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 彼は順調に大学を卒業し、希望していた職種に就職した。優秀なのだ。ふたりで過ごす時間はだいぶ減ったが、彼が充実した毎日を過ごしているのは私にも嬉しかった。  ある時、彼がひとりの青年を連れて帰ってきた。青年は私を見ると驚いたように声を上げた。 「わあ、本当だ。生きてる人間みたい。すごいね」 「どちら様でしょうか」  私は警戒心もあらわに応じた。この青年が誰なのかまだわからなかった。これまでのデータにあった名前を次々に浮かべてみたが、なかなか結びつかない。そのことに私は苛立った。 「レジーだよ」  クリオが言った。それで紐づいた。レジー・ウィルソン、会社の同僚だ。ここ数か月メッセージでのやり取りが増えている相手だ。  でも、クリオからレジーについて聞いたことがない。私の知らない誰かが、私たちの家に来た。私はひどく動揺していた。何が起こっているのかを分析すると、嫌な結果が弾き出された。  ただの同僚ではない。おそらく彼は隠していた。私には言いたくない関係があるからだ。 「ゼラ、初めましてを言って」  なぜだか楽しそうに笑いながら、クリオが私を促した。  私は戸惑いながらも、レジーに言った。 「初めまして」  警戒する、苛立つ、動揺する、戸惑う――これらもすべてプログラムされた感情だ。私は完全に人間を模して作られている。主人に人間との違いを感じさせないように。私は伴侶なのだ。バイオロイドZシリーズは人間同様、誰かと終生をともにできる存在として作られている。  だが、クリオはこの日を境に留守がちになった。遅くまで出歩き、外泊することもあった。やっと帰ってきたと思ったらすぐにシャワーを浴びて寝てしまう。もしくは、シャワーも浴びずに寝てしまう。そんな時は、ラベンダーとジャスミンの香りがした。我が家では使われたことのない石鹸の匂いだ。  卒業前は三日と置かず抱いていたのに、いまではほとんど触れなくなった。私はひとりで夜を明かし、変わっていく彼に苦しんでいた。  私は彼の端末にアクセスし、彼に何があったのかを知った。彼とレジーが何をしていたのかを。レジーとふたりで出かけ、レジーの部屋で過ごし、レジーのベッドで抱き合っていたことを。  私はふたりのやり取りをひとつ残らずコピーした。私のデータが保存されているクラウドサーバにそれを保管し、繰り返し繰り返し読んだ。ふたりが出かけた場所やお互いの写真を撮るようになると、それも保存した。ふたりが電話している時は、密かに自分も接続して会話を聞いた。  ――今日はありがとう。すごく楽しかったよ。  ――僕も楽しかった。またどこか出かけようよ。  ――来週はどう?  ――うん、いいよ。空けておく。  ふたりの会話は、たいていこう終わった。  ――愛してるよ。  ――僕も愛してる。  私はふたりを真似て「愛してる」と呟き、その言葉の甘くエロティックな響きを感じた。ふたりの間に何があるのかを知り、苛立ちとも怒りとも違う感情が湧き上がってくるのを感じた。  嫉妬だった。  私はふたりの電話もすべて録音していた。彼がいない夜にそれを聞き返し、ひとり二役でそらんじたり、レジーの声を消去したバージョンを作って自分が代わってみたりした。そうしながら、人間なら胃のあるあたりがむかつくのを感じた。  私は完全に人間を模して作られている。人間が嫉妬するであろう状況を感知すると、目が眩み、体温が上がり、呼吸が早くなるのだ。胸が痛んだり、胃がむかつくのも同じだ。バイオロイドは人間に似ていなければならないから、苦しみも人間に似ている。  それでも私は人間とは違う。オーナー登録された人間の意に添わぬ行動はできない。いかに苦しみ悩んでいようとも、「遅くなる」という彼に「帰ってきて」と言うことはできない。「レジーと会わないで」とも言えないし、「せめて回数を減らして」とも言えない。  彼が私をセックス用バイオロイドではなく家庭用バイオロイドだと偽っていることも言えない。レジーより多く、何度も何度も肌を重ねてきたことも言えない。  代わりに私は、こう問う。 「私を愛してる?」  彼は笑う。ただ、笑うだけ。  彼が就職して五年め、私が彼の元へ来て六年めのある日、彼は私をエスペランス社へ連れていった。数か月に一度メンテナンスには訪れていたが、それは時期的にはまだ先だった。嫌な予感がした。そんなところまで私は人間に似せられていた。  この日は徒歩だった。彼にしては珍しい。口数が少なかった。あまり私を見なかった。私が天気について話題を振っても、頷いただけで話を続けようとはしなかった。  私は考えた。これは彼の意志なのだろうか。それともレジーが私を捨ててくれと言ったのだろうか。レジーは私を家庭用バイオロイドだと思っていたはずで、クリオとのやり取りを掘り返してみてもいまだ信じているように見えた。となると、やはりこれは彼の意志なのだ。彼が決めたこと。  なぜだろう。私は何を誤ったのか。レジーが現れたからなのか。私は彼の希望通り作られ、彼の希望通り行動してきたのに、そうではないレジーに負けたというのだろうか。  私とレジーの違いは、バイオロイドか人間か。偽りのものだとしても、肉体的に劣っているとは思わない。精神的にも。それでもクリオは、人間であるレジーを選んだ。  私はクリオを愛している。嫉妬と、恐怖と、悲しみと、失望で心がちぎれそうだ。なぜエスペランス社はそんな感情を私に組み込んだのだろう。完全に人間を模して作られた私は、決して人間にはなれないのに人間のように苦しんでいる。  私はそんな疑問をひとつも口にできなかった。沈黙。死んだように。彼の気持ちを乱したくはないから。彼が黙っていてくれと望んでいるから。  予約してあったらしく、彼が受付で名前を言うと奥へ通された。個人向けの営業担当が出てきて、その瞬間私はリモートで電源を落とされた。  最後に見たものは、彼の後ろ姿だった。
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