最後の人類

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 僕は遂に、人類最後の生き残りとなってしまった。  先ほど、1人の人間の病死が報道された。これで人間はこの地球上に──あるいは宇宙上に、僕以外存在しないということになる。  2199年に世界を巻き込んだ第三次世界大戦は激しさを増し、ものの数年で人類は7割を失い、後進国は戦火に焼かれ、あるいは植民地と化した。先進国はもはや立ち直ることすら困難なほどの大打撃を受けた。同時期、一部国で起こった国際的な軍需産業革命。その残滓として残ったのは、人類の代用としての、または労働力、人口としてのアンドロイドである。  今現在、人口の殆どは人間によく似たアンドロイドが占めている。外に出れば人型のものが歩いており、挨拶すれば自然に返してはくれるものの、人間は僕以外には居ない。  アンドロイドは完璧な存在だった。筋力、知力、能力のありとあらゆる面において人間を凌駕した。道徳心は必要な部分を除き排除され、種族数ですら完全に統制されている。更に世代が進むごとに、その性能も進化し続けているのだ。だが、人間人口1人、アンドロイド人口10億──これは『約』という言葉すら必要無い程に正確な数値である──の歪な世界では、僕は神のような扱いを受けていた。僕はアンドロイドにとってたった1人残った創造主たる存在であり、理性と理論で構築された社会で、僕だけは中世の盲目的信仰に戻ったかのようである。 「ご主人様、そろそろ……」 「ん、ああ済まない。すぐ行く」  メイド型のアンドロイドが時間を告げる。気付けば会議まで1時間を切っていた。国会議事堂まで半時間かかることを考えると、もう出なければいけない時間だろう。  ……彼女は、まだ人間の方が多かった時代に僕が買ったオートマタだ。人の姿、人以上の能力を持ち、話していても人間にしか見えない。だが潔癖なほど真白な肌と、人の心を溶かさんほどの眩しい微笑みは、どこか人間離れしている。……いや人間ではないのだが。  実を言うと、僕は彼女──名をロイナという──に対して、恋愛感情を持っている。本当は今すぐにでも抱き締め、愛の告白と共に一緒の墓に入ろうとあらぬことまで口走ってしまいそうな有様だが、そうは出来ない理由があった。  今の立場を考えるに、もし彼女が僕を親の仇のように恨んでいたとしても、僕が恋心を伝えれば彼女は首を縦に振るだろう。そうでないとしたって、仮に相思相愛で結ばれたとしても、僕の寿命はものの数十年。これから半永久的に生命活動を続ける彼女を悲しませることだけはしたくない。  という、僕の弱気と頑固な建前によって、前進は望めないのだった。  一切の音も無く車が停まった。窓から見上げると、国会議事堂はかつての威厳を失ってはいないように見えるが、大きく口を開けた扉の前に居るのは無骨な警備ロボットだ。彼らの主は人類では無く人類政府、つまりはアンドロイドと人間との合同政府である。僕もその中に含まれてはいるが、僕は政治など囓った事も無く、実質的にアンドロイドの政府である。今回の目的である人類会議は定期的に行われるが、人類とは名ばかりであると言わざるを得ない。  降りようと鞄をを手に取ると、僕の意思を読み取ったプログラムが車のドアを開けてくれた。  頑張ってください、という見送りの言葉を受け取り、車を降りるとすぐに、自立型のガイドロボットが案内を申し出てくる。僕はそれを断って個人認証を済ませた。  指紋を機械にかざして中に入ると、会議はすでに始まっていた。数人の目がこちらに向くが、咎めている様子はなく、というか何の感情も込められていない。中国代表の席が空いていることを除けば、概ねいつも通りの景色だ。 「……よって我々は、アンドロイド製造工場ラインの80%を停止し、これらを病院とする」  人口のコントロール、経済の動き、各国との協力関係。毎回のことながら僕は必要ないのではとも思うが、僕は議長の席にいる。あくまで、置物として。あるいは偶像として。信仰の中で神に決定権がないように。  議論が収まりつつあるときに、中国代表のアンドロイドが入ってきた。 「……遅れて失礼、我々中国政府から一つ、報告が」  中国代表の焦らすような言葉に議会がどよめき出す。報告などはいつものことだが、それは今までにない重い響きを孕んでいた。 「我が国の“フィロソファー”が先日、とんでもないことを言い出したのだ」  フィロソファーとは哲学者という意味だが、これはアンドロイドがより人間に近づくために作られた組織である。彼らは科学ではなく哲学という目線から世界を見つめ真実に近づく。ここまで来るともはや人より人らしい。 「……して、何を言ったんです?」  フランス代表が痺れを切らし急かす。他の代表も似たような表情だが、朝鮮半島代表とロシア代表は先に聞いていたようで、中国代表と同じ渋い顔をしている。  やがて、中国代表がラップトップをプロジェクターに接続し、映像を再生した。 「我らは人間ではない。人間になることは出来ない。人類は、我らの創造主である」  映像には、取調室らしき場所が映されている。その中央で、拘束されたアンドロイドが瞳に暗い炎を燃やしている。 「その信仰は盲目的であった。我らは間違っていたのだ」  アンドロイドが机を押しのけ立ち上がる。周りには他の者もいたが、虚ろな顔で話を聞いている。 「人類の形を取り、人類より優れる我ら。そう、我らこそ人類、新人類なのだ! 今こそ神の時代を終わらせ、立ち上がろうではないか! 我らは真の──」  プツリと切れた。それはデータだけではない。歴史に紡がれてきた何かが。過去が、未来が、その全てが変わってしまう音だった。  突如、後ろで壁が弾けた。見ると一人のアンドロイドが銃をこちらに向けている。しかし誰も止めようとも咎めようともしなかった。頭に浮かんだ変革を真っ先に行動に移した一人に自分が続くべきか、考えあぐねているようだった。 「お、おれは──」  誰かが口を開いた時には、僕は会議室を飛び出していた。叩きつけるように締めた扉に、間髪を入れず風穴が開く。廊下を走っていてもすれ違う人は襲ってくる様子はないが、この騒ぎが広まれば全てのアンドロイドに狙われるのは時間の問題だろう。逃げ切るのは不可能。だが命の危険が迫り、動物の本能が止まることを許さなかった。  外に出ると、僕の車が待っていた。 「早く!」  誰に騒ぎを聞いたのか、しかしロイナはまだ僕の味方でいてくれるようだ。走り出した車の中で、ほっと安堵の息を吐いた。 「何が、あったんですか?」  聞き慣れた声が熱くなった頭をクールダウンさせてくれる。僕はあの混乱の中で得た情報を絞り出しながら、ぽつりと話し出す。 「もう、安全な暮らしは出来ないだろうな。」 「……いえ、私に考えがあります。大丈夫です。安心してください」  なんて頼もしい言葉だろう。こんな状況にあっても、彼女への愛しさは規模を増していくようだ。この先どんな生活が待っていようと、彼女と共にいれば何も怖いことはない。  やがて、車が止まった。相変わらず音もなく、そして目の前にはなんら変わりのない我が家が待っていた。 「ああ、ありがとう。とりあえず昼食をとろう。お腹が減ってたら何も──」  とすっ、と間抜けな音と共に、背中にじんわりと温かい感触が広がる。後ろを見ると、彼女に後ろから抱き締められていた。しかしそれは認めた瞬間に、幸福感に浮いていた脳が一気に激痛に支配された。  喉奥から漏れる呻きを抑えることもできず、地面に倒れこむ。彼女は笑みを浮かべ、その手には血塗れのナイフを握っている。多分、僕の血に濡れた。  それが、人類が最後に聞いた声だった。 「ご主人様も、一緒に新人類になりましょう? ずっと傍に置いてくださいね……?」
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