最悪だ

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最悪だ

「……え、お前の家って……ここ?」 「はい……そうですけど?」  驚いた。篠崎の後を付いて来てみれば、そこは伊織の住むマンションと同じであり、ついでに言えば、お隣り同士であった。  こんな偶然あるんだなぁと思い、ついテンションが上がってしまって余計な事までをも口にしてしまう。 「偶然だなぁ!俺さ、今お前んちのお隣りさんとこに泊めてもらってんだよ」 「え?この隣りですか?」 「そうそう!まさかこんな近くに俺の荷物があったとは……灯台下暗しってやつ?」  ちょっと違うかぁなんて冗談を1人で言って笑っていると、図ったように隣りの部屋の扉がガチャンと開いた。そこから眼鏡を掛けた伊織が顔を出し、怪訝そうな顔でコチラを見据える。 「……晴弘さん?近所迷惑っすよ。声デカイ」 「あっ、伊織!悪い悪い。なぁ、それより聞いてくれよ。実はさぁ」  そう伊織へと話し掛けた瞬間だった。急に後ろから腕が回されて、そのまま引き寄せられてしまったのだ。  そちらを見上げれば篠崎が怖い顔をしており、俺では無く、なぜか伊織の方を睨んでいた。 「篠崎?急にどうしたんだ?」  訳も分からずそう尋ねるが、篠崎は視線を動かさないまま俺の質問にも無視をして、代わりに、目の前の伊織へと言葉を投げ掛ける。 「……あなたが、福田先輩を部屋に泊めてくれてたんですか?」  篠崎のただならぬ雰囲気に、伊織も眉をしかめては部屋から出て来た。そして、明らかに不機嫌そうな顔をして、ぶっきらぼうに「それがどーしたんすか?」と答える。  俺は状況が全く掴めずに、2人の顔を交互に見上げるしかなかった。しかし2人の間にピリピリとした空気が流れているという事しか分からずに、余計に混乱してしまう。  え、なに?なにが起こってんの?  数秒間の睨み合いの末、最初に口を開いたのは伊織の方だった。 「……晴弘さん、その人誰っすか?」 「あ、えっと……コイツは俺の」 「会社の同僚です。あなたこそ、福田先輩の何なんですか?」  俺の台詞を遮って、篠崎がらしくない威嚇をしている。  こんな篠崎知らないと動揺していると、伊織も喧嘩を売るように舌打ちをするのだった。 「ちっ……アンタに関係ねぇだろ。晴弘さん、こっちおいで。もうすぐ昼飯っすよ」 「お、おう……」  何だかよく分からないが、伊織に呼ばれたのでそちらへ行こうとした。が、相変わらず篠崎は俺を抱き締めたまま離そうとしない。  不安になってもう1度振り返ろうとすれば、いきなり視界が揺れて、扉の内側へと引っ張られたのだ。ここが篠崎の部屋だというのはすぐに気が付いたし、背中越しに伊織が「晴弘さん!」と扉を叩くのも分かった。  ただ、目の前には俺に覆い被さるようにして篠崎が扉に両腕を着いており、至近距離で俺の顔を覗き込んでいるのに驚いて息を飲んでしまう。 「……し、篠崎?」  俺はいつもと様子の違う後輩におずおずと声を掛けた。と、彼は泣きそうな顔で俺を見つめる。 「……福田先輩、あの男と……なにかあったんですか?」 「え……なにかって……なに?」 「……だって先輩のその首筋の跡……あの男が付けたんですよね?」 「!」  俺はオーバーサイズの上着の首元を引っ張り、今更ながらにそれを隠した。  ……そう言えば昨日の夜、やたらと首筋にキスされてたような……。  キスマークでも付けられてたのか、迂闊だったと顔を赤くする。  まさかこんな事を後輩に指摘されるなんて、恥ずかしいにも程がある。  俺は低い声で「お前には……関係ないだろ」と突き放すような言葉を口にしていた。しかしそれを聞いた篠崎はギリッと奥歯を噛み鳴らすと、絞り出すような声で告げるのだ。 「……関係なら、あります」 「な、なんだよ……?」 「俺、ずっと福田先輩の事が好きだったんです。なのに、あんなヤツと下の名前で呼び合って……。嫌なんですよ、先輩を……知らないヤツに取られるのは」 「はぁ!?ちょっと、篠崎お前っ」  俺は急な告白にパニックになり、何かを言い返そうと口を開いた。だが、言葉が出る前に唇を塞がれてしまい、反射的に手が出てしまう。 「っ……!」  篠崎の頬を思いっきり平手打ちし、その反動で歯が当たって唇の端が切れてしまった。だけどそれは篠崎も同じであり、俺は訳が分からずに涙を流しては叫んでいた。 「〜〜〜っ篠崎の馬鹿!」  俺は玄関の扉を開けようと身をひるがえし、その時に、脇に合った靴箱の上に俺のカバンと上着が置いてあるのに気が付いた。咄嗟にそれを掴んでは扉を開けて、外で心配そうな顔で待っていた伊織を見ては、またパニックになる。 「晴弘さん!大丈夫っすか!?」  だけど、俺は伊織をも押し退けるとそのまま階段を駆け下りて、マンションを飛び出していた。 「っ馬鹿……!馬鹿馬鹿馬鹿っ!」  後輩にとんでもない事を知られてしまった。好きだと告白をされてしまった。唇を奪われてしまった。  それら全部をひっくるめて、俺はやっぱり伊織がいいんだと、自覚をしてしまった。  ……俺、いつから伊織の事……っ。  でも、別のヤツにキスされて、その直後を伊織に見られて、もう何もかもが最悪だった。  俺はこの苦しい気持ちに抗うように走って走って、走り続けて、そのまま自分のアパートへと辿り着き、カバンから鍵を取り出して転がり込むように自分の部屋に上がり込む。そして、散らかった1人暮らしの部屋にある万年床へと倒れ込み、たった2日居なかっただけで、既に懐かしい場所へと成り果てていた枕に顔を埋めた。 「……最悪だ。なにもかも、最悪だ……っ」  俺は止まらない涙を流し続けて、また疲れ果て、電池が切れたようにいつの間にか眠りについていた。
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