諦め?悟り?嫉妬?

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諦め?悟り?嫉妬?

 篠崎の詳しい話しによれば、自身の身体に違和感は無いとの事。だけど、万が一自分が部長を抱いていたとしたら……もしかしたら気付かない事もあるかも知れないと、彼は悩んでいた。 「本当に申し訳ないけど、倉持部長は俺のタイプの顔じゃないからそんな事は無いと思うんですけど……俺、ゲイだから……もしかしたら酔った勢いでとか、ありそうで無さそうって言うか、もうなにがなにやらさっぱりで……」  会社の屋上には、社員の憩いの場としてベンチが設置されている。  昼休みになると俺はほぼ拉致られるように篠崎に腕を引かれ、この屋上へと連れて来られたのだ。そして、先輩の分のご飯は買ってありますからと、持っていたビニール袋から惣菜パンを3つ程寄越してくれる。  なんでも篠崎曰く、部長の誘いから逃げる為に昼は俺と食べる約束をしてるんだと言ってしまったらしいのだ。  俺はベンチに座りながら、もらった焼きそばパンにかじり付きつつふと疑問に思った事を篠崎に問い掛ける。 「あのさ……お前は倉持部長の事どう思ってんの?」 「どうって……だからタイプじゃないんですってば」 「そうじゃなくてさ、人としてどう思ってんのかって話」 「人として……」  俺が焼きそばパンをもぐもぐと咀嚼している間に、篠崎は何かを考えるようにして難しい顔をしていた。 「……倉持部長は……凄く厳しい人です」  ようやく口を開き始めた彼は、ぽつりぽつりと、記憶や心の奥底から感情を拾い上げるかのように言葉を紡いでいく。 「でも、それは部下を育てる為の厳しさであって……仕事に対する姿勢は……本物だと思います。実際に俺は部長のおかげでプレゼンも成功しましたし、出来たらちゃんと褒めてくれるしで……この人が部長で良かったなって、本当に思いました」  それには俺も同意見だと、頷きながら彼の話しを聴いていた。  実際に倉持部長は、前の部長と比べて他の社員から評判が良い。独創的な企画案や的を射た意見もそうだが、何より部下を良く見てひとり1人に合った指導をしてくれているのだ。だから篠崎のそれも考え過ぎやしないか?と思う事もあったが、あの何でも完璧にこなす優しそうな人が、あの歳でまだ独身なのだ。どうしても疑ってしまうのは仕方がないとも思えてしまう。  俺がもうひと口焼きそばパンを頬張ろうとしたところで、篠崎がまた不思議な事を口にするのだ。 「……でも、なんとなくですけど……俺、もしかしたら部長みたいな人が合ってるのかもしれないって、思い始めてて……」 「え、なんで?」  かじり損ねた焼きそばパンを持ったまま、俺は篠崎の方を向いて首を傾げた。  あんなに嫌がっていたのに、突然どうしたんだ?  怪訝そうな顔で篠崎の方を覗き込むと、彼もハッとしたように顔を上げては「あのっ、えっと」と言い訳を始める。 「俺、同じ男しか好きになれないからって、今までは好きになった人しか見てなかったんです。女性に好かれても意味が無いって思ってたし、だから、姉さんに言われた通り前ばっかり見てました。……昔からずっと」  けど、と、篠崎は何かを思い詰めるように言う。 「福田先輩と帰ろうとしたあの夜、俺、倉持部長に腕を掴まれて呼び止められたんです。その時に、前に姉さんが言った『たまには振り返ってみたら?良い人落ちてるかもよ?』って言葉が無意識に浮かんで来てて……姉さんは、もしかしたらこういう事を言ってたのかなって、1人の人だけじゃなくて周りも見なさいって事なのかなって、最近はそう思うようになったんです」  俺、自分から好きになるばかりで、男性からこんなにもはっきりとした好意を寄せられた事なくて……と、篠崎は口にする。 「でもお前、部長の顔はタイプじゃないって……」  本当にそれで良いのかよ?と疑問符を浮かべるが、それは本人の方が良く分かっているようだった。 「先輩は、今の彼がタイプで付き合い始めたんですか?」 「え、違うけど……」 「なら、なにもおかしな事じゃないですよ。初めから両想いで付き合う人なんて、そんなにいるもんじゃないと俺は思いますし」  それはまぁ、一理ある……けども。  でもまぁ、本当に部長と付き合う訳じゃないので、と篠崎は苦笑いをして見せると、彼も腹ごしらえをしようと持っていたメロンパンの袋を開けるのだった。  だから俺は心の中で、もし篠崎が恋愛で困っていたら、迷わずに相談に乗ってあげようと思う事にした。 「シノザキさんに春、ですか?」 「多分、そうなんだろうけど……」 「けど?」 「なーんかしっくりこないんだよなぁ」  俺は元気の無い篠崎を家まで送り届け、ついでに、バイト前の伊織宅へ寄り道して玄関内でそんな話しをしていた。  本当はこのまま家に上がってくつろぎたいのだが、そうなると風呂に入らなければならないから、今日はここで話だけして帰るつもりだった。  俺は腕組みをし、ウーンと唸りながら首を捻る。 「俺が言うのもなんだけどさ、アイツ……俺にフラれっぱなしだから無理して部長を好きになろうとしてんじゃないかって……思っちゃうんだよね」  そんな事を口にしたら、急にアレ?俺ってもしかしてすげぇモテてるんじゃ?とか思ってしまった。篠崎が俺を好きなんて今に始まった事じゃないけど、本当に今更な気付きだった。  俺はちょっとだけ優越な気分になり、伊織の反応が知りたくて上目遣いで盗み見をする。だが、そこに居たのはしかめっ面をする、機嫌の悪そうな俺の恋人だった。 「……晴弘さんさ、俺にそんな話しして、どーしたい訳?」 「え……どぉって……俺はただ、後輩の心配をだな……」 「アンタの口から他の男の事なんて聴きたくねぇし」  いつにも増して口調の荒い伊織に、俺は変に焦って動揺する。  え、怒ってる?なんで? 「い、伊織?」 「……あの、俺そろそろバイトに行くんで」 「あ……ごめん」 「……………」 「じゃあ、先に帰るな……バイト頑張って」  それだけ言い残し、俺は伊織の顔を見るのが怖くて急いで玄関の外へ出た。そしてまだ夏の暑さを帯びた夕方の空気を腹いっぱいに吸い込んで、モヤモヤとした気持ちと一緒に吐き出す。 「……怒らせちゃった」  そう呟いて、俺は肩を落としては帰路に着く。  何がいけなかったのか。これが伊織のかわいい嫉妬なら嬉しいが、もしそうじゃなかったとしたら。  次に彼と会う時はプリンでも買って渡そう、そして謝ろうと、俺は憂鬱な気分で夕焼け空を仰いだ。
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