15:翌朝と『しろねこさん』

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 あの時はエンドロールなんて見る余裕もなくて、『しろねこさん』の声優さんを覚える余裕もなかった。  だけど、この作品の本放送が行われた四年前、森永さんが本科生であることは一致していて。  小倉さんの話によれば、森永さんは『アニメ収録スタジオ見学者選抜オーディション』経験者で、マイク前で緊張していたとも知っている。     もう一度ケースを裏返してみる。  記録面の溝は、たった1話分。    なんで森永さんはこのアニメを一話分だけ録っておいているのだろう。  でも。  この作品に出たとは限らない。だって、本科の選抜オーディションはいつ行われるかはシークレットだし、一年に収録されるアニメ作品なんて、すごくたくさんある。  この作品だって、全50話ある。  このディスクに記録されているのが『しろねこさん』の話だとは限らない。    けど、これだけ。  このディスクだけ。  テレビ放映の録画。  他の出演作品は全部円盤で持ってるような人が、この作品だけ……。  だけど、でも、けど、を何度も繰り返し、早鐘を打つ鼓動は、外廊下をこちらへと向かってくる足音によってさらに速度を増していく。  森永さんが帰ってきたのだ。  ガチャリと扉が開かれる前に美優は、台本が入っていた棚にプラスティックケースを突っ込んだ。    「お待たせしました……って、ダメでしょ座ってなきゃ!」 「ご、ごめんなさいっ。自分の台本どれかなーって思ってっ」  また森永さんに叱られて咄嗟に言い訳を決め込んでしまったけど、森永さんはサンダルを乱暴に脱ぐと手にしていた紙袋をダイニングテーブルに置いて、美優の元へとやってきた。  そして美優を椅子に座らせると、美優の台本を引き出す。 「キミの台本はこれです。言っておきますけど、俺は全部揃ってないと気が済まないのでお返しする気はありませんよ。全く……」  と、すぐに棚に戻しながらじっとりとした目線を送られてしまったので、美優はうっと縮こまってしまう。  けど、DVDのケースを割ってしまったことはちゃんと謝らなくちゃ。  美優が意を決して口を開いたその時。 「これ、マスターと凛子さんから」  と森永さんがダイニングテーブルに置いた紙袋を、美優に差し出してきた。 「中はマスターお手製のマドレーヌ。『美優ちゃん、元気になって!』って言ってましたよ」 「あ、ありがとうございます……」  だけどこのまま何も言わず帰ることはできない。  美優は意を決して森永さんに向かい合う。   「あの……実は……、不注意で棚のDVDを落としてしまって、ディスクは大丈夫そうだったんですけど、ケースにヒビが……ごめんなさい!」  立ち上がって頭を下げる。  すると、森永さんは無言のまま。  おもむろに美優が顔を上げると、森永さんは棚から件のDVDを引き出していた。 「いや、これ、元からヒビは入ってたんです。だから、藍沢さんが謝ることなんて何もありませんよ」    そう言いながらくるくるとケースを何度か裏返し表に戻す表情はどこか憂気で。美優がかける言葉を探しているうちに森永さんは、またDVDを棚に戻した。 「……でも、不注意で落としてしまって……大事なものでしたよね?」 「まぁ、それなりに大事なものですけど、盤面は無事ですので大丈夫ですよ。――さて、もう出ましょうか?」  と、森永さんはガラステーブルの上にまとめていた荷物を手に取ろうとそちらに進みゆく。  だけど、美優は知って欲しいと思ってしまった。
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