どうせオッサンだよ

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どうせオッサンだよ

 久しぶりの寝心地の良さと人肌で、随分とぐっすり眠ってしまっていたらしい。  目が覚めると、開けられていたカーテンからは既に高い位置にある太陽光が降り注いでおり、足元の布団を照らしていた。  ……お腹空いた。今、何時だ?  身体を起こし部屋の中を見渡すが、時間の分かる物は一切置いていない。それどころか、この部屋には大きなベッドとその横にチェストが置いてあるくらいで、物が全然見当たらないのだ。壁側に大きなクローゼットの扉があるから、もしかしたら大概の物はあの中に仕舞ってあるかもしれないが。  あまり人様の部屋をジロジロと見るのは良くないと思い、ふと隣りに視線を移す。しかしそこには誰も居なくって、代わりに、どこからか漂ってくる美味しそうなニオイに気付いてそちらを見上げた。  ……ドアの向こうだ。勝手に出歩いてもいいかな。  俺はそっとベッドを降り、ドアを開ける。そこから顔だけを出して覗けば、カウンターキッチンで何やら料理をしているらしい男が立っていた。さすがに料理をする時は服を着ており、部屋着なのか、その辺で売ってそうなグレーのスウェットなのに彼が着るとそこそこのお値段がしそうなブランドものにも見えなくはない。  そこでようやく俺の存在に気付いたのか、伊織は顔を上げると無表情で、おはようございます、とぶっきらぼうに言うのだった。 「パンツ、乾いたんで履いてください」 「あ、ありがとう……」 「あとシャツも、アイロン掛けてあるっすけど、シワになるから帰る時に着た方がいいかも。もし嫌じゃなければ、明日まで俺の服着てて」  その言葉に、俺は思わずキラキラとした表情で身を乗り出していた。 「えっ、明日までここに居ていいのか?」  すると伊織は何を当たり前な事を、と言わんばかりに首を傾げて見せる。 「だってアンタ、手ぶらじゃん。あ、別に他に行く宛があるならいいっすケド」 「いや、無いです!無い!是非ともここに置かせてください!」  慌ててそう告げれば、彼は小さく笑って「いいっすよ」と言ってくれた。 「じゃあとりあえず、そこに着替え用意しといたんで。それ着て洗面所で顔洗って来てください。飯、一緒に食いましょう」  洗面所はそこの扉を出てすぐ左っす、と教えてもらい、言われた通り着替えを持ってそこへ向かった。  洗面所は風呂の脱衣所も兼ねているらしく、タオルもすぐに見つけやすいところに準備がされている。 「……てか、マジでキレイにしてあるな」  潔癖症、と本人は言っていたが、どうやらそれは本当の事のようだった。  男の一人暮らしにしてはキレイに掃除も行き届いてるし、小物もきちんと整理整頓されている。俺の家とは大違いだと関心させられてしばらくあちこち観察をしていたが、向こうの方で晴弘さーんと呼ぶ声がしたので、慌てて着替えをし、顔を洗ってはリビングへと戻ったのだった。 「……凄いな、本当に」 「なにが?」  伊織の作った料理を食べながら、俺は本音をポロリと零していた。  それを聞いた彼は箸を止めて、不思議そうに俺の方を見つめる。  明るい茶髪に、耳には複数のピアス。少し長めの前髪から覗く瞳は優しさをたたえており、実際、俺なんかの為にこうして色々と世話を焼いてくれていた。  俺はそんな年下の彼に感謝と敬意を示して、思っていた事を口にする。 「だってまだ若いのに、料理も上手で、部屋もあちこち掃除が行き届いててキレイだし、なにより他人の俺にここまで気遣いが出来るって、本当に凄いよキミは」  若い頃の俺には絶対無理だなぁと苦笑いをして言えば、伊織はフッと笑って、オッサンみたいな言い方、とからかってくる。だから俺は真面目に「え、俺オッサンだけど」と返せば、今度は伊織が「は?」と固まる番だった。 「え、ちょっと待って……アンタいくつ?」  そう聞かれ、俺はビクッと肩を震わせた。  たまに、本当にたまにだが、スーパーとかで酒を買うと年齢確認をされる事がある。飲み屋街で見回り中の警察官に声を掛けられた事もあるし、新人と一緒に営業に行けば俺の方が後輩と間違われる事もしばしば。  確かに同年代と比べれば、俺は見た目が少し幼いかもしれない。  俺は頬を掻きながら、えーと、と目を逸らして答える。 「一応、今年で29なんだけど……」 「は?マジかよ……童顔過ぎじゃね?2、3個違いかと思ってた」  その台詞にはさすがに俺もカチンときて、言い返すように唇を尖らせていた。 「じゃあお前はいくつなんだよ?」 「俺?俺は……二十歳(ハタチ)っす」 「はぁ?」  若っ!いや、若いのは分かってたけど、もうちょいいってるかと思ってた。  ……て言うか、9つも年下の子にこんなに迷惑を掛けてる俺って……最悪じゃん。  もはやため息しか出て来ない。  俺が自己嫌悪に浸っていると、伊織が不意に名前を呼ぶ。 「あの……晴弘さん」 「……なに?」 「晴弘さんって、年下は苦手なタイプっすか?」 「苦手?いや、そんな事無いけど……」  会社でも後輩相手に教育指導はする。プライベートでは……歴代の彼女は皆年下だったし、扱いは慣れてるはずなんだけど……。  すると伊織は安堵のため息をついて、じゃあ、と話しを続けた。 「俺、アンタの事知りたいって言いましたよね?だから、たまにで良いんで……またこうして俺と会ってくれないっすか?」 「え?俺と?」 「他に誰がいるんすか?」  彼の表情を見る限り、からかっているようには見えなかった。  イケメンが真剣な眼差しで見つめて来るので、俺もついついその気になってしまう。  これもなにかの縁だと思う事にして、分かった、と良く考えもせずに俺は返事をしてしまっていた。 「とりあえず、友達?的なもんで良いのか?」  俺は食事を再開しながらそう聞いて、若い人と友達って何すんだろうと想像していた。だが、伊織はあっさりとした顔で「あ、いえ」と否定しては突拍子も無い事を告げて来る。 「一応恋人候補として、とかダメっすか?」 「げほっ!」  食べていた玉子焼きを盛大にむせてしまい、俺は口元を覆う。  え、なに言ってんだこの子。正気か? 「ちょ、ちょっと待って……」  俺は落ち着きを取り戻してから、もう一度きちんと説明を求めた。 「今、なんて言った?」 「……だから、恋人候補として」 「だからそれ!」  俺はまた箸を置くと、テーブルに両手を着いては伊織の方へと身を乗り出した。 「なんで俺?昨日会ったばっかりだし、そもそも俺達、男同士だし……歳も離れてんだけど?」 「歳は気にしないってさっき言ったじゃないっすか」 「そ、そうだけど……」  わずかに眉を寄せた伊織に気圧されて、俺は渋々と椅子に座り直した。  ……最近の若い子が何を考えてんのか俺にはさっぱり分からん。怖いわ、マジで。  とりあえず彼の言い分でも聞こうと黙っていれば、伊織も俺を説得しようと話しを続けてくれる。 「……俺、潔癖症だって言いましたよね」 「うん……?」 「だから……他人と長い事一緒に居るのが苦痛で、彼女とかも長続きした事無いんです。手汗が気になって人と手も繋ぎたくないし、キスとかも唾液の交換って思ったら極力したくないなって思って……。でもそれじゃあ相手も満足しないし、俺も精神的にキツくって、じゃあもういっその事一人でいーやって思ったりして」 「……………」 「でも、アンタはなんか他と違うっつーか……触っても平気だったし、一緒に居て落ち着くし……もっと晴弘さんの事、知りたいって思ったんです」  真面目に話す伊織を見て、イケメンなのに彼女と続かないんだとか、年相応に誰かと繋がりを持ちたいんだとか、見た目に反した悩み事があって、少しだけ可愛いなと思ってしまった。  それから伊織は傍らにあった水を一口飲んで、もう一度俺を口説いてくる。 「……こんなに一緒に居て嫌じゃないの、晴弘さんが初めてなんすよ。俺だって付き合うなら長続きする人が良いし、だから……迷惑でなければ、俺はまたこうして晴弘さんと会いたい」  見つめられる瞳に真剣さを感じるから、俺も適当な事は言えないなと唾を飲み込んだ。  男にこんな事を言われたのは初めてで、どうやって言葉を掛けて良いのかも分からない。でも、真面目に話してくれているのだから、俺も真面目に応えなくてはと思ってしまう。  とりあえず俺も、今自分が不安に思ってる事を声に出してみようと拳を握り締めた。 「えっと……俺、そもそも男とそういう関係になった事がないんだけど……」 「?俺もないっすよ」 「あ、そうなの?てか、俺30手前のオッサンなんだけど、いいの?」 「歳は気にしないって言ったばっかじゃん。くどいっすよ」 「ぅう……そうだけど……キミ、俺で勃つ?」 「今は無理っすね」 「だ、だよねぇ!」  即答する伊織に安心して、思わず苦笑いを浮かべてしまう。  と、伊織がテーブルに肘を着いて軽くコチラを睨んで来る。何かマズイ事でも言ったのかと思ったが、意外にも可愛い嫉妬が飛んできてびっくりした。 「つーか、俺が名前で呼んでんのに、なんで今だに俺の事は名前で呼んでくんねーの?意地悪?」 「え?えっと……」  意地悪じゃないんだけど、なんか恥ずかしいって言うか、何と言うか。歳の離れた友達なんて居ないから、どう呼んでいいのか迷っていたのだ。  俺はおずおずと「し、柴くん?」と口にするが、彼は益々眉間にシワを寄せては不機嫌そうな顔をする。 「伊織」 「えっ」 「下の名前で呼んで。んで、くんは付けない。オッサンくさいから」 「ど、どーせオッサンだよ俺は!」  ヤケになってそう叫ぶが、伊織は機嫌を直したのかクスクスと笑っては頬杖を着いた。 「晴弘さんには俺の事、下の名前で呼んで欲しんだよ」 「っ!」  イケメンが笑うと言い返せないのは何故だろうか。  俺は訳も分からずドキドキとする心臓を内側で聞きながら、空になっていた茶碗を持って彼へと差し出した。 「い、伊織……」 「ん?」 「……おかわり……ください」  照れ隠しにそう言えば、彼は優しい目で微笑み、俺の手から茶碗を受け取ったのだった。
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