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なぜか頭から抜けていた。彼女は母親の代理で来ているだけであって、それは限られた期間だけだ。たしか国内出張だと聞いている。それが終われば、母親が迎えに来るようになり、入れ替わりに彼女は来なくなる。
途端に心が焦りだした。あと何日? 何回会える? このたった数分だけの時間を繰り返しただけで、何かが生まれるわけがない。
急いでその場を走り出した。ドアを開け、道路に飛び出して先を見る。あまり遠くない場所に二人の影が見えた。
「あの!」
声を上げながら走り寄ると、二人が足を止めた。驚いた顔が俺を見つめる。
「連絡先……っ、教えてください」
「え?」
瞬きをする大きな目を見ていられなくて、視線を逸らした。「えっと」と漏らす小さな声は、明らかに困っている。
「前に、携帯の番号書きませんでしたっけ?」
その返答に、思わず「は?」と間抜けな声が出てしまった。それを怒っていると思ったのか、弁解でもするように慌てて両手を胸の前で動かす。
「あっ、勘違いかもしれません。ごめんなさい、お迎えのカード作った時に書いた気がして……」
「あぁ……」
「か、書きました、よね……?」
「書きましたね……」
途端に脱力した。そりゃそうだ。バイトとはいえ、学童で働いている人から連絡先を教えろと言われれば、それは保護者としてのものと捉えるのが当然だ。
よかった、と安心する顔を見てしまっては、もう個人的に知りたいのだとは言えない。呆けた様子の悠希と目が合い、その視線が足元に向けられるのを見て、つられて下を見た。内履きのままだ。
「急いでたから履き忘れた」
「あおちゃん、おっちょこちょいだなー」
二人を見送り、肩を落として学童に戻った。内履きは軽くはたけばいいだろう。そう思っていたら、ちょうどそこに居合わせた職員に見つかり結構な勢いで怒られた。
靴を洗っている暇もないので、後回しにして来客用のスリッパを履いた。ふらふらと吸い寄せられるように事務室へと行き、棚から名簿を取り出す。そこには保護者の名前が羅列されていて、彼女の名前の横には緊急時連絡先として携帯番号が記されていた。
少し迷い、いやいや、と首を振る。これに個人的な電話を掛けたら、ただの不審者だ。
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