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彼が何者なのかとか、そんな疑問は不思議と消えていた。
それぐらい彼は、もともとヘンテコなひとだったのだ。
エキゾチックな顔をしているくせに、流暢な日本語を話す。
出会ったときから変わらない、季節感のない服装。
まるで生活感のない――、なんだか別世界の住人のような雰囲気で。
私はきっと、どこかで恐れていたのだ。
だから訊かなかった。
なにも訊こうとはしなかった。
怖かった。
知るのが、怖かった。
彼が人間じゃないのかもしれないことが、そんなひとにうっかり好意を抱いているかもしれないことが、ひどく恐ろしかった。
ああ、でも。こんなことになるのなら、もっとちゃんと話をすればよかったのだ。
時間はいくらでもあったのに。
あると思っていたのに。
けれど、すべては私のくだらない感傷だ。
笑みを浮かべた彼には、なんの関係もないことなのだ。
だから私も、せいいっぱいの笑みを浮かべて、彼に告げる。
「もう迷子になるんじゃないわよ」
「迷ったら、また見つけてくれるかい?」
「甘いココアを用意して待ってる」
季節が変わって自販機から消えてしまった、彼の大好きな飲み物。
それは、うれしいな。
弾んだ声を残して、光は消えて。
そうして、彼の姿も消えた。
銀色の燐光が、霧雨のように降りそそぎ、私を濡らした。
以来、なんだか気が抜けて、あの公園から足が遠のいてしまった。
くだらない感傷だと笑わば笑え。
私は自分で思っていた以上に、あのひとのことを好ましく思っていたらしい。
胸にぽっかりと空いた喪失感を埋めるものが、見つからない。
あの日は、月と地球の位置に関係する特別な日であったらしく、まったく同じことが起こるのは、六十年後になるのだそうだ。
ならば、それまで生きていたら、私はふたたび彼に会うことができるのだろうか。
すっかりおばあちゃんになった私に、気づいてくれるだろうか。
それとも、私のことなんて忘れているだろうか――
そんなことを考えていたせいだろう。私の足は、ひさしぶりに公園に向かっていた。
今宵は満月。
いつもよりずっと明るい月光のおかげで、目的のベンチも不思議と浮かび上がって見える。
公園の入口で、私は立ち止まった。
ベンチに腰かけているひとがいる。
気配に気づいたのか、そのひとが顔をこちらに向け、そして立ち上がった。
一歩、一歩。
そこへ向けて、私は地面を踏みしめる。
「やあ、また会ったね」
「……また、迷子になったの?」
「ちがうよ。今度はきちんと許可を取ってここにきたんだ。もう一度会って、君に聞きたいことがあったからね」
「聞きたいことって……?」
「君の名前を教えてくれるかい?」
涼やかな声が、耳の中にすべりこむ。
本当に、なんてずるいのだろう、このひとは。
こみあげてくる涙を呑みこんで、私は口を開く。
夜空にひとつ、流星が走った。
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