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02.課長の性的嗜好など知りたくなかった①
最悪だった週末が終わり迎えた月曜日の朝。
週休日は、ほとんど眠れず食事もとれなかった麻衣子の体調は最悪で仕事を休むことも考えたが、入社五年目となると上司から任された大事な仕事があるのだ。
引継ぎも無く誰かに任せることは無責任だと、怠い体を叱咤して起き上がる。
二日ぶりに頭から冷たいシャワーを浴び、空っぽの胃にコーンスープを流し込んだ麻衣子は、スーツに着替えて職場へと向かった。
「あれー課長、どうしたんですか?」
寝不足と精神的疲労で、ふらつきながら出勤した麻衣子がデスクに座ったタイミングで、若い男性社員の声が耳へ届く。
「ああこれか。ちょっと酒に酔って階段で転んじゃってさ」
首を動かして振り返れば、何時もは後ろに撫でつけている前髪を横に流してた斎藤課長がファイルを片手に持ち立っていた。
額に大きな絆創膏を貼った斎藤課長と視線が合い、表情を強張らせる麻衣子を見た彼は目を細める。
「おはよう、須藤さん」
幻でも幽霊でも無く、床に足とつけてしっかり歩く斎藤課長の口元は笑みを形作っていてるが、眼鏡の奥の瞳は全く笑っていない。
彼が生きていたことを安堵する余裕も生まれず、麻衣子の背中に寒気が走った。
昼食休憩となり、食堂へ向かう気力も無い麻衣子は自動販売機で栄養ドリンクを買い、深い息を吐いた。
「少しいいかな?」
「ヒッ」
麻衣子が振り向く前に、背後から近付いた人物は自動販売機へ片手をつき、彼女の逃げ場を塞ぐ。
「あ、すみません。課長も買いますか?」
驚きのあまり思考停止した麻衣子は、引きつった笑顔を作り間の抜けたことを問う。
壁ドンならぬ自販機ドンをしているのは今一番会いたくない相手、斎藤課長だったからだ。
「いいや? 麻衣子さんに話があってね」
胡散臭い笑みを浮かべる斎藤課長は、“須藤”さんではなく“麻衣子”さんと言い自販機ドンの体勢を解いてくれない。
動揺を必死で隠して、頭一つ分以上背が高い斎藤課長を見上げた麻衣子は、この光景を他の社員に見つからないか彼に何を言われるのかという恐怖で、心臓の鼓動が速くなる。
「話? あの、怪我の具合は……?」
「たんこぶと掠り傷程度だ。警戒しないで、と言っても無理か」
苦笑した斎藤課長は自販機についていた手をどかす。
「いくら酒が入り焦っていたとはいえ、この前は性急過ぎた。女の子に拒否された上に反撃されて、逃げられたのは初めてだったんだ。麻衣子さんに連絡を取って話をしたかったけど連絡先すら知らないんだって気が付いて、順番を間違えたと反省した」
「どうして、あんなことをしたんですか? あと、何故ホテルに居たのか教えてください」
ごっそり抜け落ちた記憶を問う麻衣子の全身は緊張していき、栄養ドリンクを握る手に力がこもる。
「だって君、ガードが堅いし真正面から口説いても落ちてくれないと思ってね。わざと強い酒をすすめて、イイ感じに酔ってくれたからタクシーへ乗せる振りしてホテルへ連れて行ったんだ。ちょっと確認もしたかったし」
「ホテルへ行ったのは合意の上では無かった、でいいですか?」
「一応、ホテルへ行くかどうか訊いたら頷いたから、同意の上だろう」
記憶を無くすくらい酔っていたら、それは同意では無いだろうと突っ込みたいのに言えず、こめかみが痛くなってきた麻衣子は片手で頭を抱えてしまった。
「で、怪我のことを少しでも悪いと思っているなら、今夜はちゃんと付き合ってくれるかな?」
「付き合うとは、どういった意味ですか?」
無意識に後退していた麻衣子の背中が自販機に当たる。
「夕食を食べに行こう、というお誘いだよ。もしかして、違うことを期待してくれたのか?」
嬉しそうに笑った彼は、表情筋が固まっているのではないかと周囲から言われている「氷の課長」ではなく、普通の青年に見えた。
「今夜六時半に駐車場前で待っていてね。これ、俺の連絡先」
返答に迷う麻衣子の手に名刺を握らせ、ウィンクをした斎藤課長はエレベーターホールの方へ向かって歩き去って行った。
固まっていた麻衣子は、斎藤課長の姿が見えなくなりようやく肩の力を抜いた。
「……何、アレ?」
仕事中の課長とは全くの別人のような言動をされて、麻衣子は呆然と自販機の前に立ち、手渡された名刺を見る。
手渡された名刺の裏にはプライベート用電話番号が書かれており、うっかり落とさないように慎重に財布の中へと仕舞う。
午後は夜の事が気になり過ぎて全く仕事に身が入らず、両隣の席の同僚に体調が悪いのかと心配されてしまったのだった。
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