定食屋にて

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定食屋にて

 聞けば、次の賃貸更新日は来年の4月らしい。俺も地元の学校を卒業し、上京して今の住所にずっと住んでるので4月に契約更新なのだ。だから同棲するなら都合の良い来年の4月からと、俺達は話を進めていた。  それまでは今まで通りに週末だけのお泊りを続ける事にして、俺は嬉しさのあまり、会社でもウキウキ気分で過ごしている。 「……福田先輩、今日も元気ですね……」 「ん?ああ、まぁな。そんな篠崎は死にそうな顔してるけど、どうしたんだ?」 「どうしたって……」  デスクに項垂れていた篠崎は、盛大なため息を吐きながら俺に愚痴を漏らす。 「新しく来た倉持部長、あんな優しそうな顔してスパルタですよ。俺のプレゼン資料がダメだって、もう5回以上は追い返されてメンタルもズタボロなんですから……」  はぁ、とまた息を吐き出し、今にも泣きそうな顔をしていた。  俺はそんな篠崎に、良い事じゃん、と励ましの言葉を掛ける。 「前の部長なんかプレゼン内容のチェックもしてくれなかったじゃん。それで失敗したらフォローも無く怒鳴るだけ怒鳴ってただろ。それに比べたら倉持部長は相当優しいと思うけどな。お前も成長出来るし」 「……先輩、今心の中で『はぁ、コイツのお守りしなくて清々した』とか思ったでしょ」 「いやいや、そんな事は」  はははははっ、と笑って誤魔化せば、篠崎にギロリと睨まれてしまう。  上司のしごきに相当参ってるのか、目の下には薄っすらと隈も見受けられた。 「まぁ、そんなに落ち込むなよ。昼飯奢ってやるから」 「……唐揚げ定食がいいです」 「はいはい」 「では、私はサバ味噌定食にしましょうか」 「はいはい……って、え?」  突然聞こえて来た声に振り返れば、倉持部長がニコニコと満面の笑みで俺達の背後に立っていた。 「お昼、私もご一緒していいですか?この辺りの飲食店は、まだあまり知らないもので」 「は、はぁ……まぁ、構いませんけど……」  ……すまん篠崎。上司の頼みを俺如きが断る理由が見つからんのだ。  チラリと篠崎の方を覗えば、彼は更にげっそりとした顔で目の端に涙を浮かべていた。  昼は会社の近くにある定食屋に行く事になった。本当は篠崎を元気付ける為のささやかな労いのつもりで誘ったのだったが、あろう事か彼の疲弊の元凶である倉持部長も付いて来てしまったのだ。  篠崎がテンション低くロクに会話にも参加しないのを部長はどう捉えてるのか分からないが、今にも口から魂が抜けて昇天しそうな程落ち込んでいる後輩を、俺はどう助けたらいいのかずっと考えていた。  部長に直接、あまり厳しくしないで下さいって伝えるか?でも、篠崎が出来ないのは元々だし、部長自ら部下の教育をしてくれるのなら願ったり叶ったりだからな。  俺は海老フライ定食のサクサク衣の海老を頬張りながら、さて、どっちの味方をしようかと悩む。  と、倉持部長が篠崎の手が止まっているのを見て「篠崎くん?」と声を掛ける。その声にビクッと肩を揺らした篠崎は、持っていた箸を落とし掛けながら「な、なんですかっ?」と挙動不審に返事をした。  どんだけビビってんだよと横目に2人の様子を観察していると、倉持部長が不意にまた仕事の話を始めてしまう。 「食事中にすみません。でも、午前中に提出してくれたプレゼン資料で、どうしてもキミに伝えたい事があったもんでして」 「ゔっ……」  それを聞いた篠崎は、あからさまに嫌そうな顔をする。  おいおい、食事中は勘弁してくれと流石に俺も抗議しようとしたところで、倉持部長の口から意外な言葉が飛び出した。 「凄く上手に出来ていましたよ。良く頑張りましたね。今までにないデキでした。これなら次のプレゼンは成功間違いなしでしょう」  上品な笑みを浮かべて、倉持部長は篠崎を褒める。  それには瀕死状態だった篠崎も「は?」と目を点にして、今度こそ本当に箸を落としてしまった。それでも尚固まり続ける後輩に、俺は軽く肩をぶつけては、良かったな、と小声で伝えてやった。それでやっと我に返った後輩は、慌てて定食の乗るお盆に散らばった箸を拾い集めては握り直す。 「あ、ありがとう……ございます……」  お礼を言いながらも、彼は明らかに動揺していた。  まさか部長から直々に褒められると思っていなかったのか、目が泳ぎまくっていて傍から見ても何かがおかしいのは丸分かりだ。オドオドとして落ち着きが無いし、なんなら篠崎本人も、何がなんだか訳が分からなくなっているのかもしれない。  ……そ、そんなにスパルタだったのか?  倉持部長とはあまり2人きりにならないように気を付けていたから、彼がどんな指導を篠崎にしていたのかは想像も出来ない。ただ、部長は普段からニコニコと人当たりの良い愛想で他人と接していたようにも思えるから、篠崎の混乱っぷりが理解出来ないでいた。  俺はとりあえず、篠崎を落ち着かせようと水を勧める。その間に部長は「ちょっとお手洗いに」と席を立ち、テーブルから離れたので、ここぞとばかりに篠崎に喰い気味で質問をした。 「おい、大丈夫か?褒められた瞬間になんかフリーズしてたけど……そんなに厳しかったのか?」  すると、コップ1杯の水を一気飲みした篠崎は一度深呼吸をし、声を震わせながら呟くのだ。 「……そりゃ厳しかったですよ……。て言うか、俺はてっきり……仕事が出来なさ過ぎて嫌われてるのかと……」  それの腹いせとかじゃなかったんだ、と呆然とした表情で言い、やっと彼は冷めかけの唐揚げに手を付け始める。  そんな事を言う後輩に、俺はからかうつもりで思っていた事を口に出していた。 「なーんだ。そんな事思ってたのか?でも良かったじゃん。やっぱ部長はお前をちゃんと見て、可能性があると思ったからわざと厳しくしてたんだよ。結果どうだ?上司に褒められたのって、初めてじゃないか?」  ニヤニヤしながら肘で小突いたりなんかして、黙り込む後輩をイジる。と、篠崎はご飯茶碗を手に持つと白米をかき込む様に食べるのだ。  俺はそれにびっくりして少し身を引くが、良く見れば、彼の耳たぶが赤く染まっているのに気が付いた。  照れているのか、それ以降も部長が戻って来るまではずっとその調子で、午後のデスクワークも心なしか篠崎の手元がおぼつかないようにも感じていた。
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