やまない雨はない

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 ねえ、どうしてこんなことになっているの。  激しい雨音に負けないよう、大声をはりあげる。隣の女は私のほうに事務机を回転させて何かを言ったが、聞きとれない。  いつも使っているパソコンに防水機能が備わっていたとは知らなかった、いっそ壊れてしまえば仕事もできずに早退できるのに。左手で傘をさして、右手でキーボードを叩く。なんて常識のない会社だ、台風で屋根がふっとんでいるのに普段とかわらず仕事しろとは。命がけのデータ入力。  えーっ!   と届いたメールに叫び声をあげた私に、隣の女がまた反応している。どうかしましたか、とか何とか。  元彼が自分の結婚式の招待状を送ってきやがったんだよ! せっかく失恋から立ち直ってきたというのにいまさら、ひどいひどすぎるこの男、とどめを刺せば私の未練がなくなると考えての余計な親切心か、えぇ?   結婚、という単語だけ聞き取れたのか、おめでとうございます、と隣の女の口が動く。とんちんかんな後輩だ。何かにつけて気がきかない、仕事の覚えも悪い。こんな女の世話を朝から晩まで続けないといけない労働って理不尽だ。  いやそもそも、雨のなかデスクワークにいそしんでいる状況が異常だろ。ぼとぼと鳴る傘が煩くて、衝動的に左手を振り上げた。  気がつくと私の持っている傘の先端は、隣の女の喉に刺さっていた。  プシュー、と扉の開く音で目を覚ました。  窓から駅名を確認して、あわててホームに降り立つ。夢の内容を頭のなかで反芻し、おもわず喉元をさするが何ともない。  外はきれいに晴れていて、少し汗ばむ。カウンセリング室に着く頃には現実感を取り戻していた。 「お久しぶりです、先生」 「どうだった? この半年」 「毎日が楽しいですよ。結婚式の準備も順調だし。ここに来るのも、もういいかなと思ったんですけど、やっぱり先生の顔が見たくて」 「そう。もう伊坂さんは経過観察の期間も終わりね。これからどうする? これでやめてもいいし、自己啓発として通い続けている人もいるわよ」 「それなんですけど、私も先生のようなお仕事をしたいなって。実は今日、二人の友達と会う予定なんですけど、二人からも悩み相談を受けていて」 「そうなの」 「過酷労働に悩んでいる子と、彼氏からの暴力に悩んでいる子」 「それは専門の機関に相談したほうがいいんじゃないかしら。もちろん伊坂さんが話を聞いてあげて救われる部分もあるでしょうけど、具体的で現実的な対策が必要になるケースだと思うから」 「ええ、わかっています。でも一年前は病んでいた私が、今では人の悩みを聞く立場になっているんだなあって妙な感じ」 「急成長ね」  先生が微笑む。 「このお仕事で生計を立てるには、それ相応の資格が必要になるの。専門学校を卒業して資格を取得しても、実際の勤務先はなかなか見つからないのが現状で……でも伊坂さんにその気があれば、ある程度の基礎知識を教えることはできます」 「仕事にするかは別にしても、興味があるんです。参考書を買うので今度教えてください」  一礼をして部屋を出た。  約束時間が迫っていた。急ぎ足で電車に乗る。  悩み相談と言いながら、きっと本題を話し終えた後は他愛ないおしゃべりで盛り上がるのだろう。友達ってそういうものだ。そうありたい。  そして笑って言いたい、過酷労働もDV彼氏も良い経験だったよ。あれがあったから将来やりたい仕事も見つかったし、新しい彼氏との結婚も決まった。  どん底を知れば毎日の小さな幸せに目が向く。ささいな幸せに感謝を続けていれば、良い循環が生まれるんだよ。  窓ガラスに水滴が走って、雨が降り出したと知る。傘を持って来てよかった。  安堵のため息をついて携帯電話の画面を開くとメールが一件届いていた。差出人の名前を見て心臓が跳ね上がる。深呼吸をして本文を読む。  元彼からの結婚報告だった。  もう執着などないはずの字面に呼吸がしづらくなるのはどうして。  いまさら私に何をしたいのですか、嫌がらせですか、ところで嫁になる女にも暴力をふるうつもりですか? と返したいのに返せなくて体中を駆けめぐる狂気をこらえていたら歯ががちがちと鳴っていた。  私は怯えている、私のなかに在る封印したはずの陰惨な感情に。水滴が音を立てて、窓ガラスに映った私の影にぶつかる。  友達を慰めるふりをして一番救われたいのは私。泣きそうな影をなだめるように、傘を持つ手をしっかりと握りしめた。  大丈夫、やまない雨はない。
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