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「コーヒーしかないんだが、君、カフェイン制限してたりする?」
「いいえ、大丈夫です」
元々、Kとしては好んで飲む方ではなかったが、徹底したコーヒー党の同居人の影響で習慣化した。濃茶の芳ばしい飲み物は確かに中毒性があった。
「ついでに言えば、ミルクと砂糖もない」
「や、平気です」
同居人もブラック派で、自然とKもそれに倣った。こうやって日常生活から浸食されるんだな、と心の中でひとり苦笑する。
「そいつは僥倖」
山科はそう笑ってKの前にマグカップを置くと、自分もマグを片手に座った。マグカップは某球団公式マスコット、というかスポンサの公式マスコットのタヌキ柄だ。思わずまじまじと見ていると、山科が言い訳する。
「押しつけられてな。俺としては、どうせマスコットなら■■■の魚とかの方が良かったんだが」
「いましたね! あのエキセントリックな」
「あそこの広報、無駄に勇気があるよな」
と、運良くこの話になったところで、Kは切り出してみた。
「あの、例の変化球のモデル式の件、今はどうなっとるんですか?」
「ああ、あれな! 実は想像以上に上手くいったんだ。それが…」
聞いてくれるか? と、山科が語るところによると、研究として思いの外、かなりイイ線まで行ったらしい。投手ごと、球種ごとに波形のパターンを割り出して解析をというところで、その時分、開催されたシンポジウムの前座にかけてみたそうだ。
「本格的に論文にするものじゃないが、分かりやすいし、一般ウケするだろ? 科学誌や公開講座のネタにでもと思ってな」
いや、確かにとてもウケたのだそうだ。しかし、
「うちの大ボスが〝他の投手はどうなんだ?〟って言い出してな。あの人、筋金入りの虎党なんだよ」
「気持は分かりますが… ファンとして…」
ちなみにココの大ボスとは学部長であり、けっこうな権威である。
「それがな、シンポジウムの座長がT大のN教授で、あっちは生粋のジャ▽アンツファンだったんだ」
そこまで来ればだいたい予想は付いた。死人が出たのでは、と、Kは本気で心配になる。
「それは… ざ、残念でしたね」
「真剣に命の危険を感じたぞ。あの熱意で仕事してれば、ノーベル賞ぐらいさっさと取れたろうに」
「まあ、愛が重いですよね…」
「おかげで話は進まねえし、あんま表にも出せないから、今はオープンキャンパスと学祭の客寄せにしか使えてねえんだよ。ジジイどもめ」
とは言いつつ、なんだか山科は楽しそうだ。本来のテーマから外れた研究は、むしろ純粋な遊びなのかもしれず、それはちょと羨ましかった。
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