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お互い様
週末。俺は課長主催の恒例飲み会に強制連行され、いつもの居酒屋で飲みながら、いつものように伊織の働く姿を目で追っていた。彼は相変わらず俺にこっそりとお茶や水を提供してくれて、その優しさに涙さえも出そうになる。
やっぱり伊織は大人だなぁ。俺の方がよっぽど子供だよ。
あんなみっともないキレ方をしておいて、俺はまだ、彼に謝る事が出来ていない。今日この後、伊織のマンションに泊まりに行く予定だから、その時に絶対に謝ろうとずっと考えていたのだ。
早く仲直りをして、伊織ともっと一緒に居たいなぁ。
俺は酔わないようにと、恋人がこっそりと持って来てくれた水を喉に流し込んだ。
課長が「次ぃ!スナックに行くぞぉ!」と大声を出し、飲み会に参加していた同僚達がそれぞれ動き出す。俺はこのどさくさに紛れていつも帰るので、今日もそうしようと何食わぬ顔で靴を履く。と、すぐに篠崎が俺の側に駆け寄ろうとしては、それを見逃すまいとしていた課長に捕まっていた。
「篠崎ぃ!お前は絶対参加だぁ!昨日の案件、またミスがあったらしいじゃないかぁ!詳しく聞かせてもらうからなぁ!」
「ええ!そんなぁ!説明ならもうしたじゃないですか!それに課長、酔ってる時に話してもすぐに忘れるじゃ」
「うるさーい!来いったら来い!課長命令だぁ!」
「パワハラですよそれぇ!」
泣きそうな声で篠崎が喚いているので、俺はチラリとそちらを見てしまった。すると篠崎とバッチリ目が合ってしまい、慌てて逸らす。
悪い篠崎。先輩として助けてやりたいけど、俺は今日、絶対にそっち側に巻き込まれる訳にはいかないんだ。だからその……頑張れ。
心の中でひっそりと応援をし、俺は脱兎の如く店を出たのだった。
伊織とギクシャクしてからまだ1週間も経ってないというのに、なんだか部屋の中が懐かしく感じてしまう。
俺はシャワーを浴びてから、お泊り用に買って置いてあるTシャツと短パンに着替えてソファで丸くなりながら家主の帰りを待っていた。
……もし伊織に距離を置きたいって言われたら、どうしよう。
心配し過ぎて、嫌な事をも想像してしまう。
と、いつもより早い時間に玄関の開く音がした。俺は耳だけをすませては、音だけで彼の行動を追いかける。
……あ、風呂に行ったな。でも、アイツの風呂って地味に長いんだよなぁ。シャンプーも身体洗うのもすげぇ丁寧だから、いつもいいニオイするし……てか、また一緒に風呂入りたい。そして頭洗って欲しい。
遠くで聴こえるシャワーの音を子守唄にウトウトしていると、いつの間にか風呂から出た伊織が俺の顔を覗き込んでいた。その手で頭を撫でられてようやく気が付き、俺はゆっくりと身体を起こす。
「……伊織?ごめん、ちょっと寝てたかも……。おかえり」
「ん、ただいま。疲れてんのに、起こしちゃってすみません」
「いや、大丈夫。伊織の顔、見たかったから」
起き抜けにそんな事を言えば、伊織はまた俺の髪をわしゃわしゃと撫でて「嬉しいっす」と素直に喜び、隣りに座った。そしてそのまま俺の頭を抱き寄せて、彼の胸にポスリと頬を着ける。
……あ、石鹸のニオイと……伊織のニオイがする。
俺はその香りに安心して、また目を閉じた。
「……晴弘さん、この前はすみませんでした」
その状態で伊織が話しを切り出すので、俺も身を預けたまま、静かな声でそれに返事をする。
「……うん。俺も言い過ぎたから、ずっとお前に謝ろうと思ってた。……ごめんな、伊織。俺の方こそ大人気ない事言って」
「別に……。それに俺、晴弘さんの言う通りマジでまだ子供だし、アンタが怒るのも当然っつーか」
「違うよ」
「え?」
自分を卑下する伊織に、俺はそう呟いた。
「伊織は俺よりずっと大人だ。子供なのは俺の方だよ」
瞼を押し上げて、俺は自分の至らない部分を並び立てる。
「俺はお前にいっぱい八つ当たりした。わがままも言った。大人気ない事ばっかり言って、困らせて、振り回してばっかりだ。本当にごめんな」
すると伊織はギュッと肩を抱き寄せて、俺の髪に鼻を埋めてはキスをする。
「……晴弘さん、俺ね……アンタが思ってるよりマジで子供だから」
「は?だからそれは違うって」
「俺、嫉妬してたんすよ」
伊織は掠れるような小声で話しながら、俺の顔を覗き込んでくる。
「アンタが他の男と居るの見て、すげぇムカついた。だからわざと腹の立つ事言ったし、後悔もしたし……心のどっかで、アンタにならわがまま言っても良いかなって、そう思ってたんだ」
長めの前髪から覗く瞳は、俺の目を真っ直ぐに捉えて1ミリたりとも逸らされる事が無かった。
彼は長い指で俺の頬を撫でて、また抱き着いてくる。俺はそれに応えようと手を伸ばしかけ、だけど途中で腕を下ろした。
俺から伊織に触れて、嫌な顔でもされたらそれこそ立ち直れないから。
俺の心の葛藤なんて伊織は知るはずもなく、また強く抱擁される。
「晴弘さんはマジで大人だよ。面倒な俺の潔癖症に付き合ってくれたり、わがまま聞いてくれたり、そんな俺の為に色々考えて、旅行まで連れてってくれたり……こんな優しい人、好きにならない訳がない。でも、」
「?」
「晴弘さんは……俺を本気で好きなんすか?」
「……は?」
俺は思わず、伊織の身体を押し離していた。そして目の前の彼の悲しそうな顔を見て、俺は慌てる。
「ちょ、なに言ってんだよ?そもそも俺が先に伊織の事好きになったのに……なんでそんな疑いを掛けられなきゃいけないんだ?」
やっぱり俺、なにかやらかしてたのか?
けれど伊織は首を横に振り、俯いてしまう。
「……だって……晴弘さんから触って来ないし」
「あ」
それは……身に覚えがあり過ぎる。
俺はため息をついて、速やかに誤解を解く。
「違うんだよ……俺はお前に嫌われたくなかったから、むしろ我慢してた方で……」
「え、なんで?俺さぁ、晴弘さんは平気っつったよな?」
それを聞いた伊織は問い詰めるように俺の方へ身を乗り出し、あまりにも近い距離に俺は咄嗟に仰け反ってしまった。
「……なんで逃げるんすか」
「に、逃げてねーよ!伊織が近過ぎるんだよ!お、お前、自分の顔の良さ分かってねーだろ!イケメンの過剰摂取は心臓に悪いんだからな!」
真っ赤な顔で訳も分からないまま叫んでしまい、俺は続けて、ずっと心に引っ掛かっていた不満をもぶちまけていた。
「俺だってずっと伊織を抱き締めたかったよ!でも、俺に触られんのはまだ抵抗があるとか言ってたから、こちとら気を遣って我慢してたのに!」
「!」
伊織はその言葉に目を丸くすると、自身の頭を抱えては苦々しく声を絞り出した。
「あー……アレ、そう言う意味じゃなかったんすけど……」
「へ?」
「アレはさ、アンタが俺のを抜こうとしてくれてたからそう断っただけであって……普通のスキンシップは別に、いつでも大歓迎だから」
だからあの時も抱き締めてくれなかったのかと、伊織は落ち込みながらもどこか安心したように気を緩めていた。
俺は、彼の勘違いだと言うその台詞に呆然として、じゃあ今までの我慢は何だったんだ?と虚しく感じていた。
「えっと……マジ?俺の勘違い?」
「そうっすね。でも……俺も説明不足だったから、お互い様」
伊織は俺の額にチュッと口付けをし、腰を抱き寄せられる。俺も雰囲気に流されてキスを仕返そうとしたが、まだ解決出来ていない事があると、近付いてくる唇を片手で塞いでは止めていた。
「ちょ、ストップ!」
「?」
「あ、あのさ……だったら旅行から帰って来た時、少し機嫌悪かったのって、なんでなんだ?俺、伊織に嫌われたんだとばかり……」
思い返しただけで悲しくなり、涙腺が緩む。
伊織はそんな俺の手を優しく握り下ろすと、温かい声でまた「俺が子供だからっすよ」と言うのだ。
「旅行でシた時、アンタが抱き締めてくれなかったから、俺は晴弘さんに本当は求められてないんじゃないかって不安だったんだ。でも、帰って来てからも俺の家に泊まるし、一線越えたばっかで、またアンタの事抱きたくなるし……俺もアンタに嫌われたくなくて、我慢してたっつーの」
おかげで寝不足だし、と彼は不満を口にするが、またすぐに口角を上げて微笑む。
「でも、俺もアンタも勘違いしてたっつー事で……今度からはお互い、なんでも話すようにしましょう?いいっすね?」
「お、おう……分かった」
相変わらず、伊織の微笑む顔は俺好みでドキドキとしてしまう。
そんな彼に見惚れていると、不意に伊織が立ち上がり、俺の手を握ったまま誘って来る。
「じゃあ早速……。俺、晴弘さんと今すぐセックスしたいんすケド」
「!?」
「もし嫌じゃなかったら、アンタの事、俺に抱かせて下さい」
嫌なはず、ない。それは俺が、望んで求めて止まないものだと言うのに。
俺は彼の手を握ったままソファから降りて、自分から、その身を抱き締めに行った。
「……当たり前だろ!俺も、伊織に抱かれたいから……っ」
良かった。嫌われたのではなく、逆に好かれ過ぎていたのだ。
お互いにお互いが大切で、遠慮して我慢して、すれ違って。でも今度からはそうならないようにと、思った事は何でも口に出そうと2人で一緒に決めたから、多分もう、大丈夫。
俺は伊織に力いっぱい抱き着いて、その背中にしがみ着いた。
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