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第二章 天啓(3)
どうやったら、パネヘシの出立を遅らせることが出来るのか。
それはヘリホルには難題だった。市場で大道芸人を雇い、もう数日すれば鴨の羽毛を詰めた座り心地の良い座椅子が手に入るかもしれないと匂わせ、ヤシの実で作った珍しい酒を試してみるよう勧める――それでも、一日が限界だった。
次の日の夕方には、我がままな州知事閣下はそわそわしはじめ、不機嫌に「出立の準備を急がせろ」とキツく周囲に言い含めるようになった。こうなってしまっては、もう一日も引き延ばすのは限界だった。出立は、次の日のうちにと決められた。ヘリホルに出来ることは、せめて、パネヘシが寝坊して出立が昼過ぎになるよう、強い酒を夕食に出すよう念入りに召使いたちに頼むことくらいだった。
主の州知事が出立しようとしているとあって、オアシスの外側に仮の陣を張っていた兵士たちは、撤収の準備に取り掛かっている。もし盗賊団に通じている者が他にもオアシスの中にいるのなら、出立が早まったことに気づかれてしまう。
(せめて、あと一日引き延ばせれば…)
そうすれば、先にオアシスを発った兵がウェンアメンのもとに辿り着く。恐れを知らぬ盗賊が、格好の獲物を狙い始めていることを知れば、彼ならばきっとすぐに迎えの兵を出してくれるはずなのに。
胸騒ぎは強くなっている。
気が気ではないままに、ヘリホルは一夜を過ごした。
幸いなことに、パネヘシは、日の出の頃にはまだぐうぐうと高いびきをかいて眠っていた。このまま一日眠っていてくれればいいのに、とヘリホルは思っていた。
けれど、さすがにそうはいかなかった。昼前になり、ようやく起き出してきたパネヘシは、朝食もそこそこに「では、参ろうか」と言い放った。
出立の合図だ。
急ごしらえの座椅子に重たい身体を載せて、いちばん身体の大きなロバは不満げな悲鳴を上げながら、のたのたと歩き出す。傍らに召使たちが日傘や扇を手に控え、その後ろに、食料や荷物、それに命綱でもある水壷を下げたロバの列が続く。兵士たちは、列の先頭と後ろに分かれて、周囲を警戒しながら歩いていた。
真昼間の沙漠に照り付ける、灼熱の太陽。
何度も往復していたるとはいえ、オアシスから谷への道は、頻繁に人の行き交う「壷の道」とは違い、ひどく歩きにくいものだった。
オアシスを発って間もなく、兵士たちは、熱さにうんざりして隊列を乱し始めた。監督する隊長もいない。気まぐれな州知事への忠誠心があるとも言い難い。こんな場所で沙漠に慣れた盗賊団に襲われたら、ひとたまりもないだろう。まるで、待ち構える野犬たちの前を横切ろうとしている、羊の群れようなものだ。
気楽なパネヘシは、ロバの背に揺られながらむしゃむしゃと何かを食べている。その様子を眺めながらヘリホルは、目の前の太った子羊が、せめてもう少し警戒心が強ければと思わずにいられなかった。
ぽくり、ぽくりと歩を進めるロバの尻に尻尾が揺れる。
行列は、そのまま夕方近くまで歩き続け、その日の野営地に砂の降り積もった小高い丘を選んだ。砂の隙間に埋もれた石の表面には、引っ掻いたような跡がいくつも残されている。いくつかは文字のようにも見える。かつてここを通りすがった、大昔の旅人の残したものかもしれない。
「ああ、明日には着くのか。もうじきご対面か…うっふっふ」
パネヘシは何やらご機嫌の様子で、ロバを降りた後もいつものように、尻が痛い、目が乾いたなどと喚かない。ヘリホルを見つけると、珍しく上機嫌に手招きして呼び寄せた。
「お前、そこのお前。お前が見つけたお陰だぞ。これでわしは、良いものを手に入れられるかもしれんのだ」
「鉱山がまだ使えるかどうかは分かりませんよ。もう掘りつくされているかもしれませんし」
機嫌を損ねることがないよう、しかし事実を曲げるわけにもいかず、ヘリホルは、慎重にそう言った。けれど、でっぷりとしたこの男には、ヘリホルの進言などそよ風ほども意味をもたないもののようだった。
「書きつけ通りの場所が見つかったのなら、間違いないのだ。しかも、最近まで埋もれていたのだからな。…そうだな、功労者のお前には教えてやろう。あれはな、鉱山であって鉱山では無いのだ」
「鉱山では…無い?」
「おお、そうとも。黒犬神の神殿に伝わる、古い言い伝えがあるのだ。書庫からあれが見つかった時は、冥界の神のお導きだと思ったものだ。下の国の王も、上の国の王も手にしたことのないものが在るはずだ――くふふ、わしにも運が回ってきおったわい」
「……。」
では、やはり州知事は、あの断片的な情報しかない地図の他に何かを知っていたのだ。「古い言い伝え」? それは、鉱山に関する何か重要な事実のようだった。この欲深い男が執着するほどのものならば、よほどの財宝か。
「ほれ酒だ。酒を持ってこい! 街から一壷、積み込んだのだろう? 前祝いだ。そらそら。お前も飲め、書記よ」
「いえ、私は――飲めませんので…」
「何を言う。少しくらいは付き合わんか」
パネヘシは、上機嫌に召使いを呼び寄せようとしている。今はそんなことをしている場合ではないのだ。ヘリホルは、慌てて逃げ出した。
「こら! 待て。そこに座れ。ええい、役にたたん――」
何と言われようと、こりごりだった。限度を弁えない男に付き合って杯を交わしていたら身体が持たない。
野営地の端まで走り抜けて、彼は、息を継ぎながら丘の上のほうを振り返った。酒が入ったパネヘシの、上機嫌に高笑いする声は、丘の端まで響いて来る。
「はは、そうだ。もうじきに手に入るぞお。わしは――わしは王に匹敵するお宝を手に入れるのだ…!」
(まさか)
ヘリホルは青ざめていた。こんな大声で? さっきの打ち明け話は、てっきり、二人だけの秘密の話だと思ったのに。
「あんたも大変だなあ。あれに付き合わされると、おんなじ話を延々聞かされるんだぜ」
ヘリホルが逃げて来たことに気づいて、若い兵士たちが苦笑いしながら話しかけてくる。
「…と、ということは…オアシスに居る間じゅう、ずっとあの話を…?」
「ああそうさ。嘘か本当か判らんが、鉱山にお宝が眠ってるんだって、毎日おんなじ話をさ。上等なぶどう酒を飲ませてくれるってんで、オレらもたまには付き合っていたがね」
と、一人が笑う。
「そうそう。寂しがり屋なんだろうな。ま、ご機嫌な時は気前が良いんだが、気分にむらがありすぎる」
「それとお給料が渋いよな」
「な。普段の吝嗇っぷりときたら。隣の州に行ったほうが稼ぎがいいって、うちの従兄弟も言ってたぜ。」
「あー、この遠征、お手当つくのかなぁ…。つかなかったら俺、辞めてどっか別のとこに士官してぇわ」
笑い合う兵士たちの言葉を聞きながら、ヘリホルは、内心、頭を抱えていた。
(どうして大っぴらに言ったりしたんだ…)
そんなことをすれば、話がどこから漏れてもおかしくない。ヘベトの街にいた耳ざとい盗賊団も、きっとその噂を聞きつけたに違いなかった。だからこそ、州知事一行の動向を気にしていたのだ。
ウェンアメンが目を光らせて指揮している鉱山のほうには、おいそれと手が出せない。
だが、丸腰で無警戒の州知事のほうならば、いくらでも襲いようはある。あとは、襲う時機が来るのを待つだけなのだ。
(今が、まさにその時だ)
そう気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走った。ヘリホルは、慌てて兵士に言った。
「ここは盗賊団の縄張りの中なんだ。前の遠征でほとんどは退治されたらしいけど、生き残りがいる…こんな目立つ場所では襲いたい放題だ。気を付けてほしい」
「ああ、見張りは立ててるし、哨戒もしてるさ。こんな何もないだだっ広いところで、敵を見逃すと思うか?」
「それは、…そうだが」
確かに、周囲は砂と岩の平原だ。丘の上からならどの方角でも見渡せる。
けれど、夜の闇の中、身を潜めて近付く人間がいたとして、どれだけの兵がそれを見つけられるだろう?
あちこちに林立する削った岩と、人間の陰を一目で見分けられるだろうか。
ヘリホルは、見張りの隙をついて襲い掛かって来るハイエナたちの気配にすぐに気づけるよう、なるべく周囲の見渡せる場所に腰を落ち着けた。丘の上に張られた天幕のほうからは、パネヘシのご機嫌な声がまだ響いて来る。人が起きている気配があれば、獣は襲って来るまい。
今のうちに少しでも眠ろうと、ヘリホルは岩にもたれかかって目を閉じた。
昼間の太陽に焼かれた岩の熱が、背中から伝わって来る。騒がしい声も、ロバや兵たちの息遣いも、次第に遠ざかっていく。
――いつしか、夢を見ていた。
一羽の鷹が、羽ばたきもせず滑るように真っすぐに、夜の闇とも、明けの空とも言い難い深い紺碧の空を横切っていく。星は一つとして浮かんでおらず、地平線も見えないただ一色に塗りつぶされた世界だ。飛び去ってゆくように思えた鷹の姿はなかなか視界から消えず、小さくもならず、ヘリホルの目の前にずっととどまり続けている。
ぼんやりとした意識の中で、これは夢なのだと思いながら、ヘリホルはそれを眺めていた。
と、一声、甲高い声が世界に響き渡った。
「?!」
耳元から頭の中に直接叩き込まれるような声。ヘリホルはびくりとして、弾みで飛び起きた。夢自身によって、夢から強制的に叩き起こされたようなものだ。
目を覚ますと同時に、意識の片隅に危険を知らせる信号が次々と届き始める。悲鳴と、叫び声――金属の打ち合わされるような音。風に殺気が入り混じる。足音を忍ばせ、目をぎらつかせたハイエナたちが、手に手に剣を引っ提げて丘を登って来る。
「て、敵襲だ!」
叫びながら、ヘリホルは転がるようにして丘を駆け上った。「盗賊団だ! 盗賊が襲ってきたぞ!」
薄闇の果てに、地平は白み始めている。賊は近くに身を潜め、夜明け前、皆が寝静まったほんの一瞬の隙をついてきたのに違いない。そうでなければ、辺りが明るくなったこの時間に、こうも易々と接近を許すはずがないのだ。
振り返ると、丘の下のほうに赤い池の中にこと切れている見張りの姿が見えた。喉を掻き切られ、一瞬のうちに命を奪われたのだ。鷹の声と思ったものは、あの不運な兵の断末魔だったに違いない。
まだ襲撃に気づいていなかった兵たちも、ヘリホルの叫び声に気づいて次々に起き出して来ている。その頃には、彼はもう、丘のてっぺんまで辿り着いていた。
ちょうど、パネヘシの召使いたちが怯えた表情で天幕の周りに飛び出してくるところだった。息せき切って駆け付けたヘリホルは、高いびきの聞こえる天幕の中を一瞥し、州知事がまだ前後不覚のまま眠りこけているのに気づくと、小さくため息をついて後ろを見やった。
丘を登って来る賊は、三人。
そのうちの一人は顔に傷のある、オアシスで見かけた男。それと、あのとき一緒にした背の高い、色黒な男。もう一人は、見慣れない文様のある織物を腰に巻き、顔は鋭い眼差しだけ残して隠した異国風の人物だ。ゲレグは一緒では無いらしい。
兵士たちは、丘の下のほうで残りの盗賊たちと戦っている。何人かが気づいてこちらに向かって来ているが、間に合うかどうかは怪しいところだ。もしパネヘシが人質に取られてしまったら、その時点で兵たちにも何も出来なくなる。
ヘリホルの決断は早かった。こうなることを、どこかで予想していたからかもしれない。
「裏から逃げるんだ。州知事どのをロバに載せて、早く!」
オロオロしている召使いたちに指示を出しながら、彼は周囲に視線を走らせた。ロバが積んできた、ランプ用のヤシ油を詰めた壺。それに、天幕の側で燃えている松明。
(そうだ…これなら!)
時間がない。
ヘリホルは天幕の端をつかんで引き下ろすと、側に落ちていた石を拾い上げ、油壷の底に思い切り叩きつけた。中に入っていた、濁った油が壷の割れ目から地面と天幕に染み込んでいく。
賊はもう、すぐそこまで迫って来ていた。
松明を手に取ると、ヘリホルは、天幕の入り口までじりじりと後退した。後ろでは、召使たちがいびきをかいているパネヘシの体をようやくロバに引っ張り上げたところだった。あと少し、…あと少し、時間を稼ぐことが出来れば。
「お前たち、『西方のハイエナ』だろう?」
風を切るようにしてこちらへ向かってきていた盗賊たちの歩みが止まった。先頭にいる傷跡のある男の眼差しは残忍な獣そのものの鋭さで、見据えられると体が凍り付きそうに感じられる。
ヘリホルは、ごくりと唾を飲み込み、震えながらも勇気を振り絞って続けた。
「お前たちのことは良く知っている。頭のゲレグのこともだ。一緒ではないのか?」
「…どこで、その名を聞いた」
低い声が、警戒するように響いてくる。
「お前はオアシスに居た書記だな。我々を騙して出発しようなどと、無駄な小細工だったな」
「無駄なものか。もうじき残りの兵がここへやって来る、もう逃げられないぞ。頭が釣れなかったのだけは残念だったが。」
「口から出まかせを」
「出まかせかどうかは、もうじき上る太陽神の審判に任せようじゃないか? 見ろ。地平に日が昇る。お前たちはおびき出されたんだよ」
言いながら、ヘリホルは自分のハッタリがどこまで通用しているのか判らなかった。震えは止まらないし、本当は、腰が抜けそうなほど怖い。天幕の入り口に立っているのだって、逃げ出したいのに足が動かないからそうしているだけなのだ。
それでも彼には見えていた。丘の下のほうで戦っていた兵士たちが、こちらに向かって来ようとしている。
気づいた傷跡の男が、目で部下たちに合図をした。
「邪魔が入った。おい」
「は」
残る二人が武器を手に、兵たちに向かって丘を駆け下りていく。一人は短剣、もう一人は弓を手にしている。ヘリホルは視線でそれを追っていた。たかが盗賊風情が、訓練を受けた武装した兵たちに向かっていくなど身の程知らずだと、その時は思っていたのだ。
だが、その後に起きたことは、彼も予想さえしていなかったことだった。
弓を手にしたほうが岩陰に構え、短剣のほうがその横を駆け抜けていく。
身軽な短剣の男が、宙を舞うように先陣を切って来る兵に踊りかかった。その手が横に動いた次の瞬間には、兵の喉が切り裂かれ、鮮血が噴き出している。
まるで魔法だ。踊るようにして次から次へ、襲い掛かってくる兵たちの動きを止め、一刀のもとに急所を切り裂いていく。その短剣使いの後ろから、的確な援護の矢が放たれていく。まるで二匹で一体の獣のようだ。たった二人しかいないのに、十人近い兵たちが、あっという間に命を絶たれ、或いは致命傷を負って、丘の斜面に倒れ伏していく。
「嘘、だろ…」
こんな展開は、予想していなかった。
以前セティと戦ったゲレグの部下たちは、素手のセティに難なく組み敷かれていた。それに、ウェンアメンが討伐に出た時も、州軍側の兵には誰ひとり犠牲は出なかったと聞いていたのだ。
なのに――あの盗賊団に、こんな腕利きの仲間がいるとは、カーだって一言も…。
「くだらんな」
男は、ついと一歩前に出て間合いを詰め、片手でヘリホルの顎を掴んだ。避ける間もない。間近に、日に灼けた獣の顔がある。
「お前もよく頑張ったな。文官にしちゃ大したタマだと褒めてやる。最初から我々を警戒していたのは、お前だけだった」
「…っ」
小さく声を上げながらも、ヘリホルは、視線の端に油の染み込んだ天幕の布を見ていた。
彼の立っている場所は、天幕の内側だ。
そして、こちらに向かって一歩踏み出したことで、傷跡の男の足は天幕の端を踏んでいる。
やるなら今しかない。
彼は心の中で鷹神の加護を祈りながら、手にしていた松明を、うろたえて取り落としたように見せかけながら思い切って脇へ投げ捨てた。そして、両手を頭上高く上げ、無抵抗のしぐさをするふりをした。
その一瞬だけでも、注意をこちらに向けられれば良かったのだ。
男が気づいた時にはもう、火は既に天幕に染み込んだ油の上を走りだしていた。
「?!」
思わず手を放したその瞬間、ヘリホルは、脱兎のごとく身を翻し燃え盛る天幕の奥に逃げ込んでいた。そしてそのまま、裏口から飛び出した。
州知事を載せたロバは、とうに丘を降り、距離を稼いでいる。丘を駆け下りながら振り返ると、火の手を上げている天幕の向こうから、傷跡の男の仲間たちの顔が覗いていた。追いかけてくる気配はない。
この距離では追い付けないと思ったのか、或いは――微かな期待だったが、あの傷跡の男が火傷を負ったかだ。
(あいつらとは、これで終わりじゃない)
走りながら、ヘリホルはそう確信していた。そう、あの連中は、ただの盗賊などでは在り得ない。
(一体、何者なんだ…?)
けれど今は、それを考えている余裕は無い。
州知事を載せたロバを追って走りながら、彼はただ、再び死を免れた幸運と、命を救ってくれた鷹神からの警告への感謝だけを噛みしめていた。
ウェンアメンと合流したのは、それからほどなくしてのことだった。
オアシスからの報せを受け取ったあと直ぐに、夜に日を継いでオアシスに向かっていたのだという。その途中、大きな火の燃えている狼煙を見て向かってきたのだと。
州知事のパネヘシは、今になってようやく目を覚ましたところだった。寝ぼけ眼に「朝飯の時間か?」などと聞くパネヘシには、呆れを通り越して大物かと感心するくらいだ。
しかし周囲には召使いたちしかおらず、目の前に怖い顔のウェンアメンが立っているのに気づくと、すぐさま何かが起きたことに気が付いた。
「夜明け前に、盗賊に襲われたんです。物凄い手練れが三人。…あっという間の事でした」
ヘリホルから報告を受け、パネヘシの顔が徐々に青ざめていく。
「そんな…まさか、それは本当なのか?」
「部下に様子を見に走らせましたが、事実のようです。もうこれ以上、部下に犠牲者を出すわけにはいきません」
ウェンアメンは、ぴしゃりと言った。
「盗賊団は、よほど腕の立つ傭兵を雇ったに違いありません。くだらない宝探しは止めて、今すぐ兵力を纏めて引き返すべきです。」
「いや…だ、だが。」
「州知事どの」
「もう少しなのだ! 今、あれを置いていったら、奴らに奪われてしまう! せめて一目…あるのか、無いのかだけでも…」
「在るとか、無いとか。一体、何の話なのです」
兵士たちの隊長は、溜息をついた。
「坑道の入り口は出てきましたが、何もありませんでしたよ。穴の奥は完全に崩れていて、そう簡単には掘り出せそうもない。落ちているはクズ石ばかりで、まだ貴石が採れるかどうかも怪しいものです」
「そうではないのだ。行けば判る…行けば」
ウェンアメンの剣幕と、連れてきた兵士たちの多くが殺されたことに動揺してはいたものの、パネヘシは、そこだけは頑として譲らなかった。
「もう一度、鉱山に行くのだ。わしは、ずっとそれを待っていたのだからな」
「…分かりました。」
仕方なく、ウェンアメンは首を縦に振った。
「ですが長逗留はごめんですよ。命を落とした兵たちを、赤い土地で野犬に食われるままにしてはおけない。彼らの家族にも、正式に訃報を伝えねばならないのですから」
「ああ。勿論だとも。」
「では、急ぎ向かいましょう。いつまた、賊が襲ってくるかも分からないのですから」
もはや、我がままの許される雰囲気ではなかった。
ウェンアメンの先導のもと、ロバはしょんぼりと大人しくなったパネヘシを乗せて先を急ぎ、ヘリホルもそれに続いた。
野営地だった丘にはウェンアメンの連れてきた部下の何人かが残って遺体を集め、まだ生きているロバたちに載せてオアシスまで運ぶことになっていた。何人の命が失われたのかは分からないが、この損失は決して軽いものではない。ヘリホルもまた、自分の読みの甘さに落ち込んでいた。そんな彼の様子に気づいてか、ウェンアメンが慰めるように話しかけてくる。
「貴殿のせいでは無い。君は盗賊団の襲撃に気づいて警告し、機転を利かせて州知事どのの命も救ったのだ。貴殿がいなければ今ごろ、あの不用心な方の首は胴の上に載ってはいなかっただろう」
「ですが、他の…あなたの部下たちは…。」
「彼らは兵士なのだ。戦うことが使命であり、主の命を守ることは任務である。それは恥ずべき死ではない。それに彼らには、身体を黒い土地に送り返して、永遠の国へ送り届ける支度もしてやれる。赤い土地で誰にも知られず行き倒れる旅人よりは、遥かに幸運なことなのだ。」
自分に言い聞かせでもするように、ウェンアメンは真っすぐに正面を見据えたまま、微動だにしない表情でそう言った。
(もし、姉婿のケリが同じ目に遭ったとしたら…。)
ヘリホルは、俯いて足元の滲む赤い砂地を見つめていた。倒れた兵士たちにも、家族がいたはずなのだ。遠征から戻ってくる日を心待ちにしている家族に訃報を伝えたら、どれほどの嘆きと涙を生み出す事だろう。
もしも、もう少し強引にでも、パネヘシを引き留められていたら?
或いは、あの盗賊たちと戦わずに逃げろと兵士たちに警告出来ていたら?
けれどそれは、考えるだけ無駄なのだった。神々ならばいざ知らず、一介の、無力な人間に出来ることなど限られている。鷹神の加護を借りてなお、今のヘリホルには、州知事と自分の身を無事に逃がすのが精いっぱいの奇跡だったのだ。
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