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「やあ、また会ったね」
涼やかな声とともに、彼は現れた。
昼間の暑さはなりをひそめ、草木も眠る時刻になれば、肌に感じる空気もすこしひんやりする。月明りの下、近づくにつれ見えてくる穏やかな微笑みに、私は胸を高鳴らせた。
彼に初めて会ったのがいつだったのか、正確にはもう覚えてはいないけれど、あれはまだ、吐く息が白くにごる寒い冬のころだ。
それ以来、ふと思い出したようなタイミングで、私は彼に出会う。
すんなりと家に帰る気がしない時に立ち寄る、近所のちいさな公園。
集合住宅からすこし離れた場所にあるせいか、陽が落ちると誰もいなくなるのだ。長時間ベンチに座って、ぼーっと空を眺める酔狂なひとは、そうはいないだろう。
だからこそ、この夜空を独り占めのつもりだった。いってみれば、穴場スポット。
それを、邪魔しはじめたのが、彼だ。
名前は知らない。
私も名乗ってはいないのだから、まあ、お互いさまだ。
そんなあやしい関係だけど、私は彼がいる空間が嫌いではないし、むしろ居心地がいいと思っている。
ブラック企業に勤めているわけではないけれど、日々の仕事に疲れてしまう瞬間は、誰にだって訪れると思う。
そんなとき、私はこの公園のベンチに座る。
日常のわずらわしさから解き放たれたような、そんな安らぎをもたらしてくれる。
心の奥に沈殿している鬱屈とした気持ちが晴れて、おだやかさを手にいれることができる、私にとって貴重な時間だ。
たぶん彼も、おなじなのだろう。
私たちは最初のあいさつを交わしたあとは、それぞれ黙ったまま、ただ夜空を見上げて過ごす。たいていは私のほうが先に帰ってしまうのだけど、そんなときでも手を振って見送ってくれるだけ。
私と彼は、この公園の中だけで完結していて。
だけど、なんとなく繋がっているような気がしている。
もっともこれは私のひとりよがりな気持ちであり、彼がどう感じているのか、本当のところは知らない。
でも、嫌われてはいないと思っている。
願望かもしれないけどね。
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