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第一章 獅子と鷹(1)
熱に揺らめく緑の地平ははるか後方にあり、眼前の果てしない砂の海は揺らぎさえしない。正義そのものたる太陽は、昼の世界から容赦なく闇と陰とを消し去った。その公明正大な恵みのもとにある灼熱の大地には、ほんの僅かな日陰も、緑さえも見当たらず、そこを渡ろうとするあらゆる生き物の命と心を、等しく削り取っていく。
日除けのために被っていた亜麻布を押し下げ、ヘリホルは、はあ、とひとつ息を継いだ。
辛い。
当たり前だが、覚悟してきたよりよっぽど辛い。
決して重たくはない彼の体の下で、乗っているロバはもう倒れんばかりになっている。身体の両脇に提げた壺の中身がまだ半分ほども残っていることなど、何の慰めにもならない。既に彼らは、こうしてもう丸三日も、見えないオアシスを目指して旅をしているのだ。だが、行けども行けどもその先は変らぬ光景で、オアシスの気配は何所にも見当たらない。後ろに付き従う二人の従者たちも、ヘリホル自身も、道を間違えたのではないかと不安で一杯だった。
慰めは、足元にまだ、導くような古い陶器の欠片が点々と続いていること。かつて同じようにここを辿って来た、旅人、隊商、軍隊、逃亡者たちが、連れのロバに背負わせていた水壷の名残だ。
まさにそれゆえに、沙漠を渡る古い道は「壺の道」と呼ばれた。
その道は唯一、豊かな緑と涼しい木陰と、絶えることなき大河の恵みがもたらす「黒い土地」、彼らの国から、不毛の「赤い土地」、異邦の大地の奥深くにあるアオシスへとたどり着くための道だった。このか細い命綱を外れて道なき赤の世界に迷い込めば、その身は西方の女神の御手に委ねられる。
すなわち、死だ。
喘ぐロバを叱咤しながら、ヘリホルは、懐から地図を取り出す。
「あと、もう少しのはずなんだが…」
微かな風が額を撫でていく。涼しさの欠片も無い、熱を帯びた砂混じりの風だ。思わず眼をしばたかせながら顔を上げ、風の吹いてきたほうを見やった彼は、思わず目を疑った。さっきまで晴れ渡って何も無かった地平線の彼方から、こちらに向かって砂混じりの壁が押し寄せて来るではないか。
「あ…嵐だ! 砂嵐が来るぞ!」
後ろで従者たちが悲鳴を上げる。本能的に逃げようとするが、あの風の反対側へ向かうということは、道を外れることを意味している。ヘリホルは慌ててロバを降り、従者たちに向かって叫ぶ。
「間て。そっちは駄目だ。ここに留まって、やり過ごすんだ――」
言い終わらないうちに、砂の塊が襲い掛かってきた。口と言わず鼻といわず、風は容赦なく襲い掛かってくる。思わず手を顔の前に翳した。轟轟と唸る風の中、辺りは一瞬にして夕刻になったかのような暗闇に包まれている。怯え切ったロバはその場にしゃがみこんでいる。ロバとともに体を丸め、砂から顔を庇いながら、彼は他の二人の姿を探した。
と、その時だ。
風の中を何か、黒い、人影のようなものが蠢いた。連れの従者たちのようには見えなかった…どすん!
鈍い衝撃とともに、体ごと砂の上に落ちる感覚があった。
砂の上に突っ伏しながら、彼は一瞬だけ、その人影の正体を見ていた。
(――赤い、髪?)
それを最後に、彼記憶は途切れた。
やがて嵐は過ぎ去り、空は何事もなかったかのように晴れるだろう。
けれど、飲み込まれた者たちが元通りその場所に立っていられるかどうかは誰にも分からない。
永劫にも近しい過去の時間の間、幾千となく不運な旅人たちを砂の奥に隠してきた赤の大地が、今回ばかりは全ての旅人たちを無傷で留めてくれるなどという保証は、何所にも無い。嵐の後に誰かが失われようとも、人々は、「それが赤の大地の掟なのだ」と諦めしかないのだ。
そこは、人の守り手たる神々の治めし黒い土地<ケメト>の外。死の国へと通じる西の地平。
混沌と暴風を統べる力ある神、<沙漠の王>の領域なのだから。
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