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というか、ここでは有名人だ。
物理科の山科助教、俳優かモデル並みの容姿と鉄火肌な気風で(本当に江戸っ子だそうだ)学内に広く知られ、目立つせいかビミョウに敵もいるが、講義が面白いので学生の人気は高い。
実はKが一回生の頃、流体力学の講義で聞いた変化球の話がとても興味深かったので、質問ついでに研究室を訪問した際、思わず話し込んだ記憶がある。そういえば、某球団3投手の得意球をモデル式で表すという件、どうなっただろうか?
しかし今、その山科の美しい横顔はひどく真剣だった。
ちょっと気になって、Kは山科の姿が消えた方を窺う。北側には教職員の駐車場があるので、そちらの通用口から出るのか、と思っていると、
「悪い、遅くなった」
山科の声だ。
人が居たのか、とKは更に驚いた。こんなところで待ち合わせ? と首を捻っていると、山科が続けた。
「つうか、こんな天気の日に傘持って出ないとか、意味がわからない。おまえ、雨男の自覚がないのか?」
男の人?
と、思わずロッカーの影から身を乗り出すと、通用口の近くに立つ山科の向かいに、誰かがいた。Kの場所からは顔が影に入ってよく見えないが、黒いタートルネックのセーターとジーンズ。それなりに上背のある山科より長身だ。180半ばくらいだろうか。それにしても均整の取れた体躯をしている。
雨の日特有の磨りガラスのような光に、ふたりの姿が浮かんでいる。
「…の用は済んだのか? ああ… そうか…… それで…」
よく通る山科の声は抑えていても届くが、相手の声は聞こえない。口調からして教員や学生相手ではなく、もっと親しい相手のようだが…
その 低い声が、
時雨に紛れるように柔らかく、艶やかに響いて。
相手の答えに、山科は笑ったようだった。
不意に、山科が一歩を踏み出す。
と同時に、左手で相手の頭を引き寄せるとそのまま、キスを、した。
獣、みたいな
やや強引な、噛みつくようなキスだった。
ただ、
長い睫毛に縁取られた山科の瞳は、まだ、かすかに笑っていた。
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