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6話 痺れる、キス
秋良はリビングのソファに横になり、バラエティ番組をぼーっと眺めていた。割と好きだった芸人のはずなのに、ちっとも面白いと思えない。
秋良の母、祥子が夕飯を作りながらキッチンから秋良に声をかける。
カレーのいい香りが漂った。
「ねえ、愁一くんといい加減仲直りしたら?」
「べ、別に喧嘩なんかしてない」
「嘘つきなさいよ。最近ずっとこっちで寝泊まりしてるじゃない。どうせあんたがヘソ曲げてるんでしょう。愁一くんかわいそうに」
「そんなんじゃ…!」
いや、そんなことあるのか…?と思っていると祥子はカレーをよそいながら大げさに悲しい声をあげる。
「最近は夕飯の差し入れも断られちゃってるのよねえ。バイトが忙しいんですって」
「バイト?あいつが?」
「そう、って知らなかったの?深夜のバイトみたいで、昼間学校もあるのに大丈夫かしら?体が心配だわ…でもあんまり干渉しすぎるのもって思っちゃって…」
はがゆいわあ~と俺に言い聞かせるように大げさな声をあげる母にうんざりしつつも、愁一の深夜バイトのことは気になってしまう。
バイトしないといけないほど大変なんだろうか。
深夜のバイトってなんだよ。危なくないのか?愁一、顔がいいから目立つし、変な客に絡まれてたりとか…。
秋良は考え出すと止まらなくなってしまった。
夕食後、秋良はそわそわしながら2階にある自分の部屋の窓から愁一の家の様子を伺う。
1時間は待っていただろうか。夜の11時を回ったあたりで、もう出ていったのか?と諦めかけた時、愁一が家から出てきた。
一瞬、愁一がこちらを見た気がしてカーテンの影に慌てて姿を隠す。
愁一が歩き出したのを見計らって、秋良は急いで家を飛び出し後をつけた。
愁一にバレないように距離を取って動き、たどり着いたのは数駅先にある繁華街だった。
治安が悪いから近づくな、と学校から注意喚起が出ていた場所。
いかにも、な夜のお店が並ぶ通りを躊躇わずに歩いていく愁一に、不安がよぎる。
(バイトって…こんな場所で?)
駅から離れ、さらに怪しい店だけが並ぶ通りに入っていく愁一。
そのまま、通り沿いの店の一つ、バーと思われるところへ入っていった。
(あいつっ高校生のくせに…!コンビニバイトとかじゃないのかよ…?)
追いかけて店に入るべきか?と十数分。店から数メートル離れた道端で迷っていると、酔った様子の中年サラリーマンが声をかけてきた。
「ねえ、君かわいいね。ジャニーズの●●くんに似てるって言われない?」
「え?」
「この辺の店の子でしょ? 君、いくら?」
「はあ?違います。そういうんじゃないんで」
「またまた~こんなとこ待ち合わせで立ってないでしょ。ほら、行こ!」
「ちょっ…!」
ぐいっと肩を抱かれ、そのまままま引っ張られる。秋良は慌てて足で踏ん張った。
「なにすんだ!離せよ!」
「なんだよ。お客探してるんだろ?ちゃあんと可愛がってあげるからさ」
耳元で囁きかけられ、気持ち悪くて鳥肌が立つ。
離れようとするが男の力は意外にも強く、秋良の体はずずず…と引きずられてしまう。
(なんだこいつ…!全然引きはがせねえっ…)
男が秋良を引きずっていく先は暗い路地裏だった。連れていかれたら絶対にまずい予感がして怖くなる。
「離せよ!離せってば!」
なりふり構わず必死に抵抗していると、別の大きな手が秋良を引きずる男の腕を掴んだ。
「いででででで!」
強い痛みを与えられたらしく、男の手は秋良からようやく離れる。
そのまま大きな手は男の腕を強くひねり上げ、男はさらに苦痛の悲鳴をあげた。
「何してる」
聞きなれた低い声がして顔を上げると、愁一が立っていた。
愁一が男を睨みつけると、悔しそうな声を出し、舌打ちをして男は去っていった。
「愁一…」
ほっとしたのと、久しぶりの愁一の姿に顔が緩む。
愁一はバイトの制服なのか、白シャツに黒いベスト、黒いパンツのバーテンダーのような姿だった。
背が高くスタイルがいいのでとても高校生には見えない。いつもより数段大人っぽく見えて、色気も増している気がする。
けれど、顔は少しやつれていた。
(こんなバイトしてたら眠る時間なんてないよな…)
「愁一、あの…」
「なんでこんな夜に出歩いてるの」
冷たく、突き放すような声だった。顔も強張っている。
こんな時間に出歩いてるのはお前も一緒じゃん。と突っ込み返したい気持ちだったが、ピリピリした空気が漂ってそんなことを言える感じではなかった。
「あのまま連れ込まれてたらどうするつもりだった?」
「へ、へーきだよ。男だし…」
本当は物凄く怖かったけど、男として情けない気がして強がってみる。
愁一にさらに睨まれた。
「ここ、ゲイの出会いの場でも有名なんだよ。路地裏に連れ込まれてたらひ弱な秋良は簡単にヤられちゃってたよ」
「なっ…!」
愁一は冷たい目で顔を近づけ、耳元で囁く。
「俺にも犯されちゃったもんね…?」
「っ……!」
真っ赤になって愁一を突き放した。
「愁一のばか!深夜にバイト始めたって聞いたから…心配して来たのに!」
「俺のことつけてきたの…?」
秋良がばつが悪そうに頷くと、愁一は驚いて目を見開いたあと、苦し気な表情で秋良を見た。
「あんなことされて俺のこと心配するとか、秋良頭おかしいんじゃないの」
愁一の言葉は秋良が想像していた反応ではなかった。
1週間避けられ続けていたのに、何を期待していたのだろう。
突き放す態度に、悲しくなる。涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「幼馴染のこと、心配しちゃ悪いのかよ…」
「幼馴染…ね」
愁一は秋良へ手を伸ばし、頬に触れてきた。反射的にびくっと体が強張ってしまう。
そのまま、愁一は秋良の目の下を優しく親指で撫でた。
「ひどい顔。隈できてる」
「……お前こそひどい顔だ。なあ、こんな夜のバイト辞めろよ。また今まで通りに…」
愁一が顔を切なく歪ませる。
「今まで通りなんて無理だよ」
「なんでっ…!」
縋るような秋良の目に、愁一はため息をついた。
「これ以上俺をみっともなくさせないでよ」
(何でお前が泣きそうな顔なんだよ。泣きたいのはこっちなのに…!)
愁一は秋良から顔を逸らし、すぐ近くを通りかかったタクシーを止めた。
「ちょっ…ちょっと、愁一!」
愁一は秋良をタクシーに押し込み、ドアを閉めた。胸ポケットからメモとペンを出してさらさらと書き綴り、「この住所まで」と運転手に住所のメモを渡す。
後部座席の開いた窓から、秋良に1万円札を押し付けた。
「これで帰って」
「ちょっと待てって!まだ話は…」
秋良が話し終わらないうちに愁一は秋良の胸元のシャツを引っ張り、窓から出た秋良の唇にキスをした。
驚いて開いた秋良の口から、愁一の舌が侵入し秋良の舌に絡められる。
「んんっふぁっ…やっ…!……いっ…!」
咥内を軽く舐めまわした後、じゅっ…と最後に痛いくらい、愁一の舌が秋良の舌にきつく吸いついてから、唇が離れた。
秋良は愁一に胸元を押され、後部座席のシートに放り出される。口から溢れた唾液を拭いながら息を整える秋良を、愁一は窓の外から冷たく見下ろした。
「こういうことされたくなかったら二度と俺に構わないで」
「愁一…」
「次俺のこと構ったら、泣いても嫌がっても俺のものにする」
「なっ…」
「またセックスするよ。今度は気絶しても止めないし、毎日する」
直接的な単語を出され、秋良の顔にかあっと熱が集まる。
「それが嫌だったらもう放っておいて。俺ももう、二度と秋良に構わないから」
言い捨てて、愁一はタクシーの運転手に「出してください」と声をかけて、すぐに背中を向けた。車がすぐに発車する。秋良は座席のシートに力なくもたれながら、呆然とするばかりだった。
「なんなんだよ…もう…」
秋良はまだ熱い自分の顔を押さえて項垂れる。
愁一に吸われた舌がビリビリと鈍く痛む。
愁一にキスされて、嫌じゃなかった。
愁一とのエロい夢を見た時、俺を触ってた手が愁一だってわかった時、本当は安心したんだ。
でもその気持ちが、ずっとずっと怖かった。
顔をあげるとバックミラーに写る自分と目が合う。
目の下に隈が出来ていて、本当にひどい顔をしていた。
ずっとずっと愁一がいなきゃダメだったのは俺の方だ。
愁一と関わらないこの先を考えただけで不安定になる。
「俺、愁一が好きだ…」
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