青い靴をはいた女

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青い靴をはいた女

 その年の三月、東都のロードショー劇場では、北欧生まれの戦慄的ホラー映画「やまない雨」が上映された。 一部批評家の前評判がよく上映館には客が並び、その年のアカデミー賞候補にも名前が上がったほどであった。    降り続く雨の日に起こる、「青い靴」を履いた金髪の美女による連続殺人事件を描いたこの映画は、流行に敏感な女性たちに「青い靴」現象を起こし、ギンザ通りの靴店には青い靴が並んだのである。  加えるに、東都は春の兆しを迎えるというのに、ロードショウが始まると、しとしとと雨が降り始め、ロードショーの期間中、雨がふりやむことはなかった。  この「やまない雨」現象は映画を製作し、世界で初めて上映した北欧の幾つかの都市でも起こり、この現象に気づいた製作会社の広報によって、上映される各国に宣伝材料の一つとして伝えられたのだった。  しかし、上映される各国で起こる奇妙とも思える現象は、”雨がやまない” だけではなかった。          「お嬢さん! 日比谷劇場で“やまない雨”を観ていたお嬢さん!」  電灯の明かりがまばらな路地で後ろから男に声をかけられた。  家路を急ぐ美恵は足をゆるめ、首を回したが声の主が見当たらない。  背中を寒い風が通り過ぎた。 「お嬢さん、こちらです」  今度は足元から聞こえる声に思わず目を落とした。  履いている青い靴の先にナイフが落ちていて、柄は赤く染まっている。  美恵の頭には、先ほど観た「やまない雨」の一場面が走馬灯のように走った。主人公の金髪の美人は、足元に落ちているナイフを拾って、恋人を刺し殺すのである。  三角関係の末路である。  美恵は足を止めると、青い靴の傍らのナイフに目を止め、バッグの中にある、日比谷劇場の未使用のチケットのことに思いを馳せる。  明憲は、とうとう顔を見せなかった。  期待半分ではあったものの、こちらから誘いをかけたのは、このひと月で三回目である。所用をたてに時間が取れないと、子供だましのような言い訳をする。  体を許して一年もすると、男はこうも心変わりをするものか・・・。  今度の日比谷劇場のチケットは、明憲の都合を確認してから取ったのである。  上映の時間に間に合いそうもないので “チケットを受付に預けて先に入っています” とメールしておいたが、返事はなかった。  隣の空席に気を留めながらの落ち着かない二時間であったが、それでも、映画の後半部分は引き込まれる場面が多かった。  描かれる金髪の美女は異常に誇りが高く、約束の時間に十分遅れただけで、男の首を落とすという、残忍な場面があるのだが、ふりやまない雨の中の惨劇が、女の行為をむしろ哀れに思わせる演出が傑出していて、これらが単なる恐怖映画の域を超えていたのである。  ・・・足元からの男の声は、二度と聞えなかった。  しかし、「お嬢さん、こちらです」と言った感情の無いしゃべり方は耳の底に残っている。  美恵は腰を落とし、足元に落ちているナイフに手をかけようとした・・・。  さしている傘にしとしととふり注ぐやまない雨。美恵の手元を濡らし、ナイフを濡らしていた。傘を持つ手で腰をかがめたが、ナイフまで届かない・・。  突然、犠牲者たちの顔が目の前を走り抜けた・・・。  青い靴を履いた金髪の美女が映画の中で手に掛けた犠牲者たち・・。  頭を割られたり、首を切られたり、臓腑を噛みちぎられたりした犠牲者たち・・。  残忍な殺され方をした犠牲者たち。  一度、血に染まったナイフを手にすれば、自分の意志の届かないところで、惨劇が繰り返される。  映画の後半は、雨の中を自宅へ急ぐ観客をそっと呼び止め、「もとのカラダに戻してくれ」と、自分の首を小わきに抱え、首無しの身体で、抱えた首からのか細い声で懇願する殺された男たち。  男の敗北である  映画の中で起こった現象が、いまこうして自分の周りで起こっていることに思いがいくと、美恵の手は足元のナイフの一センチに満たない所で止まった。  映画の内容は、確かに残忍で妖気的であるが、殺人の動機など、虐げられている女性の主張や自立を暗示しており、その部分の表現が優れているので多くの女性の共感を呼んだのだった。  女たちが青い靴を履くことによって、自己を主張する風潮が一時的にせよ、ファッションとなったのは、この猟奇的な映画の功績かもしれない。  この映画に出る青い靴は、先進的な女性たちの象徴として描かれている。  美恵の心に迷いが生じたとき、ふりやまない雨は青い靴の存在を思いださせてくれるに違いない。             (終わり)
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