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もしも、雨が止まないならば、小町は好きだと言おうと思っていた。
これまで小町は3度も告白して、すべて瑞希に断わられていた。
「どうして?」
断わられる度に理由を聞いて、サッカーでプロになるためだと言われ続けてきた。お互いに高校3年の現在で、小町の身長は140cm、瑞希は198cmだった。
小町の告白はいつも雨の日と決めていた。初めての告白は小学2年の時で、幼稚園児かって思うほど、小町は小さかった。瑞希は4年生と混じっても一番大きいくらいだった。
小町は雨の日に瑞希の家へ出向いて、インターホン越しに告白した。誰かに見られたら、瑞希が嫌がるだろうなって気にして、幼いながらに絞り出した最善策だった。瑞希が小町の隣を歩くことを恥ずかしがっているのは、わかっていた。
瑞希は告白を遮るように断って、出てきてもくれなかった。小町は雨の中を一人で帰えりながら、もしかしたら、おばさんが側にいて、聞かれたくないから遮られたのかもと、希望にすがっていた。
翌日になれば、学校ではいつもの瑞希で、話しかけてもくれるし、くだらない小町の話も笑って聞いてくれた。告白したキモチが伝わっていないのかってくらい態度は変わらなかった。それでも真相を聞けなかったのは、やっぱり隣を歩いてくれなかったからだ。
今日も6年生の男子たちが、小泉の大きさを見学しに来ている。なぜか小町が呼ばれ、行ってみると、用もなく突き返された。席へ戻るとまた呼び出され、ウンザリしながら立ち上がると、6年生の男子たちがケラケラと笑っている。
小町が瑞希の横を通るのが見たかったのだ。身長差を笑いに来たのだ。その事に気づいた瑞希は、静かに席に座った。
今日はお母さんから瑞希とお留守番の約束をしていた。小町は、どうなるかなって不安になった。給食を食べれば下校の水曜日、瑞希の家は同じ町内で、部屋の窓から屋根が見える距離にあった。
1年生の1学期までは一緒に下校していたけれど、見学人が増えてからは、集団下校の時と小町の誕生日だけ一緒に帰ってくれた。
帰りのホームルームが終わると、瑞希は一目散に帰ってしまった。小町は来てくれないんだってしょんぼりして、もしかしたら、下駄箱で待っているかも、校門にいるかも、この曲がり角にいるかも、、、。期待を裏切られながら一人で帰った。
とうとう家に着いた頃には、ホロホロと涙が零れていて、門を開けると瑞希が立っていた。あきらめていたから尚のこと嬉しくなって駆け寄って、思わず抱きついてしまった。瑞希も抱きしめてくれた。
「中に入ろうか」
喜びに浸る時間はひとときしか許されない。瑞希の目線は通りに向けられていた。嬉しいのに悲しかった。いつまでも心を覆う雨雲は晴れない。
2度目は中学2年で、瑞希が初めて16歳以下を対象にしたサッカーの日本代表に選ばれた翌日だった。瑞希は中学進学と同時にプロチームの下部組織にスカウトされて、トントン拍子にステップアップしていた。
小町は海外へ試合に行くだけなのを、瑞希が日本に帰って来ないと勘違いをして、急いで告白を思いたった。
その日は横殴りの雨が降っていて、人通りが少なくて、今日しかないって慌ててしまった。学校が終わって、下校する瑞希の後をつけて、誰もいない道端で告白した。
瑞希は当時すでに190cmもあって、小町は139cm。身長差は開く一方で、隣を歩けば、年の離れた兄妹というよりも、親子にだって見えた。
小町は追いかけるのに必死で、傘を学校に忘れてきていた。瑞希は屋根みたいな大きな傘を、小町に差してくれた。
「どうしたの?」
「好き」
急に思い立った告白だから、ノープランで挑んでしまった。決めうちの告白では、会話は成立せず、戸惑うのは瑞希の方だった。
「今はサッカーしか考えられないんだ」
小町は頭の中は、(今はって、いつ? サッカーに整理がついたら付き合ってくれるの? それとも傷つけないための優しさなの?)そんなことを思って、希望と戸惑いがこんがらがっていた。
「好きな子いるの?」
「いないよ」
「私はじゃダメなの?」
「今は大切にしてあげられる余裕がないんだよ」
「もしも私がもっと大きいかったら付き合ってくれた?」
「バカだな。そんなの関係ないよ」
「じゃあ、好きって言ってよ」
結局、瑞希は言ってくれなくて、傘だけを残して去っていった。小町は、ずぶ濡れの瑞希の姿を目で追っていく、手渡された傘が優しさの証で、好きだと言ってくれないのも、優しさなんだと、自分自身で勝手にいい方に解釈した。良く言えばプラス思考だけど、いつまでも諦めきれない原因だった。
3度目は中学卒業式の後だった。散ってしまった桜の木の下に呼び出した。傘を差しても肩が濡れるほどのどしゃ降りの中で告白した。
進学する高校が違うから、普段会える機会がなくなってしまう。わざわざ会いにいかなければならない。用件は小町にあっても、瑞希になければ実現しない。今日が理由もなく2人になれる最後かもしれない。付き合えるなんて思わない。吹っ切るための告白だった。
「好きだよ」
最後だって思うと声が震えて、その一言が精一杯だった。
「今は付き合えない。高校に上がってみて、生活に慣れてからから、俺から連絡するよ」
告白は断られたけど、次には繋がった。抱きつきたいけど、人目を気にして、袖だけ掴んで我慢した。
「一緒に帰りたい」
精一杯の甘えん坊は、許された。
それから2年半が過ぎた。瑞希からの連絡は一度もなく、小町は別の男子から告白されたけど、断ってまで待ち続けていた。
小町は一人ぼっちになると空想していた。瑞希が日本代表に選ばれて、試合でPKを止めちゃったりして、試合後のインタビューで、テレビ越しに告白する。翌日に記者が小町の自宅に押し寄せて、レポーターに経緯を聞かれたりしちゃう。
小町は自身のプラス思考も大概にしろって思いながらも、空想は止められない。そうやって時間は過ぎていった。連絡が来ないことに傷つかなくなるほど慣れていた。
唐突に瑞希からメッセージが届いた。雨の日だった。
瑞希の文章は、久しぶりってよそよそしくて、唐突に日曜日の予定を聞かれた。
その日は、お父さんの誕生日で、毎年恒例の外食があるだけだから、小町には何の問題もなかった。小町は二つ返事で空いてるって返信して、二人で会うことに決まった。細かいことは、また連絡するって返ってきた。
不安が込み上げてきた。同じセリフで2年半も待たされたのだから仕方がない。なぜか土壇場になると、肝心のプラス思考が発揮されず、不安要素が頭をよぎる。
瑞希は、順調に世代別の日本代表に選ばれ続けていた一方で、所属チームの試合ではベンチにいた。軽い足首の捻挫で休んだのが発端になっていた。
瑞希からポジションを奪ったのは、同級生で176cmしかない選手だった。だけどチームは勝ち続け、大会を優勝してしまった。瑞希から連絡が来たのは、その翌日だった。
連絡から3日経った。半信半疑で待っているなかで、本当に連絡が届いた。約束の日曜日の前日で、日付が変わるギリギリの夜中だった。
メッセージには、明日の10時に会おうと書かれていた。てっきり夕方になると思っていた小町は正直驚いた。明日の午前中は、試合があるはずだった。
「試合は?」
「どうせ俺は出ないから」
その一言だけで、瑞希の心が黒く塗りつぶられているのがわかった。幼稚園からサッカーを始めて、一貫してプロを目指してきた。瑞希の計画では、来年に夢を果たすはずだった。その夢が小町の想いを阻んできた。
小町は努力を見てきたから、本心で応援してきたけど、たまには、サッカーを恨むこともあった。怪我をしてサッカーができなくなっらなんて、恐ろしいことを思ったこともあった。
小町は、試合に行かない理由を聞かなかった。もしもプロになれたとしても、そこから競争が始まる。チームでレギュラーになっても、その先には海外移籍や日本代表など、上を目指せばきりがない。瑞希の夢が叶えば、小町に振り向いてくれるのがいつになるのかわからない。 背中を押すようなことは、言えなかった。
小町が電話を切ると、布団に倒れ込んだ。のし掛かる罪悪感に身もだえた。瑞希がどういうつもりで会いたいのかは、どう考えたって告白しか思い付かない。待ちに待った展開なのに、やっぱり小町の心は晴れない。
小町は知っていた。瑞希が何に苦しんで、どんな決断を下そうとしているのか。小町は瑞希のお母さんから、事情を聞いていた。
瑞希は、求めた答えを聞くために、様々な病院へ通っていた。間も無く2mに届く身長は、GKにとって最大のアドバンテージなのに、瑞希を苦しめていたのだ。
瑞希は同じ夢を繰り返し見ていた。それは足が軋む夢、成長痛に襲われる夢だった。目覚めると、身長が10cmも伸びている。それもまだ夢の中で、2度目の目覚めが現実の世界だった。
瑞希はびっしょりと汗をかいて、夢の中で感じた成長痛を確かめるために膝を触れた。これ以上伸びてしまえば、長い手足は扱いにくくなるだけだった。何度も病院へ通ったのは、伸びないと言われること期待していた。だけど、一年間通っても確信をもって答えてくれる先生はいなかった。
但し、求めていた答えとは、違った角度の答え与えてくれた先生が一人だけいた。病院の先生ではなくて、大学の経済学部の教授だった。元陸上選手で、インカレで日本一になったことがある経験を持っていた。陸上で確かな実績を持ちながら、陸上界とは一切の関係を断って、大学の教授をしながら、個人的に様々なプロスポーツ選手のトレーナーを請け負う異質な人物だった。
世代別の日本代表コーチのツテで繋いでもらったはずなのに、瑞希が会いに行くなり門前払いにあった。教授のポリシーに瑞希は反していたらしかった。
教授は170cmしかない。陸上の短距離界では、アジアでも小柄だった。その身長は子供の頃から、あらゆる可能性を握り潰してきた根源となって苦しめられ続けてきた。身長で選抜を外されたり、大柄ってだけで、他の選手が当たり前に優遇されてきた。自信と実績があっても、チャンスを与えられなかったのだ。そんなバックグラウンドが教授にはあって、身体的に恵まれた選手には一切関与しないと決めていた。
つまり教授から見れば、扱いにくい瑞希の身体は、宝の持ち腐れで、動かないのは、瑞希自身が抱えた心の問題だと突き放された。
昔から瑞希は、身長だけで試合にも出れて、日本代表にも選ばれていると自分を卑下していた。身長に対するコンプレックスは、幼い頃から抱いていて、引き金は間違いなく小町が隣にいたことだ。少なくとも小町はそう思っていた。
小町が天気予報を見ると、明日は雨の確率は20%だった。背中を押したい気持ちと、自分の気持ちを優先したい想いは50%/50%。小町は、もしも雨が止まなければ、好きだと言おうと決意した。命運は天候に任せた。
翌日小町が目覚めて、窓から外を覗くと霧雨だった。雲は薄く、光が透けて見えた。傘を差すほどでもなく、すぐに止みそうに見えた。
朝の占いを見ると、中途半端な6位だった。軽はずみな発言には注意が必要らしい。ラッキーアイテムはビニール傘だった。小町はくだらないなって思いながらも、ビニール傘をコンビニで買った。
待ち合わせ場所は、駅前のロータリーで、時計台の真下は、霧雨の中でも、これからデートなんだろうなって女の子が4人も待っていた。
すぐにでも止みそうだった雲行きが変わった。霧雨から雨粒が目で捉えられるくらいになった。小町が約束の20分前に着くと、4人の女の子と一緒に瑞希が待っていた。時計台よりも目立っている。そんな瑞希は、傘を差していなかった。
小町は駆け寄って、傘を差し出した。屈んだ瑞希との相合い傘は、2年半ぶりの対面としては、あまりにも不用意に近づきすぎた。一つの傘にいられることが嬉しいのに、正反対の態度を小町は取ってしまう。
「何で傘持ってないの?」
「止みそうな気がしたから」
「買えば良かったのに」
「小町が来ると思ったから」
「コンビニそこにあるじゃん」
「どうしても出迎えたかったから」
瑞希にしては、柄にもなく押しの強い態度からは焦りを感じた。小町の本意じゃない態度に出鼻をくじかられたかもしれない。そんな冷静な分析を小町が出来るはずもなかった。
「濡れちゃうよ。コンビニ行こうよ」
「いいよ」
「それって、どっちのいいよ?」
「傘はいらない」
「どうするの?」
「ひとつあれば十分じゃん」
「屈んで歩くつもりなの?」
小町の隣には知らない瑞希が立っていた。無理をしているのは明らかで、軽薄さが嫌だった。
瑞希が手を握ってきた。本気で傘を買わずに行くつもりらしかった。
待ち合わせていた他の4人も合流していた。2人を好奇な目で見ている。
「みんな見てるよ」
「気にすんなよ」
「どう思ってるのかな?私たちのこと」
「どうでもいいよそんなの」
瑞希が握る手は痛いくらい強くって、歩く速度に会わせれば、早足じゃなきゃ追い付かない。
「瑞希が傘を持つと、折り畳みみたいに見えるね」
小町は怒っていた。立ち止まった瑞希も怒っていた。
「そんなに恥ずかしいの?」
「恥ずかしくないの?」
「気にしたってしょうがないだろ?」
「そうだよね」
「何がそんなに気にくわないんだよ?」
「全部」
「じゃあ何で来たんだよ」
「何で呼んだの?」
「それは、、、告白だよ。わかってるだろ?」
「何で今日なの?」
「なんだよそれ?」
「サッカーあきらめたからでしょ?」
「、、、」
「手が痛いし、歩くのも速い。こんなんじゃ1日中なんてついていけないし、この先ずっとそうなら、、、そんなの悲しいよ」
恥ずかしがっているのは、昔から瑞希の方で、そうならないように小町が配慮してきた。それがまるで伝わっていなかったかのように、逆に責められた小町は耐えられなかった。
瑞希は弁解の余地もないらしく、黙って俯いた。屈む姿が余計に滑稽に見えて、周囲が笑っているのが見なくてもわかった。瑞希を責め立てるように雨足が強くなる。地面を跳ね返る雨に足元が濡れても防ぎようはなかった。
「悪かったよ。でも小町が好きなことは本気だよ」
瑞希は傘を小町に返した。コンビニに立ち寄って傘を買うわけでもなく、そのまま帰っていった。ずっと待ち望んでいた告白が別れ言葉になった。
その日の夜。瑞希からメッセージが届いた。もう一度プロを目指すと書いてあった。小町はこれで良かったんだと納得する反面、心を覆う雨雲は、いつまでも晴れなかった。
おわり
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