押したり、引いたり

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押したり、引いたり

 伊織とギクシャクしたまま、また週末が来てしまった。  相変わらず飲み会はあるし、伊織は目も合わせてくれないが水やお茶を出してくれるしで、この後本当に彼の家に泊まりに行っても良いのかと躊躇ってしまう。  ……うーん、困った。困ったけど……。  俺は隣りでテーブルに顔を伏している篠崎を見て、ため息をつく。  今回は俺達2人共課長の魔の手から無事に逃れられ、座敷の隅っこに陣取っては料理や酒をちびちびと胃袋へ流し込んでいた。  篠崎は倉持部長の事で、俺は伊織の事でずっと悩んでおり、まるで死んだ魚のような目でお互いに胸の内を語る。 「先輩……今日も彼氏の家にお泊りですか?」 「あー……分かんねぇ。この前怒らせちゃったからな……どーだろ」 「そうですか……」 「うん。……篠崎は?部長となんか進展あった?」 「……今日この後、時間があるか聞かれました。なんか、俺ともっと話したいとか言われて……」 「それで?なんて返したんだ?」 「……先輩と約束してるんで、また今度って断っちゃいました」 「俺を巻き込むなよ……全く」 「すみません……でも……他に言い訳思いつかなくて……」  篠崎はのっそりと身体を起こすと、壁に寄りかかってビールをひと口飲む。それから、課長に捕まっては酒を勧められている倉持部長を遠くからぼんやりと眺めては、酔っ払いの戯言のようにぼやくのだ。 「……俺、部長の顔以外は好きなんですよね」 「え?」 「だって……優しいじゃないですか。面倒見良いし、陰で俺の悪口言わないし……。だから余計に困ってるんです」  驚く俺の目の前で、篠崎は体育座りをしてそこに顔を埋める。  そこでふと、俺はある可能性に気が付いた。  最初こそ部長を嫌がっていた篠崎だが、近頃はそれが無い。むしろ部長を受け入れようとしているようにも感じるが、あと一歩が踏み出せない様子でもあった。  ……もしかしてコイツ、俺の許しを待ってるのか?  篠崎は俺に絶賛アピール中である。けれど、後ろを振り返れば他に自分を見てくれている人がいたのだ。その人は優しくて面倒も見てくれて、顔以外には嫌いになる要素がどこにも無い。そんな人ともっとお近付きになりたいけど、いきなり尻尾を振っていた相手を変えても良いものだろうか?と、まぁ、臆病者の篠崎は、もしかしたらそんな事を考えているのかもしれない。  この考えが間違ってたら怖い。でも……後輩の背中を押すのも、先輩の役目だよな。 「なぁ篠崎」 「……なんですか?」 「いいんじゃないか?部長の方を振り向いても」 「……へ?」  キョトンとした表情で顔を上げた篠崎は、俺の方を見て目を見開いた。  だから俺も、彼の目を見てしっかりとケジメをつけさせる。 「悪いけど、俺はどうしたってお前の気持ちに応える気は無いよ。伊織が好きだし、もし、伊織と別れる事になってもお前とは絶対に付き合わない」 「そ、そこまで言わなくても……」 「はっきり言わないといつまでも追い掛けるだろ、お前」 「うっ……」 「それに俺はお前の事、会社の後輩としてしか見れないから。それ以上も以下も無い」  真面目な顔で話すと、篠崎も一応納得はしてくれたのか眉を下げ、寂しそうに「分かりました……」と元気の無い笑顔を浮かべた。 「……ちゃんとフッていただき、ありがとうございます。後ろ……振り返って、俺も部長と向き合ってみます」 「ああ。でも、無理はするなよ。なんかあった時には相談に乗るから」 「はい」  篠崎の頭を撫でてやり、励ます。  今の俺にはこれくらいしかしてやれないが、いつか篠崎が心の底から笑えるようにと願うばかりだった。  飲み会も終わり、篠崎は部長と話して来ますと俺から離れて行った。  1人になってしまった俺は、さて、どうしたものかと悩む。  店に居る間伊織とはずっと目も合わなかったし、まだ怒ってるよな。今日は大人しく自分のウチに帰ろう。  悲しくて寂しいが、仕方がない。自分で怒らせたのだから、甘えてもられない。  俺は駅の方へと向かい、トボトボと歩き始めた。今夜も月が明るいなぁなんて思いながらふらふらしていると、不意に「晴弘さん!」と名前を呼ばれる。俺は立ち止まって振り返り、駆け寄って来たイケメンに腕を掴まれた。 「伊織?なんでここに……お前、バイトは?」 「今日早めに入ったんで、早めに上げてもらいました。つーか、俺んちそっちじゃないてしょ。どこ行くつもりだったんすか」  ……ほらな。やっぱりまだ怒ってる。  怖い顔をする伊織から目を反らして、俺はボソリと白状する。 「……じ、自分の家に帰るんだよ。お前、まだ怒ってるみたいだったし、だから、ちょっと時間置こうと思って」  俺が何か言えば、また彼を怒らせてしまうかもしれない。それが怖くて伊織から逃げようとしたのだ。  しかしそれを聴いて逃してくれるような恋人ではない。  伊織はそのまま俺の腕を引っ張ると、元来た道を引き返し始める。 「ちょ、伊織っ!?どこに……」 「俺んち。当たり前だろ。週末はいつも泊まってんじゃん」 「で、でも……俺……っ」  伊織を怒らせたままだ。時間があれば、プリンを手土産に俺が悪かったと改めて謝りたいのに。  俺が泊まりに行く事を躊躇っていると感じたのか、伊織は一度足を止めるとコチラを振り向いた。そして、大きなため息をついては少し表情を和らげてくれる。 「……晴弘さん、俺がなんで怒ってるのか、マジで分かってる?」 「え、えっと……嫉妬?」  これで間違ってたらどうしようと、オドオドしながらそう答えた。  すると伊織も自分の髪を掻いては「そうですケド」とまた息を吐く。 「……平日に、しかも俺がバイト前にわざわざアンタが会いに来るから顔が見れてちょっと嬉しかったのに……開口一番で他の男の話しされりゃあ誰だって怒るっつの」  言いながら、正面から抱き締められる。  こんなところを誰かに見られでもしたら恥ずかしいが、幸いにも、周囲に人影は無い。  伊織は俺を抱き締める腕にギュッと力を加えると、耳元で小さく呟く。 「……俺はまだ二十歳のガキだから、余裕なんてねぇの。大人同士の信頼関係とかマジで分かんねぇし……不安になんだよ。アンタの事信用してない訳じゃねーけど、俺には晴弘さんしかいないから。……しかも、あれからメッセージくれねぇし、今日は泊まらずに帰ろうとするしで……普通に焦んだろ」  早めにバイト終わらせて良かったと、彼は小声でぼやく。  そんな可愛い事を言う恋人に、俺は胸をキュンキュンさせながらも、ああ、そうかと申し訳なく思った。  伊織が嫉妬してくれるのは嬉しいけど、それで喜ぶのは俺だけだ。当の本人は嫉妬をして楽しい事なんて何も無いのだから。  俺も伊織の背中に腕を回しては抱き締め返し、ごめん、と素直に謝った。 「……お前の気持ちも考えないで、いっぱい傷付けたな」  伊織はこんなに俺の事を想ってくれてたのに、俺は自分の都合で逃げようとしてた。これは大人として恥ずべき行動だったと、深く反省をする。 「なぁ、伊織……今日お前のウチに泊まりに行っても良いか?」  控えめな声色で尋ねると、伊織はボソリと、当たり前だし、と承諾してくれた。 「……その代わり、晴弘さんには俺のお願い聞いてもらいますから」 「ん、俺に出来る事ならなんでも良いよ。お前を怒らせたの、俺だし」  償えるなら、償いたい。仲直りして、また伊織の温もりに甘えたい。  俺は顔を上げ、誰もいない暗い夜道で愛しい彼にキスをした。
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