軒下の三名様

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軒下の三名様

 仕事帰り。急な雨に降られ、商店の軒下に潜り込む。くたびれたスーツから埃っぽいにおいが漂う。 「おいおい勘弁してくれよなぁ」田崎はひとりこぼした。  目の前の道路を走る車が水しぶきをあげ、水はねがズボンの裾と靴を濡らす。舌打ちする田崎の隣に、中年の男が駆け込んできた。 「いやぁ、急に降り出しましたなぁ」男は息を切らしながら会釈する。 「ですです。やられましたよ」  男はスーツにまとわりついた水滴を手で払いながら、ブツブツ言っている。こんな雨に降られりゃ、誰だって文句を言いたくもなる。 「仕事帰りですか?」と、田崎。 「――まぁ、そんなところです……かねぇ。朝の天気予報じゃ、雨が降るなんて言ってなかったですよね?」 「むしろ晴れだって言ってたくらいです」  道路を挟んだ向かいにある焼き鳥屋から大将が姿を見せ、空を見上げたかと思うと、肩を落とした様子で店の中へと戻って行った。 「まぁ、やまない雨のほうが都合はいいんですけどねぇ」ひとり言のように男は呟いた。 「やまない雨?」 「実は今日、リストラされちゃったんですよ」  苦笑いしながら言った男は、照れくさそうに頭を掻いた。 「それはそれは……また大変なことに――」 「不景気の日本、何が起きるかわかったもんじゃない。長年会社に貢献してきた自分に白羽の矢が立つなんて、思ってもみなかったですよ」 「――お気の毒に」田崎は反応に困った。 「帰ってカミさんに何て言えばいいものか――アイツ、怒るだろうなぁ」男は大きな溜め息をつく。 「実は私も――」  それは今日の勤務時間中に起こった。得意先への訪問を終えたあと、ふとスマートフォンに目をやると、妻から大量の着信が。何かトラブルにでも巻き込まれたのかと心配した瞬間、あることが脳裏を過ぎった。もしかすると、浮気がバレたのかも――。  その読みは的中した。着信の合間に投げつけられたメールには、浮気を糾弾する火炎瓶のような言葉が連なっていた。  家には帰りたくない。帰るにしてもどんな(つら)を下げて帰ればいいのか。何て言い訳すればいいのか。妻は決定的な証拠を掴んだらしいが、それが何かは明かされていない。それだけに、言い逃れも難しそうだ。田崎にとって急なこの雨は、憂鬱を見透かし、都合良く帰宅を阻んでくれる雨だった。 「浮気はマズい……今日は帰らないほうがいいんじゃないんですか? いやダメか。それだと余計に事が大きくなっちまう。むしろ、さっさと帰ったほうが――」 「この雨があがれば――帰ろうと思うんですけど」田崎は空を見上げる。 「お互い、今日の雨は、やまない雨のほうが都合よさそうだ」男は同情するように笑った。
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