日常

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日常

 青藍色の制服。その襟元を軽くつまんで、自分の視界へ引っ張り出す。白のラインが入った、普通のセーラー服。正直言って可愛くない。あずみはそっと溜息を吐いて、その特徴的な襟から手を離す。分厚い布が、指先から逃げていく。  ――ほんと、退屈。  二年生に進級したからと言って、特に何かが変わるわけではなかった。クラスのメンバーも同じ、なんの変化もない。つまらない。何もかも全部、こんな田舎に生まれてきたのがいけないのだ。近くにスーパーはないし、コンビニもない。歯医者はなければ美容院もない。駄菓子屋すらない。っていうか、教育機関すらない。わざわざバスを乗って、隣の隣町まで行かなければ授業は受けられない。あずみの住む町に、子供は十人もいない。 「あーあ、ほんと嫌になっちゃう」  シャーペンの芯を永遠と出しながら呟く。あずみは上靴を履いてなかった。これが今の小ブームだ。ソックスのまま授業を受ける。薄い靴下から、地面の冷気が伝わってきて、意外と気持ちいい。あずみはなんとなくそのブームに乗っていた。だけどその理由は冷たくて気持ちいいとかじゃなくて、グレてるみたいだから。なんだかいけないことをしてるみたいで、楽しい。 「嫌になるって?」 「え?」  突然、話しかけられた。麻耶だ。 「さっき言ったじゃん。嫌になっちゃうって」 「あ、聴こえた?」 「うん。もうバリバリ」 「あー、そっか」  足を床にこする。今日はあんまり冷たくない。 「なんか、狭苦しいって思ったの」  ポツンと、水滴のように言葉が空間に落ちる。そして、波紋のように沈黙が広がる。 「狭苦しい、ね」  麻耶はその言葉の扱いに困るように眉を寄せた。 「なんかさ、箱の中で生活してるみたい……そう思わない?」 「うーん、どうかなぁ。私はただ、学生してますって感じ」 「いいな、羨ましい」 「羨ましい? 普通じゃん。だって、私たち中学生だよ」 「そうだけどさ、なんか色々……息詰まるみたいな」  麻耶は唸った。 「深い、深すぎるよ。アンタの感性」 「えっ、や、そんな意味じゃないよ! たださ、分かんない? 窮屈っていうか、自分何してんの? みたいな」 「分かったわかった。あずみはアレだね。無自覚な厨二病だね」 「違う違う、もう! 何言うの」  麻耶はククッと喉を震わせて、笑った。からかわれたのだろうか。思わず赤面する。 「違うから。だからね、変化がほしいってこと」 「変化って例えば?」 「クラス替え!」 「クラス替え?」と相手が面食らう。あずみは力強く、「そう!」と頷いた。麻耶は「あー」と言って納得する。 「なる、うちの学校って一学年一クラスだもんね」  そう、この学校は一学年一クラス、全部で三クラスの超小規模な学校だ。最近は少子化でそういう学校も増えてるらしいけど。 「まあ、でもいいんじゃない?」 「どういうこと?」  麻耶は教卓に指をさしてから、 「担任は変わったわけだし」  そう言った。たしかに、一年のときは美術の女の先生だったけど、今は社会の男の先生だ。 「でもでも、そんなの変化って言わないよ」 「そーお?」 「もっとビッグな変化がほしいの」 「ビッグな変化ねー」   麻耶は考えこむような仕草をして、 「部活入れば?」 「今から?」 「途中入部ってやつ。あずみ帰宅部でしょ?」 「うーん、それもいいかもだけど、なんか恥ずかしいな」 「大丈夫だって」 「そうかなぁ」  あずみはしばらく考えた。うちの学校は部活が三つしかない。吹奏楽部とバスケ部と卓球部。卓球はもうすぐ廃部説が浮かんでいる。 「麻耶は何部だっけ?」  「帰宅部」 「……うわぁ」 「うわって何よ、同類じゃん」 「そうだけどさ」 「なんか腹立つなー」  時計を見上げた。あぁ、もうすぐで先生が来る時間だ。慌てて上履きにつま先を突っ込む。授業中は脱ぐけど、朝の会の時間は履いてないとだめだ。じゃないと、朝の挨拶「起立、礼、着席」ができない。できるけど、靴下のまま立ちたくない。 「……あ、麻耶」  ふと思いつい疑問を投げかける。 「麻耶って去年委員会入ってた? 生徒会でもいいけど、そういうの」  麻耶はすぐに答えた。 「保健委員だったよ。帰宅部優先的に委員会入らされたじゃん。あずみはなんの委員会だっけ? 文化? 図書?」 「去年は生活委員だったよ。それでさ、今年も入る?」  何拍か間があった。 「えー、やだなー。でも、また強制的にやらされそう」 「だよね。何委員がいい?」 「私は……また保健かな。慣れてるし。あずみは?」 「私はまだ決めてないよ。でも、楽なのがいい」 「お願いだから代表委員はやめてほしいよね、生徒会だから」 「うん。もしそうなったらどうしよう」  代表委員の人は、自動的に生徒会の下のほうの役員にもなってしまう。  麻耶はグッと顔を近付けると、手をメガホンのようにしてあずみの耳元に押し付けた。「実はね……」声のトーンを沈めてヒソヒソと話す。 「実はね、なんとね、今日のラッキーカラーは紫なんだって」 「……へえ、そうなんだ」 「ね、あずみ紫の物持ってる?」  まさに今、カチャカチャと芯を出し続けていたシャーペンがそれだった。先っぽにクマの人形がくっついた、白と紫のシャーペン。あずみは平然を装って答える。 「持ってないよ」 「嘘つけ」 「……持ってないよ?」 「そんな発音変えても変わんないから」 「えー、じゃあ……貸さないよ?」 「……ごめん、それは困る」  あずみは無意識のうちに麻耶の頬を突いていた。麻耶はそれに反応して、むーと頬を膨らませる。面白い。 「もう、素直に貸してって言えばいいのに」 「貸してくれるの?」 「もちろん貸さないよ」 「うー、いじわるー」 「当たり前じゃん。だって今日はさ、」  サイド黒板の時間割表を一瞥してから、 「その委員会決めの当日なんだから」  今日の昼休み明け、五時間目の学活で委員会や係を決める。昨日、そう言われた。 「あーあ、だるぅ。委員会なんか消えちゃえばいいのに」 「そこまで言う?」 「言うよ、もちろん。だってこっちはバス通学だよ。委員会が変な時間に終わってちょうどいいバスがないとか、最悪じゃん」 「うーん、そうかなぁ」  あずみは窓の外を見つめた。少し奥に国道があって、そこにバス停がある。 「でも、ここのバスって本数多くない?」 「えっ、そうなの?」  麻耶が聞き返して、「だって」と答える。 「この先に、温泉宿あるでしょ?」 「ホテル? ……うん、たしかに。あ、そっか。ホテルがあるから、バスの利用客が多いってこと?」 「そゆこと」  あずみは麻耶の頭をくるりと反転させると、 「お戻り。もう時間」 「え、あっ、やば!」  バタバタと慌ただしく自分の席へと帰る。時計の針は、八時半を迎えていた。そろそろ担任が来る。  机の横に掛かってるリュックから、文庫本を取り出す。タイトルが、光に反射されながらも見える。本を開いて、栞を探して、読む。本の表紙に、ベッタリと指紋がつく。  眩しい。太陽が。  動き出す、日常。そして、  かけ離れてく、日常。
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