嫌わないで

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嫌わないで

 嫌がらせとか、八つ当たりとか、気を引きたいとかそんな理由じゃなくて、ただただ悲しかっただけなんだ。  だから、あんな心無い言葉を浴びせてしまった。  ……やっと両想いになれたと思ったのに。  缶ビールを片手に、俺は大きなため息をつく。  伊織は元々あっさりとした性格をしている。自分を隠すように他人を遠ざけていたからかもしれないが、言葉や態度で境界線を引いてしまうのだ。  俺はようやくその中に入れてもらえたのだと思っていたのに、簡単に追い出されてしまったから、余計に寂しいのだと思ってしまう。  酒のつまみとして買って来た燻製や惣菜も、何だか味気無く感じる。早く伊織の手料理が食べたいと再度息を吐けば、隣りに座っていた後輩の篠崎が心配そうに顔を覗き込んでくる。 「あの、先輩……良かったんですか?」 「……なにが?」 「彼氏にあんな態度取って。誘った俺が言うのもなんですけど、やっぱり今日はやめるべきだったんじゃ……」 「うるさい」  年上の先輩が拗ねるのが面倒くさいのは分かってはいるが、今回ばかりは許してくれ。  俺はテーブルに頬杖を付き、死んだ顔でまたため息をつく。  そうだよ。そもそもの原因は篠崎だ。コイツがあんな脅しをしなければ、俺は今日は大人しく自分の家に帰って、翌朝また仕事へ行き、週末には伊織の家でイチャイチャ出来るはずだったのに。  ……あーでも、伊織のヤツ、なんか冷めてる様子だったからなぁ。  本当に、俺の事が嫌になってしまったのだろうか。もしそうなら……俺は……。 「福田先輩」 「ん?」  篠崎の声で我に返り隣りを見れば、彼は眉尻を下げて何故か苦笑いをしていた。 「やっぱり、俺と居ても楽しくないですか?」 「……なんで?」 「だって先輩、さっきからずっと機嫌悪いじゃないですか」  そんなの、全部お前が悪いからだ。  そう思ってはいても、絶対に口には出さない。いや、出さないと言うより、出せないと言った方が正しいか。今の俺は上手く行かない全部の事を篠崎のせいにしようとしているが、実際には俺自身が悪いのだ。誰かのせいにして、自分が楽になって、見たくない現実から逃げようとしている、卑怯な人間である。  ……ああ、伊織に会いたい。謝りたい。  俺は缶ビールを置いて、理不尽にもジロリと篠崎を睨んでいた。 「……俺、まだお前に謝ってもらってないし。そんなヤツに飲みに誘われて、挙げ句の果に伊織に勘違いされて失望されるし……機嫌良いはずないだろ」 「そ、そうですけど……」  睨まれた事で恐縮でもしたのか、篠崎も手にしていた缶ビールを置いては、背後にあったベッドに背中を預けた。 「……俺は、先輩が他の誰かとなんて嫌だったんで……先輩が謝れって言っても、謝らないですよ」 「はぁ?」 「だって、悔しいじゃないですか。ぽっと出の学生なんかに、ずっと憧れてた先輩を簡単に奪われるなんて……」  篠崎は体育座りをするように自分の膝を抱え込み、その上に顎を乗せては辛気臭い顔でぼやく。  わざわざそれを言うために飲みに誘ったのかと思ったが、どうやらそれも違うようだ。  コチラを睨み返すように横目で見て来ると、篠崎は薄っすらと頬を染めては俺を口説いて来る。 「俺、まだ先輩の事諦めませんから。絶対に俺の方が良いって、振り向かせて見せます」 「!」  そんな宣戦布告に、ついビクッとのけぞってしまう。  俺は乾いた喉を潤すために缶ビールを1口飲むと、酔いでも回ったのか、謎の対抗心に駆られて篠崎を煽っていた。 「俺は絶対にお前になんか落ちない。つーか、なんで俺なんだ?意味分かんねーし」  すると篠崎も俺同様酔っ払っているらしく、こちらも脚を崩しては勢いに任せて食って掛かる。 「なんで意味分かんないとか言うんですか!先輩、自分が可愛いって事気付いてます?気付いてないですよね!?」 「はぁ?男が可愛いとか嬉しくないからな!つか俺、お前より年上だし!」 「知ってますよ!先輩ってば口悪いけど意外と面倒見いいし、酒弱いのに上司に付き合っては毎回吐いてるし……見栄張ってるんだか優しいんだか、どっちなんですかマジで!」 「おまっ……俺が吐いてたの知ってたのか!?」 「当たり前です!」  篠崎は身を乗り出すと、テーブルをダンッ!と拳で叩いては更に距離を詰めて来た。  その、今にも泣きそうな表情に俺はどうしていいのか分からずに逃げ腰になってしまう。 「俺、ずっと先輩が好きで見てたんですから!だから尚更……先輩で知らない事があると、嫌なんですよ」  俺よりも背の高い成人男性が、うるうると瞳を潤ませて悲しみを訴えてくる。  篠崎は俺のデスク隣りに座る後輩で、女性社員に人気のあるおっとりとした顔だけのヘタレ男子だ。そんなだから仕事はイマイチで、何かミスがあるとすぐに俺を頼って来る。それは別に良いのだが、もっと酷い時は他の同僚にも被害が飛び火し、人様に迷惑を掛ける使えないポンコツ野郎と男性社員の間では言われていたりもするのだ。コイツのせいで終電を逃した事もあるし、昔密かに好きだった同僚の子も、篠崎ガチ恋勢で失恋だってした事があるくらいに、俺はコイツとは一生仲良くなれないなと思っていたのに。  なのにコイツは、俺の事が好きだと言う。  俺はそんな篠崎の目が見れなくて、酒に逃げるようにまた缶ビールの中身をあおった。  それから、ボソリと小さな声で本音を呟く。 「……悪い、篠崎……本当に無理だから……」 「っ……!そんなに……あの学生が好きなんですか?」 「……ああ」 「だって相手はまだ学生ですよ?若いんだし、いつ心変わりしてもおかしくないんじゃ」  そこまで口にして、篠崎はハッとしたようにすぐ「す、すみません……」と身を引いては謝った。  俺も、さっきの勢いは何処へやら「別に」と素っ気なく返してはまた缶ビールに口を付ける。  そんな事をわざわざ篠崎に言われなくても、現在進行形でそれを実感しているのだ。伊織が俺から離れようとしているそれを、身を持って、チクチクと。  ……嫌だな。酒飲んでても、伊織の事ばっかり。  俺は壁に掛かった時計を見上げ、もうすぐ終電が無くなると、最後の1口を飲み干しては立ち上がった。 「……悪い。電車無くなるから、帰るな」 「あ、駅まで送って行きます」 「いいよ。女じゃないんだし」 「でも、」 「ここでいい。また明日な」  荷物を持って、さっさと玄関へと向かう。  ……なんか、伊織の事考えたら悲しくなってきた。  いい大人が年下の、それも同性の恋人に振り回されている。こんな滑稽なところ、先輩として篠崎には見せられない。  玄関の扉を開け、外に出た瞬間だった。視界の端で何やら動く影があり、びっくりした俺は思わずその場で身構える。 「ぅわっ、なに?」  篠崎の部屋の、隣りの部屋の前。そこにうずくまるようにして座っていたソイツはのそりと立ち上がり、俺の方へと歩み寄って来た。 「伊織?ずっとそこにいたのか?」 「……晴弘さん、ごめん」  そう呼ばれては、優しく抱き締められる。  夏の夜はそんなに寒くないのだが、肌に触れる伊織の手は、緊張でもしていたのか冷たく冷え切っていた。  声のトーンからしてだいぶ落ち込んでいるのが分かる程に、伊織は先の事を反省をしているようだ。  俺はそんな彼の背中に手を回そうとしたが、その前に肩を掴まれてしまい、引き剥がされてしまう。 「……晴弘さん、俺の事……嫌いになったっすか?」 「へ?なんで……」  俺を見下ろすその表情は、どことなくそわそわとしているような、落ち着かない感じが見て取れる。だけどその台詞は俺が彼に問いただしたいくらいであって、こっちにはそう思われるような心当たりは一切無いのだ。  本気で分からないと首を傾げて見せれば、伊織は下を向いてぽつりぽつりと話し出す。 「だって俺、アンタを怒らせたし……アンタと違って俺はまだ子供だから、大人の付き合いとか、全然分かんねぇし……理解も出来ない」  でも、と、伊織は俺の肩から手を滑らせて、愛しそうに両手を握っては指を絡めて来る。 「……晴弘さんには、嫌われたくない。だから……週末さ、ウチに泊まりに来てくれる?話したい事、いっぱいあっからさ」 「……うん。分かった」  握った指先が、俺から体温を吸収してじんわりと温かくなっていくのが俺にも分かった。  伊織はその言葉にホッとしたのか、口元をほころばせては良かった、と安堵の息をついて見せた。 「じゃ、明日も仕事頑張って。また週末。おやすみなさい」 「お、おう……おやすみ」  やっと温かくなったと思った大きな手が、少し名残惜しそうに離れていく。  俺は伊織が部屋に入るまでその場で見送り、まだドキドキとうるさい心臓の音を聞いていた。  ……良かった。なんか、まだ嫌われてはいないみたいだったな。  俺は抱きしめそこねた自分の手を見下ろして、早く伊織を抱き締めたいなと、そう思った。
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