなくなって、もう清水さんと関わらなくなったら、嬉しい?」  清水さんは僕のベッドで丸まって少しの間考えていた。 「そうね、すごく嬉しい。でもあの人は、もうお母さんなんて呼ばなくなってしまったけど、あの人とは、出来るならもう一度やり直したい」 「そっか、きっと出来るよ。仲直りだって出来るし、やりたい事を必死に出来るようにもなるよ」  清水さんは丸まったまま壁に向いている。 「……うん、ありがと」 「じゃあ、おやすみ」 「……ねえ、竹田君」 「うん?」 「私、あなたのこと、好きになってるのかもしれないわ」 「そっか」  僕はゆっくりと扉を閉めた。  閉める時、すごく小さかったけど「おやすみ」って、確かに聞こえた。  自分の口角が上がっていることに気づいた。幸せだ。 さあ、ここからだ。
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