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柚子の袋を下げて、Kは普段は足を踏み入れない物理科まで来た。
乱雑で泥臭い化学科より、多少は近代的で整頓されている気がしたが、隣の芝生は青いだけかもしれなかった。
一回生の頃に質問に来たことがあるのだが、配置換えもあったらしく、よく解らない。通りがかった人を捕まえて尋ねると、体育会で顔を見たことがある院生さんが案内してくれた。確かラグビー部だ。
山科助教の部屋は博士課程の院生二人と同室だったが(基礎研究の研究室は常に予算とスペース不足だ)、今は山科一人だった。
「先生、お客はんです」
開いたドアの先、液晶画面を見詰めていた山科が、「どちら様?」と尋ねてくる。きりりとした美貌がこちらを向いた。その真ん中、眉間に力が入って、
「ああ、君、野球部の…」
と、考え込む風になる。覚えていてくれたらしい。院生さんも心当たりがあるらしく、こちらを振り返りながら訊いてきた。
「キャプテンで、セカンドの子やな?」
「や、センターだよな?」
「いえ、ショートです」
Kは苦笑しながら訂正する。下級生の頃はセンターでも出ていたが、いちおうベストナインにも選ばれたこともある。
「惜しい、6か。2の平方でも立方でもなく友愛数か」
いや惜しくはないような、と思ったが、おかしくなってKは少し笑った。それから、お届け物です、と来意を告げる。
「これ、農学部の根岸から頼まれました」
部屋の真ん中のテーブルに袋を載せて柚子をひとつ取り出すと、ふわりと香りが広がる。山科も院生さんも納得顔になった。
「演習林のですか。恒例の」
「わざわざ悪かったな。時間はあるかい? お茶ぐらい出そう」
山科は立ち上がると、Kに適当に座るよう促す。一方、じゃあ俺はこれで、と院生さんは辞去していった。
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