第四章 鷹の願い(2)

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第四章 鷹の願い(2)

 「どうだ? 真っすぐになってるか?」  「もうちょっと、左! そう、左のほう。ゆっくり…落ち着いて…」  「気を付けて、ネシコンス! 落ちるんじゃないよ!」 神殿前には見物の人だかりが出来、神殿の表側の外壁にかけられた、長いはしごの先を見上げている。屋根の上から吊るされた命綱の縄を腰に巻き、汗をかきながらはしごの先で奮闘しているのはネシコンスで、神殿の屋根の上には何人もの村の若者たちが昇って、縄の先でヤシを削って作った丸太を吊り上げようとしている。  神殿ならどこでも、表の外壁には吹き流しのついた旗竿を建てているものだ。「神」を意味する文字は吹き流しの形をしていて、いわば、その神殿が機能しているという印なのだ。この神殿では今まで、それが折れたままになっていた。  丸太を何本も縦に継ぎ、その先がようやく神殿の屋根の上まで突き出したところで、待ち構えていた若者たちが手にした色鮮やかな赤と青の布を括り付ける。村で栽培していた藍と紅花で染めたものだ。二色の旗が風を孕んで大きく翻ると、どこからともなく拍手と歓声が沸き起こった。  これでようやく、鷹神の神殿は本当に、息を吹き返したのだ。  様子を見に出て来た神官長ハルシエスの腰には、旗と同じ藍で染めた真新しい帯が翻っている。ハルシエスは神妙な顔つきで片手を上げ、旗と集まっていた人々を祝福し、苦労して旗竿を建てたネシコンスや村の若者たちに労いの言葉をかけた。お調子者のラネブは、陽気な笑い声を上げながら、香油入れを振り回しながら人々の間を駆け回っている。アセトがビールの壷から一杯振る舞い始め、様子を見に来た近所の人々も食べ物を振る舞ったので、その場は、ささやかなお祝いの宴となっていた。  やるべきことはまだ沢山あったが、一つはこれで片付いた。  ヘリホルは見物もそこそこに、筆写板を手に書庫へ戻った。積み上げられていた陶器片の数もかなり減り、筆写板も不要になった文字を洗い流されて白く戻ったものが増えてきている。箱に入れて保管されていた壊れかけた巻物や書類は、新しいものに書き換えられて棚に並んでいた。そのすぐ脇に、裁断された同じくらいの大きさの巻物が何枚も広げられている。いくつかは筆写係のイビィに渡してある。祭礼で使う祝詞や日々のお勤め用の祈祷書を書き写すためだ。二本の大きな巻物も、残りはそれほど多くは無かった。何を優先して書くべきかは、慎重に考えなければ。  物差しを手に考え込んでいた時、書庫の入り口で声がした。手伝いに来ていた村の若者の一人が立っている。  「すいません、ちょっと」  「どうした?」 書庫の前の廊下には、さっきまで神殿の屋根の上にいた若者たちが数人、集まっている。彼らは、何やら羽毛の塊のようなものと、小枝を集めて作った巣のようなものを携えていた。  「上から降りようとした時に梁の間に見つけたんです。鷹の巣です」 と、若者は小枝の塊を見せた。中には割れた卵の殻がいくつかと、まだ目も開いていない、裸のひなが一羽、ぐったりしている。  「親鳥は巣の上にかぶさって死んでました。側に蛇の死体があったんで、戦って毒にやられたんだと思います。鷹神様の神殿だし…、そのまま捨てるのも縁起悪いかと思って」  「確かにそうだな。神官長さまに頼んで、丁重に送ってもらおう。…そっちの、ひなは? まだ生きてるのか」  「ええ、かなり弱ってますが。」 生まれてまだ間もないらしく、ひなはまだ、目もはっきりと開いてはいなかった。親鳥が息を引き取ってから孵化したのかもしれない。指で触れると、かすかなぬくもりが伝わって来る。つついてみると、ぴぃ、と小さな、消え入るような声で啼き、震えるように身じろぎする。  さて、どうするべきか。  家禽の世話さえしたことのないヘリホルには、鳥のひなをどうやって育てればいいのかが分からない。ことに鷹といえば、狩りをして肉を食べる鳥だ。ネズミでも獲って来て食べさせればいいのか? それとも、幼い頃は別のものを食べるのか。この大きさではまだ、自分ひとりで餌を飲み込むことも出来そうにない。ひとまず水だ。葦に水を吸わせて、嘴のあたりに垂らしてやると、なんとか飲み込むようなそぶりは見せる。  「…ううーん。」  「おやおや、何をしてるのかと思ったら、こんなところで子守りとはね」 ハタキを手にしたネフゥトが、茶化すように言いながらやって来る。「どうしたんだい、それ」  「神殿の梁に巣を作ってたそうなんですよ。親鳥が死んでしまって、このひなだけが生き残っていたそうです」  「へーえ。ここに鷹が住み着いてたなんて、全然気が付かなかったねぇ」 ネフゥトは、神殿の屋根の方をちらと見あげた。「育てるのかい? なら、最初は虫をやるといいよ。むかし、ここにいた鷹匠が、そうやってひなを育ててたからね。」  「虫…ですか。」  「青虫とか、バッタとかねえ。今の季節なら、そのへんの畑に行けばいくらでもいるだろうよ」 仕事は山積みだというのに、やることが増えてしまった。  とはいえ、他の誰かに任せたら、死なせてしまうような気もしていた。仕方がない。ヘリホルは、仕事場の卓の端に椀をひとつ置いて、その上に鳥の巣を置いておくことにした。  ひなは掌に乗るほどの大きさで、最初の数日は、表で取って来た青虫を一匹与えるだけで、満腹してそのまま眠ってしまった。けれど数日経ち、羽毛が生えそろいはじめると、一匹だけでは満足せずに、もっとくれとせがむようになってきた。ぴいぴい煩く口を開けられては仕事にならない。ヘリホルは日に何度も畑まで虫を探しに出かけた。もっともそのお陰で、一日中書庫に座っているよりは健康的な暮らしになったのだが。  そうして日が経つうちに、鷹のひなは見る間に育っていった。巣からはみだすほどの大きさまで成長する頃には、日に何匹もネズミを丸のみするようになり、アセトに頼んで台所に罠を仕掛けてもらっていた。黄色い嘴をのぞけば親鳥とそっくりな羽根が生え、腹を空かせていない時は、時折、羽ばたくようなそぶりを見せた。そろそろ巣立ちの時が近いのだ。  いつか野生に戻してやらなければ、とヘリホルは思っていた。だから名前は特に付けていなかった。ひとたび巣立てば、人間に育てられたことなど忘れてしまうだろうから。  そんな算段を覆すような出来事が起きたのは、ひなを育て始めてからひと月と半が経った頃の、ある朝のことだった。  「起きて起きて」 何やら頬をつつかれる感触と、囁くような少女の声に、ヘリホルはうつ伏せていた卓から顔を上げた。  書庫に、朝の光が差し込んでいる。手元にはインクの乾いたペンが転がっており、油の切れたランプの芯は焦げてしまっている。どうやら、仕事をしながら眠ってしまったらしい。  「お父様」  「ん…?」 丸い瞳が、彼を見あげてある。目が合ってもしばらく、意味が分からずにいた。だが、相手が首を傾げて嘴を開いた時、はっとして二度見したあと、慌てて目を何度もこすった。  「嘘だろ…」 そこにいるのは人間ではなく、まぎれもなく、一羽の鷹だった。  「はあ? 鷹が喋った?」 ヘリホルが、珍しく寝坊して遅く食堂にやってきたと思ったら、そんなことを言い出すものだから、アセトは急に心配そうな顔になった。  「大丈夫? 疲れてるんじゃないの」  「そうだぞ、お前さんはここんところ働きすぎじゃわい。今日は少し休んだらどうだ」  「そうですよね……何で、あんな夢」 額に手をやりながら、ヘリホルはアセトの出してくれた豆のスープに口を付けた。食堂までついて来た鷹は、しょんぼりした様子で台所の窓枠にとまっている。鷹が話しかけてきたのは目覚めたあの時だけで、それ以降は、いつもどおり口をつぐんだままだ。  「それより、その腕、どうにかしたほうがいいわねえ。」 ヘリホルの腕は、途中、鷹がとまろうとして爪でひっかいてしまったせいで、何か所か血が滲んでいる。悪気は無かったはずだ。まだ羽根が生えそろったばかりで、育ててくれた相手がひ弱な人間だということをまだ理解出来ていないのだろう。  「むかし鷹匠が使っとった皮の肩あてと手袋が何所かにあったはずじゃい。あとで、ちょいと探してみるわい」 と、イビィ。  「懐いちまったもんだねぇ、あの鷹。」  「そうなんですよ。飛べるようにはなったんですが、放しても、すぐ戻ってきてしまう」  「お前さんのことが好きなんじゃろ。ええじゃないか、飼っとけば。ここは鷹神様の神殿じゃし? 今は裏庭の老いぼれ鳥くらいしか残っとらんが、昔は沢山飼っとった」 年老いた筆写係は、気楽なものだ。落ちた羽根だけでも商売になることを知って、最近では鷹の羽根をむしりたがることもなくなった。裏庭の鷹たちの羽根も生えそろい、年寄りばかりながら、ヘリホルが神殿にやって来た頃ほどには惨めな見た目ではなくなっている。  「裏の、あの鷹たちもお祭りに使うんでしょ?」 と、アセト。「どうせなら、その若いのも訓練して使えるようにすればいいんじゃないの。」  「構いませんが、…この鷹、雌ですよ? 鷹神の使いなら雄でないといけないのでは…」  「見てる連中はそんなもん気にゃせんよ。雌のほうが体が大きくて見栄えがするしな。ひゃひゃ。さーて、仕事に行くかのぅ」 歯の抜けた口で笑って、イビィは食堂を先に出て行った。  大祭の日までは、まだ何カ月かある。  増水の始まるまでの期間、川の水は今が最も少なく、川べりの限られた緑地以外は、どこも乾ききっている。日差しが強くなり、太陽が高く昇るのとともに、涼しい日陰は少なくなっていく。  先はまだ長いのだ。イビィの言うとおり、今日くらいは少し、仕事を休んでもいいかもしれない。  そういえば街へは、もう何日も出ていない。  ヘリホルは思い切って、仕事場ではなく神殿の外に通じる裏口へと向かった。ついて来ていた鷹が、神殿の壁止まったまま、見知らぬ世界へと出ていくヘリホルを見送っている。  「夕方には戻って来るよ。」 鷹に手を振って、彼は、ゆっくりと街のほうへ向かって歩き出した。  川の水位が下がる今の時分は、船着き場の辺りの水深も浅くなり、大きな船は入って来られない。  船の通れる川幅も狭いから、地元の漁師が使う小型の舟が行き交う以外、荷運びの船や客船はほとんど見当たらず、港の辺りは静かなものだった。露店も、近隣の村から出て来た人々が売る日用品の店が少しだけだ。行き交う人が少ないお陰で、港の辺りから振り返ると、奥の神殿までがよく見渡せた。真新しい布の吹き流された旗竿が空にたなびいている。それを見て、ヘリホルは少し誇らしい気持ちになった。  この街に来てから、あっという間に日々は過ぎていた。  去年の今頃はティスで役人をしていて、鉱山の探索などという無茶な仕事を言いつかって死にそうな目に遭っていたのだ。あれから、たった一年しか経っていないのに、見ている世界も、周囲の環境もずいぶん変わった。そう思うと、不思議な気もした。  歩きながら、彼は初めてこの街を訪れた日のことを思い出していた。  正確には初めてではなく二度目ではあったが――、神殿で働かせてもらえるだろうかと不安を抱きながら、手荷物ひとつだけ持って港に降りた日が懐かしい。あの時の印象と変わらず、街は古めかしい、遠い昔のままの姿でそこにあった。ゆっくりと過ぎる時間はどこか朧気で、この街そのものが鷹神の見ている白昼夢の中に在るようだった。  それがこの街の空気なのだ、とヘリホルは思った。  (せわ)しなく過ぎてゆく大きな街のそれとは違う。今までも、そしてこれからも、この街は、ずっとこのままでいい。  港を一回りし、次は村のほうにでも行ってみようかと向きを変えようとした時、彼の視線は、人混みの向こうに、川を見つめて立つ旅人の姿に吸い寄せられるようにして止まった。日除けの亜麻布を頭からすっぽりとかぶり、どこか不安げに考え込んでいる様子だ。腰に剣を下げ、沙漠特有のゆったりした帯の無い服を纏っている。  「まさか、…」 思わず小さな声を上げた。同時に、旅人も振り返る。  視線が逢った瞬間、二人は、同時にぽかんとなっていた。  「…何で、こんなところに」  「お前…?!」 こんなところでは出会うはずのない人物だ。  「君…だよな? どうして、ここに…」  「ちょいと成り行きで護衛の仕事をな。最短距離で沙漠を突っ切った先が、ここだった。それよりお前のほうこそ、どうしてこんなところに? お役人がほっつき歩いてていいのか」  「ああ、ティスの役人なら随分前に辞めたよ。今はこの街で働いているんだ。ろくなことが無いから辞めちまえと言ったのは、君だろう?」  「いや、言ったが…。だからって…。はあ、妙な縁だな、まったく」 頭をかきながらも、セティは、どこか嬉しそうだ。「で? 今はここでで役人か?」  「神殿の会計係だよ。ほら、そこに見えている」 と、ヘリホルは街の奥を指さした。「鷹神(ホル)様のお社だ。」  「ほー。ありゃあ、デカい神殿だなぁ」  「黒い土地(ケメト)じゃ小さいほうだ。ティスの神殿も、ここよりはずっと大きかった。…護衛の仕事ということは、またすぐ砂漠へ戻るのかい?」  「ああ。連れの用が済んだらな。その間、俺ぁこうして待ってるだけだな」 ちらりと川の対岸に視線をやりながら、彼は呟いた。「黒い土地(ケメト)には初めて来たが、お前ら、よくこんな狭いところに住んでいられるな…。大河(イテルゥ)ってのも、思ってたほど大河じゃねぇし」  「ああ、それは、今はいちばん水の少ない時期だからだ」 慌てて、ヘリホルは言った。  「普段はこの、倍はある。それにこの辺は、川と、両岸の崖の間の距離がいちばん狭いんだ。下流の方に行けば、川と崖の間ももっと広い」  「それでも、見渡す限りの地平線なんてどこにも無いんだろう。崖に囲まれた狭い土地なんて…、これならオアシスのほうがよっぽど良い」  どうやら彼にとっては、この川べりの豊かな緑はあまり魅力的ではないらしかった。広大な赤い土地(デシェレト)の風景を知っているヘリホルにも、その気持ちは少し理解出来た。沙漠は過酷で、同時に、この上なく美しい。あの雄大な風景を見慣れている者からしたら、こちらの世界は生きているのか死んでいるのか分からない、物足りない世界に映るだろう。  どこへ行けばいいか分からない、というセティに、ヘリホルは、街を案内して周った。神殿も外側をぐるりと一周。それから最近の出来事や、とりとめもない雑談をしているうちに、いつしか時間は過ぎて行った。  日暮れ前に港に戻ってきてみると、ロバを連れた沙漠の出で立ちの若者が一人、待っている。  「ああ、あれが連れだ。――じゃあな、ヘリホル。縁があればまた、どこかで逢うだろうぜ」  「そうだね。縁があれば」 セティが小走りに近付いていくと、どこか頼りなげな若者は、ほっとした様子で何か話しかけている。急ぎで戻りたい様子だ。頷いて、セティは若者を追い立てるように西の崖のほうに向かっていく。どこかから、崖と山を越えてその向こうの沙漠へ戻るのだろう。  (…また、逢おう) 通り過ぎてゆく風に乗せて、彼は心の中で呟いた。  きっと、そう遠くない未来のことだ。そんな気がしていた。  神殿に戻り、裏口から門をくぐろうとすると、どこかから、ぱたぱたと駆けてくるような音と声がした。  「お帰りなさい!」  「ああ、ただい…ま?」 ヘリホルは思わず首を傾げた。「ええと?」あたりを見回しても、誰もいない。  「あのね今日はね、ごはん、一人で食べられたよ! どこ行ってたの? 楽しかった?」  「うん…君は、誰?」  「えー、わかるでしょう? いつも一緒だったよ、」  「……。」 足元から、ぱたぱたと音がする。見下ろすと、足元にまだ僅かに羽毛の残る鷹がいて、茶色く縁どられた丸い瞳でこちらを見あげている。音というのは足音ではなく、羽音だった。  驚いたあまりに声も出ず、後退ったヘリホルは、思わず壁にどんと背中をぶつけた。  「…喋ってる。やっぱり夢じゃなかった」  「なあに? どうしたの?」  「どうしたっていうか、どうしようかと思ってるだけ…。」 鷹の言葉が分かる? まさか、これが神の奇跡だなどと信じられるほど、ヘリホルは純真でもなかった。そして同時に、恐ろしいことに気が付いた。  もし他の鳥の言葉まで判るようになってしまっていたら?  台所で食卓に上る鴨やウズラの悲鳴を聞くたび罪悪感にかられるなど、ごめんだ。  じゃれついてくる鷹に、先に部屋に戻っているよう言いつけて、ヘリホルは大急ぎで裏庭に向かった。そこには、神殿で飼われている老いた鷹たちの檻がある。日が暮れて、すでに鷹たちは眠っていたが、ヘリホルが檻を叩くと目を覚まし、ぼんやりと彼のほうを見つめた。  「おい、お前たち。私の言葉が分かるか? 判るなら、何か喋ってみてくれないか」  「……。」 鷹たちは、眠たげな目をしたまま不機嫌そうに彼を睨みつけ、頭を下げて胸にうずめると、そのまま元のように寝入ってしまった。少なくとも、ここの鷹たちがとつぜん人間の言葉で話しかけてくるはなさそうだ。  台所へ駈け込むと、片付けをしていたアセトが顔を上げる。   「あらヘリホル。どうしたのさ、そんなに急いで。夕食なら、あんたの分はちゃあんととってあるよ?」  「その前に、…生きた鳥っていませんか。」  「鳥? 鳥ならそこの籠に、夕方に村の人が届けてくれた鵞鳥が…」  「ちょっと借ります」 かごを開けると、足をしばられて死を待つ鵞鳥が、必死の形相で彼を睨み返してくる。  「ぐぁぐぁ!」  「うわっ…こら、暴れるな。大人しく…」  「羽毛を使うのかい? 心配しなくても、()めたあとにむしって取っておくよ」  「はい、ありがとうございます…いたた、噛みつくなって」 暴れる鵞鳥を元通り籠の中に押し込んでから、ヘリホルは、ようやくひとつ安堵の息を漏らした。  鳥の言葉すべてが分かるわけではない。人間の言葉のように聞こえるのは、あの、巣立ち間際の幼い鷹の鳴き声だけだ。  でも、――何故、こんなことに?  「そういえば今日、神殿にぶどう酒の売り込みが来てね。なかなか質も良さそうだったから、全部、買って食糧庫に入れといたよ。今から熟成させとけばお祭りの時に使えるだろうね」  「ありがとうございます」 アセトの出してくれた夕食を腹に収めながら、ヘリホルはどこか、上の空だった。  一息ついて気持ちを落ち着けてから、彼はそろりと書庫に行ってみた。鷹は卓の端に置いた巣の中で丸くなり、羽毛に頭を突っ込んで眠っている。指で頭をなでてやると、小さく寝息を立てた。  「んん…」  (やっぱり、この鷹だけ…。どういうことなんだろう) 幼い少女のように喋るこの鷹は、自分のことを「お父様」と呼んでいた。確かにヘリホルは育ての親だ。種族は違えども、父という概念は間違ってはいない。ならば、この鷹はヘリホルの「娘」ということになる。  (娘、か…) 娘ならば、名前をつけてやらねばならない。  一晩考えて、ヘリホルは名を決めた。  力の娘、ヘカト、と。
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