17:心の中でバーカって言って、笑う

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17:心の中でバーカって言って、笑う

 一週間はあっという間に過ぎ去って、今日も美優は一番のりでレッスン室に到着した。  まだ誰もいないレッスン室は真っ暗で、すりガラスを開けてすぐ横のスイッチを押せば、パッと一斉に蛍光灯が光だす。  正面の壁にはカーテンが引かれていて、奥には一面ガラスが貼られているが、まだカーテンは開かない。  レッスン内容によって鏡を使う時と使わない時があるからだ。  カーテンの両側は、壁になっている。  これは、レッスン中は大声を張ることもあるため、近所に配慮した格好。そして入り口から向かって左側には、壁から1メートル離れて置かれたロッカーが設置されている。あの裏は女子の更衣室になっていて、美優は少し足を引き摺りながら歩を進めた。  まだ、捻挫をした足首が痛むけど、だいぶ良くなった。  あともう少し固定すれば、治るだろう。    ロッカー裏でTシャツとジャージのパンツに着替え、レッスンで使うメモ帳と筆記用具をジャージのポケットに入れると、ロッカー裏からレッスン室へと進み出る。  すると磨りガラスの扉が開かれて、姿を現したのはさよりだった。 「おはよう、美優。今日も早いわね」 「おはよう。一番のりはあたしのルーティンだから」  そう言ってロッカー裏へと向かうさよりを見送って、美優は足首に負担がかからない程度にストレッチを行う。  そういえば、先週。  さよりはレッスン後に酒井講師に呼び出されていたけど、なんだったのだろう。  気にはなるけど、聞くのは流石に憚られる。    そう思いながら体を温めていくと、男性陣も続々とレッスン室へと入ってくる。 「おはようございます! 最上さん、十時さん」  一緒にレッスン室にやってきた最上さんと十時さんに挨拶をすると、最上さんはパッと明るく、十時さんはいつも通りの真顔で挨拶を返してくれる。   「美優ちゃん、おはよう」 「おはよ」  そんな二人も、レッスン室の右側に設置されたパーテーションの向こうに見送って、さらに美優は磨りガラスが開くたび、レッスン室に入ってくるクラスメイトに挨拶を続けていく。  そこにさよりや最上さん、十時さんが加わり、さらに他のレッスン生もストレッチや発声練習をしていく中。  ロビーから一際賑やかな話し声が聞こえてきて、美優ははっと磨りガラスを見て身構える。  早坂さんのグループがやって来たのだ。  磨りガラスが開ききり、その姿が見えたその一瞬で。  美優は怯むことなく一際大声を張った。 「おはようございます!」  しかし早坂さんと住石さん、秋名さんは美優に一瞥するとプイッとそっぽを向いた。  代わりに、美優の近くにいた最上と十時、そしてさよりを見てにっこりと微笑むと、 「最上さん十時さん、北原さんもおはようございますっ」  と、美優を省いた全員に声をかけて、ロッカー裏へと入って行ったのだ。  彼女たちが自分に向けた明確な悪意に、心臓が凍りつく。      早速無視するんだ……。  こういう時、森永さんなら、どうするだろう。  なんて言うだろう。  先週の日曜日の電車での会話を思い起こす。  『俺なら、心の中でバーカって言いながら、笑ってやります』  森永さんの言葉が頭の中でリフレインしたと同時に、美優は片方の口角を上げて笑って見せた。  そうやって無視してろ。  あたしは来年の4月に、事務所に入る人間なんだ。  あなたたちなんかに構ってる暇はないんだ。
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