第五章 赤の地平(3)

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第五章 赤の地平(3)

 酷い砂嵐の過ぎ去った朝、兵たちは大急ぎで陣を整えた。夜には襲撃があるはずだ。準備に費やせる時間は、それほど多くは無い。  「急げ! 砂に埋まってる塹壕を掘りだすんだ」  「女と子供は、地下室に籠る支度を」 あちこちで声が飛び、人々が走り回っている。遠征軍よりも街の人々のほうが必死なのは、自分たちの街を守るためだからだろう。  見張り台には、襲撃が早まることはないか、盗賊団の斥候がうろついていないかを確認するため、昼間から途切れることなく誰かが登っている。ヘリホルも鷹を飛ばして何度か見回らせたが、今のところ、近くに怪しい人影はいないようだった。  「準備が出来た者から、早めに休息をとるように。日が暮れる前に腹ごしらえは済ませておけ。」 部下たちの間を見回って、ウェンアメンが兵たちに告げている。鷹と黒犬を連れて木陰にいるヘリホルのところまでやって来ると、彼はふと、足をとめた。  「貴殿も、地下に入られたほうがいい。鷹神の神殿からの使いとしての役目は、もう、十分に果たされた」  「いえ、私は外に居ます。見届けておきたいですから、この戦いの行方を」 そう言って、彼はオアシスの外に広がる沙漠に目をやった。  「…それにきっと、彼にはどこかで助けが必要になる」  「あの男のことか。あの者は、自ら戦えるのでは?」  「それでも、です。」 確信を込めたヘリホルの表情に、ウェンアメンもそれ以上無理強いする気は無くなったようだった。  「くれぐれも、無茶はされないように」 それだけ言い残して、立ち去ってゆく。  昨夜の荒れ狂う風と裏腹に、今は穏やかな、かすかに熱を帯びた風がゆったりとヤシの間を過ぎ去っていく。パディアメンの姿は見かけないが、おそらく、街のどこかで部下たちを指揮して迎撃の準備を整えているのだろう。  作戦では、こちらが待ち受けていることを敵に知られないよう、今夜は早めに焚火やランプの灯りを消し、兵たちも武装を解いて寝付いているように装うことになっていた。  街に盗賊団の斥候が入り込んでいればバレる心配はあるが、そうだとしても、知らせる手段が無ければ問題はない。そのためにもヘリホルは、怪しい動きをする者がいないかを、定期的に鷹を飛ばしながら見張っているのだった。  「…そろそろ、もういちど見回っておくか」 腰を上げ、ヘリホルは腕に乗せた鷹を掲げた。  「ヘカト、頼めるか?」  「わかった、でもおなかすいたの。戻ったらごはんね。」  「ああ、準備しておくよ。それじゃ、…いくよ!」 放り投げた鷹が、空に吸い込まれていく。足元で寝そべっていた黒犬が、くあっと口を開いて大きくあくびをしながら立ち上がった。カイビトのほうも、少し見回りに出るつもりらしい。  (水と食料か。肉は昨日、街の人たちに貰ったヤギがある) それは、鷹神様に是非、と、うやうやしく一頭丸ごと捧げられたものだった。  どうしたものかと思ったが、断るわけにもいかないので受け取ってはおいた。そのあとで、炊事係に渡してヘカトのために脚と内臓の一部を切り分けてもらって、残りは料理に使ってもらうことにしたのだ。今日の昼食には、もしかしたらそのヤギの肉が入っているかもしれない。  空を見上げると、はるか彼方を舞う鷹の姿がちいさく見えている。様子からして、周囲に怪しいところは何もなさそうだ。  盗賊たちは、一体どこからやって来るのだろう。街からぎりぎり見えない範囲で隠れ潜んで、最後の最後に一気に距離を詰めてくるつもりなのかもしれない。  時は、いつしか過ぎていく。  戻って来たヘカトに肉を食べさせながら、ヘリホルは、夜を待っていた。今日の月は二十七夜。月の出は遅い。  夕闇が東の地平線から広がっていく頃、カイビトはふらりと戻って来た。  「ワフッ」 黒い瞳を鋭く光らせながら、犬は、短くそう告げた。言葉は分からない、が――何を言おうとしているのかは、はっきりしている。  「来るのか、奴らが。」 呟いたその時、見張り台の上から激しく石を叩きつける警告音が鳴り響いた。  「敵襲ー! 敵襲ー!」 見張り台から見張り台へ、次々と音が伝播していく。共鳴しあう音に、うつらうつらしかかっていた兵たちも叩き起こされた。まだ、西の空は明るいのに。――炊事係は、作りかけの夕食の鍋もそのままに、慌てて焚火の火を消した。風が強いと火種から火の粉が飛んで、火事の原因になるかもしれないからだ。  「どっちだ? 襲撃は」 ウェンアメンが部下たちに怒鳴っている。  「南からです! 南の、開けた沙漠のほうから」  「…本当に、真正面から攻めてきたのか」 唖然としながらも、彼は武器を手に、自ら先陣を切って攻め寄せてくる盗賊団のいる方向へ歩き出す。これまでの恨みつらみ、反撃も出来ず部下たちを失った焦りもある。彼の形相には、沙漠の神の一部が乗り移ったような気迫が漲っている。  それを横目に見ながら、ヘリホルは、急いで近くの家の二階へと走った。  (問題は、あの三人の傭兵たちだ。どこにいる? セティは、来ているんだろうか) 防御柵のあたりで、小競り合いはもう始まっていた。待ち構えていた街の投石隊が、皮帯をふりかぶって勢いよく石を投げつけている。石は沙漠でいくらでも拾えるから、あらかじめ集めておけばいくらでも投げられる。  盗賊たちはきちんとした防具のない者も多く、運悪く腕や脛に当たれば相当に痛いのだ。下手をすれば骨が折れる。  その隙間を縫うように、兵士たちが槍を手に、倒れたり、歩みを止めた盗賊たちに留めを指していく。奇襲をかけたつもりでアテの外れた襲撃者たちの群れは、見る間に態勢が崩れていく。  「至高なる神、アメンの御名(みな)の元に!」 高らかな声とともに、視界の端に、羽根を組み合わせた白いアメン神の標章をつけた棹が立ち上がった。ウアセトから来た、パディアメンの隊だ。  戦いの光景は、酷いものだった。  盗賊たちの多くはただやみくもに武器を振り回すしか出来ない素人だ。無防備な旅人を群れで襲うしか出来ない、農民くずれのような輩も多く混じっている。  腹が減っているのか、攻め寄せた先から武器など投げ捨てて畑の中からまだ熟してもいない作物をむしり取っている者までいる。その背に、容赦なく石が投げつけられ、打ち倒される。  けれど逃げ惑う盗賊たちの中に、ひときわ目立つ戦い慣れた人間が何人かいた。  あの、傭兵たちだろう。重厚できらびやかな装備に身を固めた兵たちが列をなして突撃していく前に、背の高い男がひとり、逃げずに残っているのが見えた。攻めあぐねた兵たちが足止めを食らっているのか、そこだけは人だかりが出来ている。  短剣使いだ。ウェンアメンが対峙している。群れを拭け出すようにして逃げていくのは、弓使いともう一人…遠目でよく分からないが、おそらくゲレグだろう。矢の尽きた弓使いが、雇い主を連れて脱出していくのだ。  (セティはきっと、これを待っている…)  「ヘカト! セティを探してくれ。昨日、私と話していた赤い髪の人間だ。あの、逃げていく人間の後を追えばきっと見つかる」  「わかった。」 鷹が星明りの空へ向けて飛び立っていく。鷹は夜目が効く。獲物を見つけるのに適さないから飛ぼうとしないだけだ。  日が暮れて数時間、辺りは既に完全な闇に包まれているが、聴こえてくる悲鳴や剣戟の音は、少しずつ少なくなりつつあった。もはや大勢は決した。――最初から判っていた通りに。  漂ってくる血の匂いをかき乱す。  ヘリホルは、黒犬を連れて凄惨な戦場を足元に注意しながら走った。暗がりのお陰で、詳細を見ずに済むことに感謝しながら。  ウェンアメンは、なおも戦場に立ち続ける短剣使いの男に畏怖さえ抱き始めていた。石を投げつけられ、斧を叩きこまれ、短剣を握る腕はだらりと垂れている。それでも尚、戦意を失うことなく近付く者を切り裂こうとする。割れた額からは絶えず血があふれ出し、半身をどす黒く染めている。  人の身である以上、このまま血を失い続ければいずれ息絶えることは明らかだった。けれどそれすら確信が持てないほどに、今のこの男は常軌を逸していた。  死ぬことに対する恐怖も、焦燥感もなく、それどころか最初から、殺意も敵意も感じられなかった。ただ道具のように、より「効率的」に獲物を処理するためだけに生きていた。  ゆらり、と男が両手を上げ、一歩踏み出した。  「ひっ」  「おい、もうやめろ。お前は死ぬんだぞ」 取り囲む兵士たちの声など聞こえていない様子で、男は、何かを呟きながらふらふらと歩き出す。  「サレ、首切る。それがサレの仕事」  「駄目だ、こいつ…壊れてやがる」 近付くに近づけない兵士たちの輪が、じりじりと外側に向かって広がっていく。  「首切る、たくさん。そうすれば、飯、もらえる。ご主人様に褒められる。サレ働くと、戻ってきてくれる」 ウェンアメンが、何かに気づいたような表情になった。  「お前…元奴隷か。使うだけ使われて、主人に捨てられたのか」  「違う、サレ、捨てられてない。まだこんなに働ける。まだ…働け…」 首を掴もうと伸ばしてくる腕を躱しながら、ウェンアメンは、男の懐に飛び込むようにして脇を貫いた。  「もういい。お前はよく働いた。もう休んでいいんだ」  「休…む?」 のしかかってくる体重を横に薙ぐようにして動かした剣の先から、どす黒い液体が流れ落ちる。  「ご主人さ…」 がくりと首が前に落ち、短剣を握り詰めていた手が緩んだ。  長い体を折りながら膝から砂の上に崩れ落ちた男は、胎児のように体をまるめた格好で動かなくなっていた。開いたままの目は、夜空を見上げたまま光を失っていく。  手の側に落ちている、脂にまみれた独特の形の短剣は屠殺人の持ち物だった。――かつては牧場主のために羊の喉を切っていたのだろう。それがどうして、こうなってしまったのか。今となっては、知るよしもない。  剣を収めようとしていたウェンアメンは、こちらに向かって駆け寄って来る人影があることに気づいて手をとめた。兵士ではなさそうだ。傍らに、夜と同化するような真っ黒な犬を連れている。  「…ヘリホル殿?」 驚いて、彼は咎めるような口調になっていた。  「なぜ、こんなところに」  「盗賊団の頭が逃げるのが見えました。隠れ家へ逃げ帰るんだと思います。生き残りも、おそらくそこへ向かっています。このカイビトを連れて追ってください。」 黒犬をその場において、ヘリホルはそのまま、沙漠を横切ってゆこうとする。  「貴殿はどうされるつもりだ」  「私には行くところがあります。終われば戻ってきますよ」 振り返りながら言うヘリホルの頭上には、何時の間にか鷹が弧を描いて舞っている。鷹に導かれるようにして駆けてゆく後ろ姿を、ウェンアメンは、納得したように見送っていた。  「…鷹神のご加護の元に、か。そして我らには、黒犬神のお導きがある」 振り返ると足元に、思慮深い瞳をした大きな黒い犬が、じっと待っていた。  「ではお願いしよう、カイビト殿。我らをその場所へ導いてくだされ」 犬は黙ったまま腰を上げると、全て判っているといわんばかり、砂の上を緩やかに走り始めた。  ウェンアメンは部下たちに、集めらられるだけの周囲の味方に声をかけるよう言いつけて、黒犬の後を追って小走りに進みはじめた。  戦場は、いつしか静まり返っている。ウアセトの白い旗はずいぶん遠くにある。思っていたよりも広範囲に戦いが起きていたためだ。  敵も味方も、あちこちで砂に埋もれるように倒れ伏している。ほとんどが盗賊たちのものだ。  生き残りがいるとしても、そう、多くはないだろう。  月の出る時刻はまだ遠い。  闇に紛れるうようにして盗賊が二人、後ろを気にしながら這う這うの体で逃げようとしている。先頭を行く男はほとんど傷も負っていないのにやけに焦って、息も上がっている。  「聞いてない、聞いてないぞ。あんな大軍で待ち構えていやがるなんて聞いてない。無理無理、無理だ。ああ、くそっ。順調だったのに、一体どうしてこうなった…」 ひっきりなしに呟く声が鬱陶しいのか、後ろに続く細身の仲間は距離を空け、うんざりした様子で聞き流している。  近道の崖を乗り越え、後を追って来る者の姿もなく、上手く逃げおおせたとほっとした時、ふいに闇の中から声がした。  「よぉ、ゲレグ。誰か忘れちゃあいないか?」  「て、てめぇ…」 気配もなく岩陰に潜んでいた赤い髪の男が、ゆっくりと姿を現した。  「まだ戦ってる手下どもを見捨てて逃げようたぁ、ずいぶんな(かしら)だなぁ、おい」  「セティ…貴様のほうこそ州軍の犬になり下がりやがるとは、どういう了見だ!」  「あ? 何言ってやがる。俺ぁあいつらを利用しただけだぞ。お前らが邪魔だったからな。『砂嵐の申し子』がどうなったのか忘れたのか? 群れになった途端、気が大きくなるのは小物だぜ、ゲレグ。手を出しちゃならねぇ領域まで欲張って手ぇ突っ込んだのがお前の敗因だ」 剣を抜きながら、セティはゆっくりと間合いを詰めていく。ゲレグのほうは狼狽えるばかりで、二対一であることすら、気づいていない様子だ。  「抜けよ、ゲレグ。決着付けたかったんじゃねぇのか」  「黙れ、黙れ! ――おい、ヨアキム! 契約はまだ切れていなかったな?! こいつをここで足止めしとけ、いいな!」 言うなり崖を飛び降りて、脱兎のごとく逃げ出していく。  「は? 何だよそれ。おい、おーい、…やれやれ」 溜息とともに、セティは残されたヨアキムのほうを振り返った。  こちらは、うんざりした表情ながらも腰の短剣を引き抜き、構えようとしている。いつものように弓を構えないのは、残りの矢がもう、一本しかないからだ。背にかけた矢筒の中身の乏しさを見て、セティは腕を下ろした。  「やめとけ。俺ぁ、女は殺したく無ぇんだよ」  「私は女ではないと言っただろう! それとも何か、女子供も同然だと侮るつもりなのか」  「侮っちゃいねぇよ、あんたはいい腕をしてるし度胸もある。けど、俺があんたを殺しても意味が無え」  「私にはある!」 言いながら、異国の模様を纏った女は飛び掛かって来る。素早く迷いもない攻撃だが、傷を負い、疲れ果てた今の滋養隊では、動きに普段のようなキレは無かった。  短剣を受け流しながら、セティは、相手の足を払い腕を掴んで地面に押し付ける。  「ぐっ…は、離せ!」  「あんたが命じられたのは俺の足止めだろうが。無理に戦おうとすんな。それとも何か? 自殺願望でもあんのか」  「…私には…戦うことしか出来ない…戦えなければ! 戻るところなど無い!」 身をよじりながら、ヨアキムは叩きつけるように言った。悲鳴にも似た叫びは本人さえも意図しないまま、押し殺していた本心を暴露していく。  「私の故郷は、この国の連中に蹂躙された…逆らう者はみな焼かれた。父も兄も! 女は物も同然の扱いだった。だから私は!」  「だから男に成りすまして戦場に暮らしてた、ってわけか。この国へ来たのは、徴兵にでも紛れ込んだのか? どうせ、女だとバレて叩き出されたってオチなんだろ」  「……。」  「で? あんたはどうしたい。故郷に戻りたいのか。”よそ者”としてでなく生きられる場所が欲しいのか。何でもいいから仲間が欲しいのか?」 押さえつけた腕を動かさず、セティは淡々と問いただす。  「野心ばかりデカい小物にコキ使われる今の状況が、お前の望んだものなのか。」  「――これは、今を生きるための…仮の暮らしだ…」  「へーえ。なら、このまま我慢していれば、いつか望む暮らしが出来るのか? あのアペピとかいう傭兵がそう吹き込んだのか。あいつがお前を幸せにしてくれる、とでも?」  「それは…」  「まさかあんた、あいつに惚れてんのんかよ」  「ち、違う! そんなわけ…」 言いかける言葉も聴こえないふりをして、セティはふと、顔を上げた。  風に乗って微かに響いていた戦場の音が、静かになっている。  「そろそろいい頃合いか。」 呟くと、彼は女の細い首に手を掛け、力を込めた。  「! く、…あっ」 締め上げられて血流が止まる。気を失うまでにそう長い時間はかからなかった。  抵抗のなくなった体をその場に転がすと、セティは立ち上がって足音の近付いてくる方に目をやった。この軽快な、走り慣れた足音は、相棒とも言うべき少年のものだ。  間もなくして、崖の下からカーが姿を現した。  「あっ、いたいた、アニキ!」 戦況の様子を見に行かせいたのだ。  「あっちはほとんど片付いたみたいでやす。あの、パディなんとかって羽根の旗の軍人さん、めちゃ強でした。攪乱も誘導も全然効いてやせんでしたよ」  「はー、やっぱ雰囲気からしてそうだよなぁ。ああいうのとは戦いたくねぇなぁ…。もうちょい、念入りに恩でも売っといたほうが良かったか」 頭に手をやりながら、セティは妙に嬉しそうに笑っていた。その、手練れの百戦錬磨の軍人も、昨夜は彼を見て腰を抜かしていたのだから。  「うし、んじゃ俺は本命のほうを探しに行くか。」  「本命って、この傭兵の頭みたいな奴ですよね?」 と、カーは足元で気絶している弓兵を見下ろしながら言う。  「戦場にも最初は居たんでやすけど、何時のまにか姿が消えてやした。探します?」  「いや。お前じゃあ危険だ。ひとまず、こいつを隠れ家に運んどけ。人質にはならんだろうが、何か聞き出せるかもしれんしな」  「判りやした。」 小柄な体格によらず力持ちな少年は、手ごろな布でヨアキムの手足を手早く縛り上げると、まるで狩りの獲物でも担ぎ上げるように、ひょいと背におぶって立ち去ってゆく。  「さあて、どうやって探したもんか…」 と、その時だ。頭上に羽音が響いてきた。見上げると、脚に金の輪を嵌めた若い鷹が旋回しながら飛んでくるところだった。  (ヘリホルか) 鷹の動きは、主人に獲物や探し物の位置を教えるための飛び方だった。  谷を覗き込むと、相変わらず夜の沙漠は慣れない様子のヘリホルが、苦労しながらこちらに向かってやってくる。  「おーい、ここだ」 崖の上から声をかけると、彼はほっとした様子で汗をぬぐいながら足を止めた。  「良かった、やっと見つけたよ。…短剣使いの傭兵は死んだ。ゲレグたちの隠れ家のほうには、カイビトが群を誘導してくれている。君は? 残りの傭兵を狩っているのか」  「ああ。弓兵のほうもさっき片付いた」 殺した、とは言わず、彼はちらりとカーの立ち去って行った方角に目をやった。  「ゲレグはまぁ、いい。問題は残りの一人なんだが」  「…あいつか」 かつて対峙した時の、得体のしれない気配と桁外れの強さを思い出して、ヘリホルの表情が硬くなる。  「正面から戦っては、勝てないな。」  「ああ。けど、あいつをここで見逃すわけにはいかない。まずは見つけるところからなんだが…」  「それなら、私に任せてくれ」 ヘリホルは頭上を見上げ、鷹を呼んだ。  いつしか南の星々は位置を変え、月が地平に姿を見せ始めている。夜明けの時はそう遠くない。  そしてこの、赤い沙漠を人の血で更に赤く染めた惨劇も、ようやく終わりに近づきつつあった。
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