イケメン怖い

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イケメン怖い

 クソ上司め。お前のせいで俺は彼女に振られたんだ。もうそろそろ結婚も考えたい時期だったのに、また親に「孫はまだか」なんて小言を言われるだろうが。 「ぅう……ハゲ上司め……いつか髪の毛全部むしって抜いてやる……」  口をむにゃむにゃと動かして、無意識にそんな悪口を零していた。  と、すぐそばでクスクスと小さな笑い声がして、俺は薄っすらと目を開ける。  ……あ、なんだ。夢か。  最悪の目覚めだ。今日はせっかくの休みだというのに、こんなのってアリか?  とんだ仕打ちだと思いながら、俺はアレ?と眉を寄せる。  そう言えば俺、どうやってあの店から帰ったんだっけ?てか、ここどこ。 「あ、やっと起きた?」  近くで声がした。低いのに、優しさを孕んだその聞き覚えのある声に目を向ければ、昨夜飲んでいた居酒屋で、酔った俺を介抱してくれていた男の従業員が口元に薄い笑みを浮べてはこちらを覗き込んでいる。 「おはようございます。気分はどぉ?」 「え、えっと……」  どうやらまた、彼に迷惑を掛けてしまっていたらしい。  確かにあの時、ウチ来る?と誘われはしたが、返事もしないでそのまま疲れ果て、店で寝てしまったところまでしか覚えていない。  俺は慌てて起き上がり、男に向かってその場で土下座をした。 「あ、あああのっ!すみませんでした!みっともない姿を晒してしまったうえに、俺なんかを運ばせてしまったみたいで……」  見ず知らずの他人にここまでしてもらって、本当に申し訳ないと額をぐりぐり地面に当て擦って……擦って?  額に触れるのは、柔らかい素材の感触。普通のベッドよりずっと柔らかくて、着いた膝も結構深くまで沈んでいる。  と、俺はそこで初めてまともに自分の格好を目の当たりにして、また急いで顔を上げた。 「ぅえっ!?なに!?なにこの格好!?」  オーバーサイズのダボダボなTシャツに、下は何も履いていなかった。  自分で自分に驚いてあたふたしていると、また控え目な笑い声が聞こえてくる。見ればすぐ側に、パンツしか履いていない若い男が寝そべっており、俺の慌てる姿を可笑しそうに眺めていた。 「アンタ、さっきから一人でなに騒いでんですか」 「へ?」 「面白過ぎだし。見てて飽きない」  男はそう言うと、チェストの上に置いてあったスマホを手にして時間を確認する。 「あー、まだこんな時間……もう少し寝よ」  俺に背中を向け、男は再び眠りにつこうする。  このまま放置されるのもなんかモヤモヤするので、俺はこの状況の説明だけでもしてもらおうと、咄嗟に男に声を掛けた。 「あ、あの」 「……ん?」 「俺の服は……」  すると男は身体ごとこちらを向き、眠そうな目で見てきては布団をめくる。 「……教えるから、とりあえず中入って。寒い」  え、そんな格好で寝てるからでは?とは迷惑を掛けてる分際でツッコミづらい。  俺は大人しく、言われるがまま下半身が見えないよう気をつけて布団の中へと入る。  するといきなり、男が正面から抱き着いて来てはハグをされた。 「はぁ!?ちょ、ちょっと」 「うるさい。近くでデカい声出すな」 「で、でもっ」 「……………」  男が怒ったように黙るので、俺も諦めて静かにする事にした。  なんでこんな目に遭ってるんだと理不尽に思っていると、男は更にくっついて来て、なぜかくんくんと耳の後ろ辺りを嗅いでくる。その行動に思わず身を竦めると、やっと男が口を開いた。 「……俺、結構な潔癖症なんすけど」 「え?」 「他人を家に入れるのさえ嫌で、ましてやベッドなんてマジで一番気を遣うとこなのに」  ……あ、これってもしかして、遠回しに嫌味言われてる感じ?  何だろ。親切なのか親切じゃないのかよく分からないな、この人。  それでも一応、今は親切にしてもらってると感じているので、根は良い人なのだろうけど。  俺は肩身の狭い思いで目の前の男に「あの……」とまた口を開く。 「俺、別のとこで寝ますよ?床でも全然いいんで」  しかし男は、話しは最後まで聞いてよ、と口にした。 「……アンタはなんか、平気なんすよ。あ、でも外で着てた服はさすがに嫌なんで、着替えさせて身体も勝手に拭きました」 「あぅ……申し訳ないです」 「別に。俺もなんか嫌じゃなかったし。なんならその“なんか”を探りたくて勝手に色々したっつーか」  い、色々ってなんだ?俺は寝ている間に何をされたんだ?  益々混乱しそうになって変顔をしていると、男はまた口元を緩めて俺の反応を楽しんでいるようだった。 「……アンタの服は洗濯機に放り込んであるし、でも、新品の下着なんて用意してなかったから、大きめの上着を着せたんすよ。で、俺は元々ベッドでは全裸派なんで、気にしないでください。……今はアンタに気を遣ってパンツだけは履いてるケド」  こんな説明でどーっすか?と、男は低く落ち着いた声で聞いてくる。  この格好の謎は理解した。が、まだ分からない事も残っている。  俺は上目遣いに男を見つめ、それを尋ねた。 「それは、本当に有り難いけど……そもそもなんで俺を連れ帰ったんです?他人を家に入れるのが嫌なら、その辺に放置とか、警察に預けたりとかすれば良かったのに……」  これは俺の意見だが、知らないヤツを自宅に招き入れるのは相当リスクがあるはずだ。同性同士で間違いが起こるとは考えたにくいが、もし連れ帰った人間が悪い人だったとして……家の中を漁られたり、金品を盗まれたり、最悪の場合、殺傷事件も起こりかねない。  俺が彼と同じ立場だったとしても、絶対に知らない人を自宅へは入れたくないと思ってしまう。  男も少なからず俺と同じ意見なのか、だけど少し考えるように視線を明後日の方へ向けては口を開いた。 「……なんか、気になったっつーか」 「は?」 「アンタがトイレの前で吐きそうにしてんの見て、ちょっとムラムラしたんすよ」 「はぁ?」  ……コイツ、頭大丈夫か?それともそういう性癖の持ち主とか?  他人の苦しみ顔が好物のドS野郎なのかと一瞬引いたが、俺の表情からそれを察した男は「あ、別にそんな変態な趣味とかじゃないんで」と付け加える。 「ただ……苦しそうな、我慢してる顔がエロかったのは本当。で、気になって近寄ったら涙目が案外かわいーし、なんか良いニオイすっし、触っても平気だったから、もっとアンタの事知りたいと思って連れ帰っちゃったんだよね」 「……………」  なんだか口説かれてるみたいで、聞いてるこっちが恥ずかしくなってしまう。  だいたい、どう見てもこの男はまだ若い。確かバイトだと言っていたし、学生だろうとは思うけど、こんなアラサーのサラリーマンをお持ち帰りして何が楽しいのやら。彼女がいそうなくらいのイケメンだし、俺なんか連れ込まなくても、女には苦労してなさそうに思えた。  ……あ、いや……、そもそも他人を家に入れるのが嫌なんだっけ?  そんなヤツがわざわざ俺を連れ込んで、ベッドにまで入れてくれているこの状況。一体何なんだ?  返答に困って黙り込んでると、男は小さく笑って俺の頭をポンポンと軽く撫でた。 「……ま、俺も最近忙しくて人肌恋しかったっつーのもあるし……ドッグセラピー的な?アンタとこうして一緒に居ると落ち着くからさ、昨夜のお礼とでも思って……もうしばらくこのままでいさせてよ」  眠そうな掠れ声が耳をくすぐり、また俺は頬が赤くなる。  ……なんか、すげぇドキドキする。イケメンって恐ろしいな。  男相手にこんな気持ちになったのは初めてだ。年下のくせに俺より体格が良いし、香水でも付けてるのか甘く良いニオイもする。何よりこうやって抱き締められて、嫌な気分どころか居心地が良いとさえ思ってしまっていた。  俺も……彼女に振られたばかりで寂しかったから、なんか人肌が安心する。  俺もドッグセラピーだと思い込む事にして、目を閉じた。  と、そこで男が、そうだ、と言って俺の気を引いた。 「アンタの名前、まだ聞いてなかったっすね」 「あ、確かに」  俺も顔を上げると、眠そうに目を細めてる男を見上げた。  彼は形の良い唇を緩めては、あっさりと自分の名前を教えてくれる。 「俺は(しば)伊織(いおり)。アンタは?」 「俺は……」  ここはやっぱ、フルネームを教えるべきなのか?  社会人のルールとして、相手に合わせるのが筋というもの。  俺は躊躇いを見せながらも、自身の名前を口にする。 「……福田(ふくだ)晴弘(はるひろ)」 「ん、はるひろさん」 「!」 「つーことで、おやすみ」  柴伊織。そう名乗った男はそれだけ口にすると、すぐに目を閉じて眠ってしまった。  ……な、なんで下の名前で呼んだんだ?  不意打ちに思わずドキッとしたのは言うまでもなくて、俺はやっぱり、イケメンは怖いと、脈打つ心臓を押さえては改めて自覚したのだった。
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