場面五 花盛りの庭(一)

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場面五 花盛りの庭(一)

 御室桜で知られる名刹、仁和寺は、京洛の北西部、衣笠山の麓にある。闇斎の邸からは一里(約四キロ)ほどの道のりだ。  早朝の境内だが、花の季節のせいか、ちらほらと人の姿も目につく。 「満開やな」  呟いて、闇斎は花弁に手を触れた。御室桜は樹高が低く、手を伸ばせば容易に花に触れることが出来る。 「花の中を歩いているようや。足元が悪いんだけは難儀やけど」  仁斎が苦笑交じりに言い、「そうやな」と闇斎も相槌を打った。 「数年前にうちに学びに来た博多の儒者が、樹の背が低いのは土が硬くて根が張りにくいせいやろと言うたが、そうなのかもしれん」 「お儒者はんやのに、妙なことに詳しい人やな」 「もともと医者で本草学(博物学)をやっとって、儒の道はむしろ日が浅いいう話やったが」 「あんたはんのとこ、色んな人が来るなあ」  感心したように仁斎が言った。  八重の可憐な桜は、早朝の太陽の下、夜半まで降り続いていた雨の滴を抱いて光っている。洗ったような青空が目に眩しい。その空を背景に、いくつもの伽藍がその威容を見せている。 「わたしが妙心寺におった頃は、伽藍も何もかも応仁の戦で焼けたままやったが………ようよう寺らしゅうなった」  闇斎がこの近くの禅寺、妙心寺にいたのは、今から三十年近く前、十五歳の頃だった。仁和寺の再建が始まったのはその数年後、将軍の代でいえば三代目の徳川家光公の頃で、それからおよそ十年の歳月をかけて、今の姿に復興を遂げた。因みに現在の将軍は、四代目家綱公である。  辛いことも様々にあったが、それでも戦乱のない世に生まれ、復興してゆく京の町で学問に打ち込める自分は、恵まれているとつくづく思う。 「この桜だけは変わらん」  闇斎は呟き、そして自分の傍らを歩く年下の儒者を見た。視線を感じたらしくこちらに目を向けた仁斎から、闇斎は目を逸らす。  そしてこんなに静かな気持ちで、寺にいた頃のことを思いだしたことはかつてない。昨日この男の腕の中で流した涙が、雨が空を洗うように、闇斎の中から何かを洗い流していったのか。午(ひる)過ぎまで温かな腕の中で微睡んで、ただ雨の音を聞いていた。あんな無為の時間を過ごしたのは、生まれて初めてのような気がする。身体も、心も軽い。
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