古い家の日記7

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壁という比喩表現を知っているだろうか。 人は哀しみから学ぶ生き物だが、哀しみを乗り越えると新たな哀しみが待っている。 乗り越えようなどと考えなければ、心は一つの哀しみを含むだけだ。 だが乗り越えてしまうと、新たな哀しみが生まれた時、同時に過去の哀しみを思い出す。 誰かの曲のタイトルに「藍二乗」とある。 作者の意図は分からないが、藍の花言葉には「あなた次第」という意味がある。 全く関係ないかもしれないが、藍も愛も哀も、その経験からの感情は指数関数的に増えるものだと考える。 もちろん、増えるかどうかは「あなたの選択次第」だ。 人間は有限の生き物だが、人間の有する感情は無限だ。 喜怒哀楽で構成される我々にとって、その全てが無限であると言える。 しかし昔の人間は、無限であるこれに限度を設けた。 それが壁だ。 僕が考えつくことなど、所詮ちっぽけな思想だから、きっと昔の人間も感情が無限であることは知っていたはずだ。 だから敢えて有限とせず、壁としたのだろう。 そもそも壁とはなんだろうか。 哀しいことによく用いられる言葉のような気もするが、簡単に言ってしまえばこれは更新だ。 心から笑ったこと、楽しんだことは歳を重ねる度に変わっていく。 その一つ一つが壁であり、現在もそれらのプラスな感情には常に壁がある。 哀しいことにもそれはあって、一番辛かったことが更新されるまで、個々にとっての壁は、現在最も辛いことになる。 よく勘違いされるが、壁とは克服ではない。 乗り越えるという定理がそもそも違うのだ。 哀しいことはいつまで経っても哀しいのだ。 それを紛らわすための新たな哀しみに直面した時、初めて我々は壁を越える。 つまり、人間は息をするだけで、息をするように壁を越え、二乗の壁を作る生き物なのだ。 ならば死ねと? 死こそが救いとはよく言ったものだと僕は思うが、それは最終手段だ。 壁とは脱皮のようなもので、作る度に強く高くなる。 死以外の選択肢を選ぶために、より強い壁で覆う。 故に、壁は心に存在すると仮定すると、人間は乗り越える度に強くなるわけだ。 我々はそういう仕組みだ。
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