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場面五 花盛りの庭(二)
「………きれいやな」
仁斎がぽつりと言い、闇斎は花を仰いだ。
「今が盛りやからな」
「桜もやけど、それよりあんたはんが」
「………っ」
闇斎は危うく、ぬかるみに足を取られるところだった。足を止め、年下の男を睨む。
「おまえ、一体どないな好みしてるんや。目か頭かどっちか曇っとるんと違うか。一度養白どのにでも診てもらえ」
井上養白は医者で、仁斎の友人だ。闇斎も何度か診察を受けたことがある。
睨みつける闇斎の眼差しを柔らかに受けとめて、仁斎はどこかしみじみと言った。
「うち、実はちょっと後悔してるんやけど」
闇斎を、抱いたことをか。
表情を硬くしたことに気づいたのか、仁斎は「そうやない、逆や」と慌てたように言った。
「せやなくて、もっと早う、こないしてればよかったて」
「―――」
「あんたはん、たった一日で雪に凍った樹から満開の桜みたいに柔らかなったさかいに、今朝朝日の下で見たときにほんまにびっくりして」
不意打ちに、思わず闇斎は赤面する。
「………おまえ」
何か言おうとして、反論の言葉が出てこなかった闇斎は、そのまま仁斎に背を向けて歩き出した。
「何や、江戸へ送るん不安になってきたなあ。花の下には人も虫も色々寄ってくるし」
「あほか!」
呑気に言う年下の儒者を、振り向きもせずに怒鳴りつける。不意に後ろから抱きすくめられ、闇斎はもがいた。
「こらおまえ、ここをどこやと」
「仁和寺の境内やけど」
「そないなこと訊いてるんと違う! 人目もある真っ昼間に何を」
「昨日は朝っぱらからしたやん」
「………!」
こいつはほんまに―――泥足で蹴飛ばすぞ!
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