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困惑する後輩の話
大学生の長い長い夏休みも終わり、伊織は大学にバイトとまた忙しい日々に追われていた。
しかも、来年の同棲資金の為と俺に相談も無くバイトの掛け持ちも始めてしまったのだ。居酒屋のように長期ではなく、単発にやる日払いのものだとは言っていたが、心配は心配である。
「……その、潔癖とか大丈夫なのか?そんなバイト増やして、俺も稼ぎが少ない訳じゃないんだから、少しくらい甘えてくれてもいいんだし」
「んー、大丈夫っすよ。駐車場の誘導警備とか、倉庫作業とか、他人に触れないもんばっかだし」
「でもさぁ」
「なに?もしかして、寂しいんすか?」
「ち、違わない……けど……さ?」
そうじゃないんだよ、伊織くん。キミが勉学を後回しにすると、お母様が怒るんじゃないのか?
それで母親から息子と別れて下さいとか言われても、困るのは自分達なのに。
金曜日の夜。夕飯を終え、ソファに座りテレビを観ながら一緒にくつろいでいた。
俺は伊織からバイトの話を聞いてモヤモヤとした気持ちでいっぱいになっていたが、彼が涼しい顔でそんな事を言うもんだから少しだけ頬が赤くなる。
柴家に行って彼の両親と対面してから、俺は伊織がちょっとだけ変わったような気がしていた。多分それは悪い方向、というのとはまた違うのだろうが、1番分かりやすく言うと“夜の営み”に変化があったのだ。
いつもなら必ずゴムを使っていたのが、最近では2回目や3回目で「ねぇ、生でシていい?」と聞いてくるようになったのだ。俺の体調を考慮して精はちゃんと外に出してくれるし(まぁ、その時の盛り上がり次第だけど)、毎回丁寧に優しく抱いてくれるから俺は大歓迎なのだが。
他にも、大学の知人友人からの連絡も増えているようで、しょっちゅうスマホを弄っている。本人はそれが面倒だと言っていたが、どうやら本当に伊織の潔癖症が改善されつつあるらしい。それで人付き合いが徐々に増えていると、連絡先を交換していた華ちゃんが俺にこっそりとそんな事を教えてくれたのだ。
そんな伊織は今もスマホとにらめっこをしていたが、俺が甘えるように身体を密着させるとチラリと俺の方を見ては彼も頭を傾けて寄りかかって来る。
「ん?眠い?……もう寝る?」
「……うん。寝る」
……俺も、人の事言えないよな。
こんな歳になって年下の彼氏に独占欲を抱くなんて、思ってもみなかった。
俺はスマホ弄りを邪魔する為に、伊織の頬にキスをしてはコチラを振り向かせて誘惑をするのだった。
最近様子が変わったのは、なにも伊織だけでは無い。
「せ、先輩〜っ!!」
「わっ、……ど、どうしたんだ、篠崎?」
「聞いて下さいよ!」
ある日会社に出勤すると、涙目の大型犬が泣きついて来たのだ。俺は篠崎の背中をどうどうと撫で、とりあえず落ち着かせようと声を掛ける。
「ほら、深呼吸しろ。深呼吸。ひっひっふー」
「……それ、違いますから」
「え、そぉ?」
「そうですよ……」
とは言うものの、どうやら落ち着いた様子で彼は俺から離れた。そして、お互いに自分の席に着いてから改めて話をする。
「で、どうしたんだ?」
「実は……」
篠崎は周囲を気にしながら、キャスター付の椅子を寄せて来ては小声で零す。
「……あの、先週部長と3人でお昼食べたじゃないですか」
「うん?」
「あの時言ってたプレゼン、初めて上手くいって相手方との契約を取れたんですけど」
「え、凄いじゃん!成長したな篠崎!おめでとう!」
「あ、ありがとうございます……」
照れる篠崎の頭をわしゃわしゃと撫でてやり、大げさに彼の功績を讃える。
しかし篠崎にはまだ言いたい事があるらしく、更に膝頭を寄せ声をひそめては耳打ちするのだ。
「ただ……週末の課長恒例の飲み会の後なんですけど……先輩、すぐに帰りましたよね?」
「え、あ、ごめん。もしかしてなんか俺に用事とかあった?」
だって金曜の飲み会後は、伊織のウチに泊まると既に決まっているから。
けど篠崎はフルフルと首を横に振ると、ここへ来て凄く言いづらそうにするのだ。
「ち、違いますけど……あの後、俺も福田先輩と一緒に帰ろうと思ってたんです。どうせ今回もあの学生のとこに泊まるだろうからって。でも、先輩に声を掛ける前に俺が倉持部長に呼び止められまして」
「部長が?」
俺が伊織のとこに泊まるのは分かってたんだ。
コクンと頷く篠崎は、それからもう一度周りを警戒しながら話しを続ける。
「……契約成立のお祝いに、1杯ご馳走するって言われて……俺、最初は断ろうとしたんですけど、部長が連れてってくれるって言ったのが、この辺じゃちょっと有名なオシャレでお高いバーだったんです。前から行ってみたいバーだったんで、それにつられて行ったんですけど……その……当時の記憶があまり無いと言うか……」
「は?」
篠崎の言葉に、俺は真顔でついつい低い声で返してしまった。
「それ、どういう事だ?」
「えっと……課長主催の飲み会でも俺、結構飲んでたんで……酔っ払ってて、多分だけど部長に福田先輩の事とか……べらべら喋っちゃってたと思うんです……」
好きだとか、でも全然振り向いてもらえないとか、なんかそんな感じの事を……と、篠崎は歯切れ悪く説明する。
「……バーで飲んでたところまでは覚えてるんです。でも、そっからどうなったのか全く記憶が無くて……で、気付いたらホテルに泊まってたんです。倉持部長と」
驚きで唖然と言葉を失っていると、篠崎は慌てて「あっ!ラブじゃなくてビジネスの方ですよ!」と修正を加える。
……あ、なんだ。良かった。流石の部長でも部下にはそう簡単に手を出さないよな。
て言うか、倉持部長がホモと決まった訳でもないないのに、ちょっと失礼な事を勘ぐってしまった自分を殴りたい。
ホッとしたのも束の間、篠崎は細々と不安を吐き出すのだった。
「……勿論目覚めたベッドは別々だったんですけど、スーツじゃなくてホテル備え付けのローブ着てたし、俺、寝相悪いから起きた時にはそのローブもほとんど意味無いくらいに着崩してて……」
話しながら、篠崎は再び泣きそうな顔をしていた。
「部長はスーツがシワになるから着替えさせたよって言ってたくれたんですけど、肝心な事を、まだ聞けてなくて……」
彼が言いたい事はなんとなく分かった。だから、俺が代わりにそれを口にする。
「……一線を超えたかどうか……?」
「はい……」
篠崎はしょんぼりとしたまま視線を下げる。
「部長を疑ってる訳じゃないんですけど、普通、一緒に泊まった人がなにも覚えてないって言ったら冗談でも『なにもなかったよ。安心して』って言いますよね?でも、そんなフォローも無いし、なんかアレから、部長から頻繁にプライベートな事聞かれるし……」
俺、どうしたらいいんでしょう?と、いつも弱気な後輩が更に弱気な表情と発言で俺に助けを求めるのだった。
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