雨降る森の花

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 *** 「いらっしゃい」  雨に包まれた暗い森で、「彼女」の住む場所だけが光に溢れていた。  シオンがその眩しさに目を細めつつ開けた場所までまでたどり着くと、ポツンと建つ家のドアに手を伸ばす前に内側から開き、出てきた「彼女」が声をかけてくれた。 「久しぶり。元気そうだな」 「もちろんだよ。さぁ、入って」  促されるまま、シオンはドアをくぐった。  体格の良いシオンにとっては少々狭いドアに、身をかがめる。そして中にはいってみれば、青臭いような、焦げ臭いような、なんとも形容し難い臭いが漂っている。それもそのはず、狭い室内には、いたる所に薬草が吊るされ、色とりどりの瓶が並べられている。前に来た時よりも確実に増えてるそれに、シオンは苦笑と共に安堵した。    「彼女」は、王都の王立学院で学んだ一級薬師である。  そして、専門分野に分かれるまで、同じ教室で教養課程を受けたシオンのクラスメイトでもあった。 「はい。リコルリの根と、ハンザの実ね。あと、プージャと……グラバ。頼まれてた薬草はこれで全部かな」  豊かな緑の黒髪を銀の簪で結い上げた彼女は、くるくると動き回り、頼んでおいた薬草を手際よく机の上に置いていく。本来ならこの辺りの気候で生育するはずのもない薬草も、「彼女」の庭では関係ない。しかも質は一級品だ。 「それと、下痢止め。止血剤。痒み止め……」  薬草に続き、ゴトリ、ゴトリと次は様々な薬瓶を並べていく。全て「彼女」が調合したオリジナルの薬だ。薬学書に示された調合ではなく、独自に改良し、更に一般販売するには一級薬師の資格が必要になる。それ故に、資格取得は狭すぎるほど狭き門であり、合格した暁にはほぼ間違いなく国のお抱えになるというのに、「彼女」は資格取得後の必要最低限の期間、所定の王立機関に所属しただけで、生まれ故郷たる辺鄙な田舎に帰ってしまった。  亡き父親の薬屋を継ぐために。  初志貫徹、といえば聞こえはいいが、優秀な「彼女」が国に帰るとわかったときは、恩師含め、上司や同僚からもそれはそれは考え直せと引き止められた、というのはシオンの耳にもはいってきたほどだ。 「で、これは、腫れ止め」 「…………たのんでないぞ」 「うん。おまけ」  軽く肩を竦めた「彼女」の視線が下を向くのを見て、シオンはバツの悪そうに視線を逸らした。 「……………………バレてたのか」 「ちょっと右足、引きずってるよね。太腿かな? でも血の匂いしないし。だから打撲かなって」  お父さん? と聞いてくる「彼女」に、シオンは苦虫を噛み潰したような顔になる。図星だったからだ。 「稽古、つけてもらったんだ」 「つけてもらった、じゃねぇ。無理やり付き合わされたんだ。あのクソ親父。うるせえから資格こそとったけど、俺は騎士になんぞならねぇ、ってさんっざんいってるってのに」 「聖将軍だもんねぇ」  「彼女」はため息まじりに苦笑した。騎士にも色々ある。王立学院を卒業した時点で王家直属の正騎士となり、その騎士の最高位たるのが聖騎士だ。そしてその部隊をまとめ上げる聖将軍。つまり全ての騎士の頂点が、シオンの父親であった。だが、シオンにしてみれば、家のならいで騎士の資格を無理やり取らされただけで、全く持って騎士になる気などなかったのだ。 「だいたい、俺は三男だぞ。上に兄上が二人もいて、二人とも聖騎士として勤めてるんだから、もういいだろ」 「シオン。すごく優秀だったから、お父さんもその分期待したんじゃない」 「いい迷惑だ」  在学当時、百年に一人の天才、などと煽てられたけれどシオンは全く嬉しくなかった。その後ろには確実に父の影があり、かといって聖将軍の地位を継ぐ気も、まさか兄と家督争いする気もなかったからだ。  ゆえにシオンは最低限の義理として正騎士資格をとっただけで、卒業後、部隊への入団を蹴り、後継ぎがいないと困っていた母方の実家たる商家にこれ幸いと転がり込んだのだ。昔からそりの合わなかった父親から離れられるならどんな職業でもよかったのだけれど、商家を選んだのは、田舎に引っ込んでしまった「彼女」の元を訪れる理由が欲しかったからでもあった。  薬を仕入れるという、大義名分で。  そしてその判断は、半分後悔して、半分は良かったと思っている。  なぜならーーーー。 「これ、代金のかわりな」 「うわぁ。ありがとう。果物も調味料もこんなにいっぱい。あ、お魚。嬉しいなぁ」  薬草と薬引き換えに、シオンは背負ってきた荷物の中身を差し出した。外界から隔絶された「彼女」にとって、貨幣は価値がない。ゆえに物々交換が基本である。特に、場所柄、肉や魚といった物は差し入れない限り手に入らない。保存を考えるとどうしても加工品になってしまうのがシオンとしては残念だった。 「他にもあるぞ」 「え、もらいすぎじゃないかな」 「なにいってんだよ。妥当だ。妥当。ほら」  遠慮する「彼女」の前に、シオンはどんどん持ってきた食料や日用品を置いていく。正直な話。「彼女」から仕入れる薬草も薬も、王都で売ればここいらで捌くよりもゼロが一桁どころか二桁は跳ね上がる。 「こっちは、最近、王都で人気のパン屋のパン。あと、菓子類も……お前、好きだろ。俺はよくわからないから、店員におすすめで詰めてもらった」 「美味しそうだね。それにキラキラしてて綺麗」  シオンはさして甘味に興味がないが、「彼女」は目を輝かせた。王都なら容易く手に入る砂糖菓子も、田舎では貴重品だ。甘みといえば果物ぐらいで、「彼女」自身、王都で学院に通うまではほとんど口にしたことはなかったという。  いまだ物珍しそうに菓子を見ている「彼女」を他所に、シオンは飴玉の瓶を追加で置いた。「彼女」に、と念を押して渡した菓子は色んな種類を少しずつ詰め合わせたものだが、この瓶はぎっしり飴が詰まった大瓶だ。ーー「彼女」が、村の子供たちにやってしまうのを見越したものである。甘い物好きな「彼女」のために前に多い方がいいだろうと同じものを渡したら、「彼女」の口に入ることなく、全て村の子供達に渡ってしまった経験があるからだ。  乞われたわけではない。勿論、奪われたわけでもない。  「彼女」が与えてしまうからだ。  欲する「誰か」のために。  その自己犠牲精神は「彼女」の美徳であって、シオンにとっては歯痒さでもあった。  人の目で見れば、「彼女」は素朴で慎ましやかな平凡な娘だ。けして大輪の花には敵わないだろう、吹けば飛ぶ小さな野の花。  しかし、妖精にとって、人の思う美醜の基準は当てはまらない。  彼らはその魂の美しさにこそ価値を置く。  だから、運悪く見つかってしまった「彼女」は、捕らえられてしまっ
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