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場面四 春の雨のように(三)
心臓も、こめかみも脈打って痛い。容易に整う気配もない乱れた呼吸を繰り返しながら、闇斎は男の裸の腕に抱きしめられている。
ここは、暖かい。
仁斎の息も荒い。
互いの呼吸の音に混じって、ようやく軒を滴る雨音が聞こえてきた頃、耳に、唇が触れた。
「かんにん」
小さく言った。
「なに………?」
謝罪の意味が判らず問い返す。
「つい、気が急いて」
仁斎は、頬に口付ける。
「あんたはんの中が気持ち良すぎて、途中で気遣うてる余裕のうなった」
その言葉に赤面してしまう。またこの男は臆面もなく。
顔を見られたくなくて肩口に顔を埋めると、仁斎はいたわるように背を撫でる。その優しさが心に染みてくるようで、闇斎は唇を噛む。
仁斎。
「………何で抜いたんや」
「何でて」
戸惑った声がする。
「余裕ない言うても、さすがにそれぐらいの分別はある」
「それが普通なんか」
仁斎はしばらく黙っていたが、わずかに力を込めて闇斎を抱き寄せた。
「普通言うか―――まあ好き好きやけど、その方があんたはん身体は楽やろ」
「おまえはええんか?」
仁斎が苦笑する気配がする。
「闇斎はん」
髪に、唇が触れた。
「うちを見て?」
ためらいながら顔を上げると、そっと口付けられる。
「―――っ」
「好き」
仁斎が囁く。間近で見つめられるのがどうにも気恥ずかしくて、目線を逸らそうとしたら、頬に手のひらが触れた。
「うちは、好きなもんはちゃんと大事にしたい。あんたが嬉しい思うてくれたらうちも嬉しいし、辛い思いしてるならうちも辛い。―――それだけ」
また、唇が触れ合って。
「簡単やろ?」
仁斎。
そんな、風に―――
「………っ」
涙が溢れた。
仁斎にとって、そんな風に人を想うことは、ひょっとすると呼吸をするようにごく簡単なことなのかもしれない。だが、闇斎は、そんな愛情は知らない。
ほんの幼い頃でさえ、そんな風に闇斎を扱った者はいない。武家の常として、物心ついた頃から、与えられる愛情でさえ厳しかった。むしろ、厳しさを愛情だと思い、闇斎は育った。
仁斎は頬に触れていた手を、背に回して抱きしめた。堰を切ったように溢れ出る涙はなおも止まらず、後から後から流れて、仁斎の裸の胸に涙が落ちる。まるで、軒端から滴る春の雨のようにとめどなく。
「闇斎はん」
穏やかな声が囁く。
「明日の朝、雨上がってたら、今度こそ花見に行こな?」
ちゅ、と湿った音と共に、闇斎の目許に唇が触れる。
「雨上がりの桜が朝日を浴びてる姿は、ほんまに最高やさかいに」
闇斎は小さく頷き、男の裸の肩に手を回した。
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