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気がつけば彼女は彼の腕のなかにいた。後頭部に、あたたかい彼の手が添えられているのを感じる。そして、撫で続ける。
その夜彼は、なにも、言わなかった。分かっていてのことだろう。
ごめんね、と謝られれば彼女は自分のことを責め続ける。
またできるさ、と言われれば彼女は現状に苦しめられる。なにも言わない彼の優しさに浸りつつ自分の悲しい暗い一面と向き合い続けた。
* * *
榎原の父には知らせたが、蒔田の両親には知らせないことにした。婚前のことで気に病むといけないと思い、彼女はそう判断した。
会社には火曜日から出社した。高熱が出たんだってね、大丈夫? と心配し、お菓子をくれる同僚の優しさに胸が痛くなった。
その日のランチは、比嘉と外で食べた。都会のまんなかとは思えない、緑に囲まれたイタリアンレストランだった。
外の気持ちいい空気が彼女の頬を撫でる。
店員に注文を終えると、比嘉が彼女に微笑みかけた。「もっと、休んでも、良かったのよ」
「いいえ。会社で働いているほうが、気が紛れますから……」
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