ズレる

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ズレる

 社会人の俺には夏休みなんてものは無いから、伊織との初旅行が終わると、翌日にはいつも通り、当たり前の様に仕事の予定か入っていた。本当は恋人との初エッチの余韻に浸りたくて今日も休みたかったのだが、伊織が暗い顔で「仕事行って下さい。マジで」と朝早くから家を追い出され、仕方なく出社したのだ。  でも、俺のわがままで1晩泊めてくれただけでも良いのか。  車を返した後、俺は甘えるように帰りたくないなぁとずっと伊織の横で連発していたのだ。そしたら渋々家に泊めてくれて、でもまた何時ものように添い寝だけ。やっぱりアレは酒が入らないと起らない奇跡なのかもとちょっと落ち込んだが、昨晩の伊織はどこか様子が違っているようにも思えたのだ。それで今朝の、不機嫌顔。  ……なんだろ。俺、なんかしたかな。  会社の同僚達にお土産のお菓子を配って回った後、俺は自分のデスクに着いて思い当たる節が無いか考えていた。が、やっぱり最終的に辿り着く原因は一つしか無いよなぁと、ため息を吐く。 「……男は無理でしたとか……やっぱそういう事?」 「どういう事ですか?」 「ぅわっ!篠崎!?」  ボソリと呟いたはずの独り言に返事があったので、俺はびっくりして声の方を振り仰いだ。するとそこには澄まし顔の篠崎が立っており、長身というのもあって、かなり高い位置から見下されているようにも思えた。 「……お土産、ありがとうございました」 「お、おう……喜んでもらえたのなら、良かった」 「で、誰と行ったんですか?旅行」 「え?えっと……」  答えに戸惑っていると、篠崎は息を吐いては隣りのデスクに座った。その顔は何時ものワンコ系ヘタレ後輩の面影が一切無くて、少し怒っているようにも見える。  ……そうだよな。俺、コイツに告白されたのに今だに返事してないし、事あるごとに避けて逃げまくってたもんなぁ。少しでもその話題が出そうになったら全力で別の話題を振ったし、だから諦めてしばらくは話しもろくにしていなかったのだけれど。  まだ俺の事、好きだったりすんのかな。  俺は複雑な気持ちで、篠崎の方をチラリと見て正直に話した。 「こ、恋人と……1泊ほど……」 「……あの生意気な学生ですか?」 「!」 「大丈夫ですよ。誰にも言いませんから」  篠崎は俺の反応で悟ったのか、やっぱりそうかぁとデスクに項垂れて、俺があげた土産物のお菓子をいじいじと弄ってはまたため息をついていた。  相当ショックだったのか、目の端に薄っすらと涙さえ滲んでいる。  あ、いつものヘタレ篠崎に戻った。  後輩のそんな姿にちょっとだけ安心してしまう俺は、優しくない先輩だ。でも、本当に篠崎に嫌われても良いから、俺は伊織との関係を誰にも邪魔はされたくは無いと本気で思ってもいる。  俺は仕方ないとばかりに息を吐いて、さっき部長から貰ってきた仕事の書類で篠崎の頭をポンと軽く叩いた。 「その……悪かったな。お前の気持ちに応えられなくて」 「え?」 「だから……、もうこれでこの話はお終い。仕事するぞ、仕事」  書類をそのまま篠崎のデスクに置いて、俺は目の前のパソコンに電源を入れる。  自分がフッた相手の励まし方なんて、俺は知らない。だから頼むから、もういつも通りでいてくれよ。  今日も出来る限り篠崎には関わらないでおこうと決めた途端に、神様の気まぐれは俺を襲うのだ。 「……あの、福田先輩」 「ん?」  渡した書類を確認しながら、篠崎があっけらかんとした口調でボソリと俺を脅しにかかる。 「前言撤回です。今日、飲みに付き合って下さい。そしたら恋人の事、秘密にしますから」  書類を盾にコチラを見るその目は、何か良からぬ事を考えているようにも思えてゾクッと鳥肌がたってしまった。  ……え、なにコイツ。フラれた相手を飲みに誘うとか、メンタル鬼かよ。  今日までは確か、伊織はバイトが休みだと言っていた。だから篠崎がいつもの居酒屋に行きましょうと言っても断らなかったし、飲んだ後に伊織に電話して、甘えて泊まらせてもらうのもいいなぁと下心があったのだ。だから俺はその意見に賛成したのであって、決して他意はなかった。  が、いざ店ののれんをくぐればそこには、明るい茶髪の、ピアスを開けたイケメン大学生がいるで、驚きのあまり挙動不審になってしまっていた。 「……晴弘さん、アンタ懲りないっすね」 「や、えーっと……これはだな」 「え?先輩の彼氏って、ここでバイトしてましたっけ?」  余計な事を言う篠崎の腹に肘をお見舞いしてやり、即刻黙らせる。  俺はコチラを睨んでいる伊織の気を逸らす為に、これまた無意識に墓穴を掘ってしまう。 「伊織は?今日はバイト休みじゃ……」  すると彼は目を細めて、冷たい視線を向けてくる。 「同僚にシフト代わってくれって言われたんで、出てんです。つーか、俺が居ないからってこんなところで堂々と浮気っすか」  普段の俺なら、伊織が嫉妬してくれてると喜ぶだろう。しかし、今はそんな気分じゃない。朝にあんな態度を取られたのがまだ理不尽に思い出されて、俺も八つ当たりのように伊織へ言葉を返していたのだ。 「はぁ?別にそんなんじゃないし!俺はただ、会社の後輩と酒を飲みに来ただけで」 「……あっそ。だったら勝手にして下さい。俺には関係ないんで」  あっさりと言ってのける伊織に、俺はとうとうカチンときてしまった。  やっと両想いになれたのに。もっと仲良くなれると思ってたのに。身体を重ねてみて、やっぱりダメだったなんて……そんなの悲しすぎる。  ……伊織のバカ。  俺は、感情に任せて言ってはいけない事を口にしてしまっていた。 「……伊織はまだ子供だから、大人の事情なんて分からないんだよ」 「っ!」  当然、そんな事を言われたら誰だって怒るに決まっている。  彼は奥歯を噛み締めるように口元を歪めると、何かを言おうと口を開いた。しかし彼の背後から「柴?どーした?」と無精髭を生やした店長らしい男性が顔を出したので、その場の空気が一瞬固まってしまう。  伊織はゆっくりと店長を振り向いて、しかし小さな声で誤魔化してしまうのだ。 「……なんでもないっす」 「そうか」  だが、俺はその事にまた腹を立て、踵を返していた。 「帰る」 「えっ、先輩?」 「酒買って、お前んちで飲むぞ」  大股で店を出ようとすると、不意に腕を掴まれる。振り返れば伊織が慌てたような表情で俺を見ていたが、ハッとしたように手を離してしまい、そのまま目も逸らしてしまう。  それに対して、やっぱり触るのを躊躇ってるなと感じた俺は、益々感情がぐちゃぐちゃになってしまっていた。 「……篠崎、行くぞ」 「あ……はい」  俺は黙り込む伊織をその場に残して、代わりに篠崎の腕を掴んでは静かに店を出たのだった。
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