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【おまけ】ここまでの! 古代エジプト★豆知識②
◆パピルス
「紙」を意味するペーパーという用語の語源でもあるカヤサリグサ科の多年草。古代エジプト語ではチュウフイイで、のちにコプト語ではジューフとなった。
「パピルス」の語源は古代エジプト語の「王の草」(パ・ペル・アア)とする説があり、王家の専売だった時代に呼ばれるようになったと思われる。品質には差があり、上質なものほど白くて薄い。
かつてはエジプトの主要な輸出品目でさえあったが、湿地帯の開発などの要因が重なり、エジプトのナイル流域の天然ものは全滅してしまった。
◆各街の守護神
古代エジプトの各街には、街ごとの守護神が設定されており、街の名前とその街の守護神の名前は結びついていることが多い。
猫の姿をとる女神バステトは「バストの街のもの」。
朱鷺の姿をとる神ジェフティは「ジェフウトのもの」。
これらの神名はいわば仮の名であり、本質を現す別の「真の名」があると考えられていた。
◆季節
古代エジプトの季節はナイルの増水に従って三つに分けられていた。
増水の始まる初夏が一年の始まりで、そこから三カ月が「増水季(アヘト)」、次の三カ月が「成長季(ペレト)」、最後の三カ月が「収穫季(シェムウ)」。
一か月は三十日ごとで、十二カ月の終わりに「予備日」と呼ばれる五日を入れて三百六十五日で一年。公用暦はキリよくこのままだったため閏日の分が年々ずれていってしまったが、古代人は「端数」も認識していたため農業暦としては微調整されたものが使われていた。
ナイルの水位は季節によって大きく変動し、場所によっては十メートル近くも水位が変わったという。
◆神殿所領
神殿の財政については謎も多いが、大きな神殿については、税収を許された独自の荘園のようなものを持っていたようだ。この領地の住人は神殿が使える労働者ともなった。主神ともなればその所領は小国家にも匹敵し、ラメセス3世の時代の最大の神殿所領は、以下のようなものだった。
テーベ(ウアセト) アメン大神殿
家畜 約42万頭
耕地 約2,400平方キロメートル
果樹園 433
村落 65
財政を記録した最古の資料は第5王朝の「アブシール文書」と呼ばれる葬祭殿の出納を記載したパピルス。赤字財政の時は本当に赤い文字で書き入れているのが面白い。
◆異国
この物語の舞台となる時代は、ナイル世界の四方から様々な異国人がナイルのほとりに流入していた。
西の沙漠からリビア系の人々が、シナイ半島の向こうからはベドウィンの祖先や西アジア系の人々が、南からはクシュやワワトと呼ばれたアフリカ内部の地域の人々が移住している。ナイル下流のデルタ地帯にアジア系やリビア系の部族王朝が成立していた時代でもあり、そうした「よそ者」たちの名は、公式文書にも多く残っている。
時代が時代なので、今回は欲張ってカナアン辺りのアジア系住民にも登場してもらった。
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